壁紙:坂田靖子「バジル氏の優雅な生活」

3月31日(土)
 ちょっと二日酔い。
 昼、カレーうどんを食べる。
 夕食はブリ大根、もやしの味噌汁、ほうれん草のお浸し、もずくとキュウリの和え物など。和食メニューであるね。ひさびさの休肝日。

3月30日(金)
 朝から娘とラーメンを食べる。
 夕方、MACLIFE編集部へ。歩いていく。途中、江戸川橋公園であまりに櫻が妖しく綺麗だったので、一人で花見をする。約束の時間が近づいてきたところで、編集部へ。鳩山邸の真ん前だった。
 インタビューが終わって(インタビューを受けたのである)、編集子と近所の居酒屋で歓談。え、それホント?、やっぱりね、などという話題が多かった。差し障りがあるので、かけないのが残念である。
 帰り道、やたら体が痒いので掻いていたのだが、帰宅して見てみたら、蕁麻疹が出ていた。珍しい。食い物に当たったのか。
 最新のMACLIFEをもらったので、読む。

3月29日(木)
 朝風呂に入って、朝飯を食べて、ホテルをチェックアウト。タクシーで渋民焼という窯元へいく。娘が陶芸をしたいというリクエストに応えたのである。僕を除く一家で陶芸教室参加、粘土こねこね。
 昼前、タクシーを呼んで水沢へ。名物の水沢うどんを食べたかったのである。車窓から外を見たら、土砂降りの雨だし霧が出ていて、近くしか見えない。しかも田舎道である。名物らしいのだがこんな田舎に本当にうどん屋が結集しているのか、不安になる。しかし確かに田舎道にうどん屋ばかり集まっている場所が確かにあった。違和感あったな。
 田丸屋の前で降ろしてもらう。老舗である。外には人気がなかったが、店内は混雑していた。不思議である。僕が食べたのは天ぷら付きのうどん1600円。結構いい値段である。
 うどんはなかなかうまい。つゆはしょうゆだれと胡麻だれと2種類あるのだが、どちらも少々インパクトに欠ける。期待が大きすぎたかな。練りわさびじゃなくて本わさびを出して欲しい←うるさい。
 印象としては、冷たいうどんよりも温かいうどんの方が美味いような気がする。
 ホテルのチラシを見せたら、たくあん餅をサービスしてくれた。家族はうまいうまいと貪り食っておった。
 タクシーが待っててくれたので、その足で渋川へ。電車が来るまで時間に余裕があったので、駅の路麺を試してみた。かけそば250円。地雷を踏んでしまった。食べなければよかった。直前に水沢うどん食ってるから、評価が厳しくなるのは仕方ない。
 高崎で乗り換えて、5時過ぎ帰宅。配偶者は子猫のリリーをピックアップして帰宅。リリーはむくれていると思ったが、そうでもないようである。猫用の土産がないのが残念である。
 晩飯を食べないまま寝る。

3月28日(水)
 朝風呂に入ってから、朝飯を食べる。朝飯なんぞを食べるのは久しぶりである。バイキング形式であったが、味はなかなかよい。朝から満腹する。
 ホテルにいてもヒマだけなので、榛名湖にいってみる。榛名湖はまだ結氷していた。さむし。今ひとつの天候で空が曇っており、景色もよく見えず。
 それにしても、人が少ない。路上も土産物屋も閑散としている。オフ・シーズンだからなあ。家族は馬車になぞ乗っていたが。
 帰りのバスが来るまで時間があるし、することも観るものもないのでてくてく歩く。家族はロープウェイに乗ったりしていたが、僕は食堂で昼からビールを飲む。これはこれでひとつの極楽である。
 ホテルに戻って、風呂に入ったりして、夕食。今日の夕食は昨日とうって変わって、なかなかよい味付けであった。量も減っていたし。おいしくいただく。
 風呂に何度も入って、やはり早めに寝る。

3月27日(火)
 朝、配偶者が子猫のリリーを動物病院へ預けに行く。
 11時半、上野発の快速電車に乗って伊香保を目指す。温泉旅行である。
 1時に高崎に到着して、途中下車。ガイドブックに載っていたカツ丼の店で昼食。フツーのカツ丼が370円から。安い。僕は玉子入りカツ丼420円を食べる。なかなか美味い。カツが小さめだとか衣が若干固いとか、文句は言えるのではあるが、この安さで文句を言うのは不当のような気がする。
 食後、再び高崎駅に戻り、再び電車に揺られて渋川駅で下車して、バスで伊香保へ。
 松本楼なるホテルに投宿する。すぐに家族は風呂に入りに行き、戻ってきてから有名だという石段を散策。土産物屋や喫茶店やスナックが両脇に犇めいている温泉街常道の石段であった。いったのが平日の夕方ということもあって、閉まっている店は多いし、人影もまばらであった。寂しいものである。
 戻ってきてから、温泉につかる。伊香保の温泉は、源泉は透明なのだそうだが、輸送途中で鉄分が酸化して赤褐色の色になってしまうらしい。赤褐色の湯につかったり、サウナで汗を流したりする。
 夕食は部屋食。豪華である。食いきれない。途中でだめ押しのおでんが来たりする。とても食いきれない。しかしビールは飲む。当然であろう。料理の味付けがしょっぱすぎていささか期待はずれ。悲しいのう。
 満腹したので消化促進のため(本当は違うような気もするが)、またまた温泉につかる。体重を量ったら1.8kg増加していた。よくぞ食べたり。
 苦しいほど満腹していたので、早めに寝たのだが、実際はなかなか寝付けなかった。

3月26日(月)
 午前、子供らと厚生年金病院へ。子供の親指骨折の最終確認である。えらい待たされた。2時間近く待って診察は5分弱。なんじゃ〜。
 昼食は飯田橋「勝龍軒」で「とんこつラーメン」600円。子供らはチャーシュー麺800円。しめて2650円。ラーメン屋の値段が高く見える、路麺を食ってると。
 「百鬼夜行 妖怪コレクション」2体購入。
 夕方、近所の文鳥堂に赴いて、「犬夜叉」20巻を購入。家族で廻し読みする、というか取り合い。なんちゅう家族や。
 夕食は、ネギトロ、ソーセージをキャベツ炒めに載せたもの、マヨネーズ載せ椎茸焼き、ハムサラダ、ツナサラダ。旅行前なので傷みやすいものを消化していたようである。

3月25日(日)
 二日酔いで死んでいた。延長していたが、必然的に休肝日。
 夕食は、肉豆腐、ほうれんそうの胡麻合え、ハムサラダ、なめこと豆腐の味噌汁など。

3月24日(土)
 春休みになった娘と共に曙橋「さぬきのうどんや」へ再び。土曜日なのに満員で行列ができていた。結構繁盛しているのね。女性もちらほら。僕は「ぶっかけおろし」うどん380円、娘は「ぶっかけ海老天」450円を注文。食い足りなかったので僕はさらに「かけうどん」300円を食べる。満腹。ビールと合わせて1600円足らず。美味くてしかも安い。冷たいうどんよりも温かいうどんの方がおいしい、という結論に達する。そう思いませんか?
 テレビで「ミカヅキ」を途中から見る。
 夜、赤坂「ですぺら」にて「東雅夫さんを囲む会」に行く。盛況であった。

3月23日(金)
 花粉症酷し。そのせいか調子悪し。
 夕食はおでん。

3月22日(木)
 息子がゲーム「モンスターファーム」を買うというので新宿につきあう。帰り、思い出横町の路麺「かめや」で「天玉そば」370円を食べる。まあまあ。
 夕食はスモークサーモンなど。

3月21日(水)
 早く寝たので早く起きる。花粉症の季節である。眼がしょぼしょぼするし、鼻水が止まらない。大量にティッシュを消費。午前、ひさびさに嫌いな床屋に行く。暖かくなったからね〜。頭が軽くなった。
 午後、散歩に曙橋へ。外出すると花粉が多いと見えて、鼻がこそばゆくてたまらない。
 安売りの酒などを買って、「さぬきのうどんや」でてんぷらうどん400円。路麺である。うまい。うどんが全然違う。手打ちだという。たぶん手でこねた生地を機械で切っているのだと思うが。鰹だしの効いた透明なつゆがまたよい。お代わりしたいところであったが、帰宅して晩飯を食べるので控える。またいこ。「ぶっかけ」のうどんというメニューがある。どういううどんなんだろ。
 夕食は、鶏牛蒡御飯、だしまき、モッツァレラチーズのトマト載せ、ザーサイなど。

3月20日(火)
 春分の日。体がだるくて寝て過ごす。
 夕食はサイコロステーキ。夜早々に寝る。

3月19日(月)
 散歩がてら、早稲田に路麺を食べに行く。途中、有島武郎旧居後の立て札があったりしたが、そこは今は住友銀行の社宅になっているのであった。ところで、目的は「東京そば」で天ぷらそば360円。麺がいまいち。生麺のはずなのだが、時間が遅いこともあって茹で置きされて伸びてた。近所をぶらぶら歩いてみたら、昔、幻想文学会出版局があったあたりは再開発されて、大きなマンションだの新しい図書館だのが建っていた。そういえば某Mくんがこないだいっていた、「ライフ」という定食屋は未だ健在で、20年の時を隔ててもなお、大盛りのメニューで頑張っていた。すげえ。
 夕食は魚、鳥取土産の山芋が入った蒲鉾、ワカメの酢の物など。休肝日。

3月18日(日)
 朝帰り。貪るように眠る。
 昼食は生協のラーメン。
 夕食はカレーうどん。麺類大好きなのね。
 
3月17日(土)
 遅く起きて、近所の本屋に雑誌「MacFan」を見に行く。のってた。買って帰る。うーむ、校正もなかったんだけどな〜。それはいかんと思うのだが。原稿に一部手直しが施されていたが、どうも字数合わせが原因のようである。ま、載ったからよしとするか。
 夕食はカレー。
 夜中、新宿に出かけて「新耳袋トークライブ」。体が重く感じる。すこし眠ってしまった。今回は、神霊のはなしが面白かったかな。荒ぶる神はおそろしいのである。終了後、常連さん達と厄落としの喫茶店で歓談。

3月16日(金)
 祖父が亡くなったので、鳥取まで葬式に行って、奈良に寄って帰ってきたばかり。疲れた。今日はもう寝ます。
 生活が昼型に戻ったのはいいけど、明日は新耳袋トークライブ、12時になったら眠くなっちゃう、行けるかな〜。
 どうも没になったと思っていたエッセーが生き返っているようだが、まだ見ていない。見本誌も届いてないし。明日見てみよっと。
-----------------増補(デジカメ写真の増補はそのうち)--------------------------------------
 午前中、亡き弟の墓参り。
 昼前に出発。王寺で「王寺ラーメン」に挑戦しようと思ったのだが、この店夜しか営業していない。残念。不発。
 大阪に到着し、大阪駅のコインロッカーに荷物をぶちこんで、ひさびさに梅田散策。中学高校の頃は通学路だったんだけどね。駅前にでかいビルが建設中である。オリンピック絡みなのか。紀伊国屋を覗いたりする。
 腹が空いたので、美味しい物を食べよっとということで、新梅田食堂街の「きじ」でビールを飲みながらモダン焼きをつまむ。お好み焼きは大阪でたべなあかんわ。美味に満足。隣に妙に可愛い女の子が座ったのだが、お好み焼きをデジカメで撮影したら奇異の目で見られた。そんなに変かな〜。変なおじさんでしょう、やっぱり。
 食後、店の前で煙草を吸っていたら、携帯電話で初老の男が話しているのが聞こえる。
 「借りた金はかえさなあかんで。おまえそうおもうやろ。」
 「金返されへんのやったら、おまえ、そこにすまれへんようにしたろか。」云々。大阪はこわい街である。こわ。
 ところでまだ食い足りないので、「揚子江」にいって、さらにラーメン。このラーメンも東京ではたべられへん味やわ。おおさかわっ、くいだおれのまちっ!さすがに満腹する。
 地下街をうろうろする。おばはんが平気で地下街をうろついているのもこれまた大阪である。泉の広場あたりを歩いていたら、そういえば昔仕事で世話になった某日立のショールームが近所にあったことを思い出して歩いてみた。最初道を忘れていて迷ってしまったのだが、なんとか辿り着く。パソコンを触っていたインストラクターのお姉ちゃんに話しかけたら、けんもほろろの扱いを受けてすこし傷つく。確かに今の僕の風貌は怪しい中年男以外のなにものでもない。仕方ないか。
 そんでもって、帰ろうとしたら、事務所から出てきた女性を見かけて、見覚えがあったので声をかけてみたらどんぴしゃり。昔話に花が咲く。ありがとうございました。そうか、あのころパソコンの担当くんだった彼が今は部長代理か。時間が経ったものよのう。
 荷物を回収し、新大阪まで出て、新幹線に乗る。そばめし弁当870円を売っていたので買ってみる。
 東京から飯田橋、タクシーに乗って9時頃帰宅。
 帰宅したら、「失礼文学」と「破産管財人の報告書」が届いていた。「報告書」を読み始めるが、さすがにくたびれたので早々に寝る。

3月15日(木)
 葬式は終わった。せっかく遠くまで来たのだから、温泉にでもつかって、観光して帰ろうと思っていた。鳥取島根には温泉がたくさんあるのである。母を誘ってみたのだが、すぐに奈良に帰るという。うーむ。母一人で長時間の列車旅させるわけにいかんしな、荷物もあるしな、ということで一緒に奈良へ。
 4時前に実家に到着。実家にあったジョニ黒をちびちび飲む。
 夜、やっとネットにつなぐ。疲れていたので見るだけ。

3月14日(水)
 7時頃起きて、朝飯を食べたら、あれやこれやで葬式が始まる。坊さんがお経をあげるのだが、宗派が曹洞宗である。室内にいる親族には香炉を回して焼香する。お経を全員で合唱。そういうしきたりなのね。
 出棺時に、一騒動。火葬許可証をなくしたらしい。それでは焼けないやね。なさけなや。役場で再発行。
 送り火を焚いて、火葬場へ。母は泣き崩れていた。いまでこそ火葬であるが、僕が小学生の頃は土葬であった。親族が棺をかついで葬列を作って行進したらしい。荘厳と言えばそうだけどつらいやね。
 遺体が燃えるまで時間がかかるので、戻って公民館で会食。田舎の仕出弁当である。
 その後、再び火葬場でお骨を拾う。葬式で一番辛いのはここである。人間が物であることを露骨に示してくれるからだ。
 お骨を連れて帰り、再び自宅でお経。香炉を回し、皆で正法眼蔵を唱和する。中世の日本語は分かりやすくていいのだが、どうもありがたみに欠けるような気もする。唱和した後、坊さんのお経が歌うようになる。どうも御詠歌のような演歌のような節回しである。この国の歌は昔から大して変化していないのかもしれない。しばらくすると、また坊さんのお経が変化して、和語混じりで僕には神社の祝詞のように聞こえた。仏教はこのへん神道からたくさんパクっているような気がする。
 儀式が終わって、納骨。海沿いにある墓地まで歩いていく。
 納骨が終わったら、お寺でまた儀式。
 なんでも四十九日を一日で済ませてしまうという、簡易サブセットだったらしい。僕にはどれが何の法要だったかわからなかった。4時過ぎに終了して、再び公民館で会食。

3月13日(火)
 9時前に家を出て、新幹線に乗りサンドウィッチを食べながらビールを飲んで、大阪駅で母・弟と合流し、1時前の特急「スーパーほくと」に乗る。震災後初めて見る神戸・明石や姫路、駅弁を食いながら宮本武蔵生誕の家があるという処を経て、鳥取、終点の倉吉で各駅停車に乗り換える。そんなこんなで祖父の家に到着したのは5時過ぎ。遠いなあ。晴れた日には隠岐島が見えるという農・漁村であった。
 田舎なので葬式は祖父の家で行われる。家の中が片づけられていて、町内会の若い衆が(といってもそんなに若いわけではない、皆中年、若者が少ないねえ)幕を張り、祭壇を組み立て始める。祭壇などは町内会所有になっていて、葬式があると貸してくれるらしい。なるほど田舎は便利な方式になっている。
 祖父は明治末年生まれ、享年91歳(数え年)、突然倒れてそのまま逝ってしまったと聞いた。安らかな死顔であった。激動の時代を生きたのだな。現在の僕の年齢までに、大正デモクラシー、15年戦争、敗戦とその後の大混乱を経験していたわけだ。敗戦後の混乱期には都会から米など農作物を求めて大勢の人が農村を訪れたらしい。僕には想像もつかない。
 ところで平服の親戚が続々訪ねてきて、祖父の死顔を見たり、話をしたり。仮通夜というようである。都会のお通夜とはちょっと違う。
 しかし田舎はいろいろと不自由である。コンビニは駅前にしかないし。モバイルな僕は当然iBookミケを連れていったのだが、久しく空き家となっていた祖父の家は電話が止まっていた。ならば公衆電話を、と思ったが公衆電話がない。駅前にはあるのだろうがそこまで辿り着くには歩いて20分ぐらいかかる。こういう場合には携帯電話があると便利だと思う。でも電話嫌いの僕にはいささか辛い。ということでネット接続は諦める。米国に行っても大丈夫なようにして置いたつもりだったんだけど、意外なところに落とし穴があった。はは。
 叔父さん一家と夕食のような酒盛りのような晩飯を食べる。この叔父さん、僕よりさらに酒飲みである。日本酒をぐいぐい飲んでいた。喪主がそんなに飲んでいいのかと思ったけれど、酒飲みは恐いので(笑)ある程度つきあったけど僕はマイペースを守る。当然でしょ。3時頃寝る←これもマイペース。

3月12日(月)
 夢を見た。家族で飛行機に乗ったのだが、いよいよ離陸するという段になって、なぜか急な斜面になっている滑走路をジャンボジェットが轟音をあげて走り出したと思ったら、僕一人滑走路の脇に立っていた。おかしいなあ、どうしたんだろと思っていたら、急上昇していたジャンボが見えた。さっきまで乗っていたはずのジャンボ。ところがそのジャンボが急降下というより、落下して目の前に墜落し炎上した。呆然とした。なぜか近所の警察に連絡する僕。
 シーンが変わって、遺体を安置しているらしい大きめの旅館というか会館にいた。生存者もいるようだ。家族を捜す。いないので遺体安置所で棺桶を見て回る。見つからない。どうしようと途方に暮れているところで目が覚めた。
 なんだったんだろ〜。
 昼過ぎ弟から電話がかかってくる。祖父が亡くなったという。鳥取で葬式を行うという。寝ぼけていたので、再度連絡することにする。
 インターネットに接続して、JRやら航空会社のサイトであれこれ調べる。
 配偶者が子供の保護者会にでかけて遅くなると言うので、夕食を作る。夕食はスパゲッティ・カルボナーラとミートソースの2種。ミートソースは手抜きして、出来合いの缶のソース。カルボナーラは手作りである。合わせて7人前くらい作ったのだが完売。好評だったようだ。よしよし。

3月10日(土)
 下のような日記を読んだ読者がどうも見たくもない愚痴というか残骸を読ませられたような気分になったとしたら申し訳ない。もっとも、書いている当人はちっとも暗くなっていないし、いたって呑気なものなのである。だってたかが昆虫飼育セットのごときものだと思っているから。でもさあ、昆虫飼育セットで昆虫が死にかけてきたら気になるでしょ。死んじゃったらどうして〜、て思うよね。僕にとってはそんな純粋な好奇心なんだよね。ホントのところもはやどうでもいいんだけど、ちょっと気になるってところ。まあ、お気楽に流し読みくださいまし。
 大事なことを書くの忘れてた。9日に幻想文学60号が届きました。ご恵贈ありがとうございます、東さま・石堂さま。
 20年ですか、長く続いたものです。今後も続けて欲しいですね。石堂さんの壮健をお祈りします。なんてね。
 夕食は鯖味噌、しめさばそのたもろもろ。明太子がうまくて、肴にしてしこたま飲む。「ふくや」の明太子食べたい〜←贅沢。
 夜中、コンビニに出かけて、ワインを買ってきて飲む。ついでに「ミミガー」も買ってきてつまみにする。さらに週刊文春を買ってきて読む。単に退屈していたのである。しかし、文春は大して面白くなかった。雑誌のコラムとネット上の上手な文章に差がなくなってきている。片や有料で、片や無料。いやはやややこしい時代になったものである。ただ、雑誌はこれでは廃れるよね。ただのものには勝てないからな〜。

3月9日(金)
 夕食はそばめし。
 メールが来る。昨日、辞めて潰れた会社の第一回債権者集会が東京地方裁判所で行われたらしい。資料を見たいかどうかという内容であったが、躊躇なく見たいという返事を出す。生き物としての会社がどういうふうに死んでいくのかじっくりと見たいのである。それはミニチュア昆虫飼育セットで昆虫を飼育したとき、最初から最後までを見届けたいという、人によってはほのぐらいと思われるかもしれない情熱に似たようなものであるのだが、しかし滅多に見ることができないサンプルであるからして好奇心を抑えきれないのも事実であるのだ。何回も見ていたら飽きるのだろうけれど、こちとら最初のサンプルだから、じっくり検証しないとね。
 僕は冷酷な人間ではないけれども、冷静に分析するべき事象はあるのである。だいたい潰れずに済むものをわざわざ一個人の我が儘が故にお釈迦にした会社なんて、面白すぎてあまりあるであろう。フツーは全力を尽くしてもにっちもさっちもいかなくなるものであるが、自分で生命維持装置をはずしちゃう責任者の行動分析には興味あるねえ。いや嫌味じゃなくて。純粋に個体としての人間分析におおいに興味ある。通常そういう破壊的というか自滅的な行動はとらないよね。なんでそういう行動をとるのか。太平洋戦争時分の陸軍幹部みたいではないか。面白すぎるのである。
 潰れてしまった会社のことは単なる好奇心の対象で済むのであるが、国が似たような状況になっているのがちょっと不安。うちの預貯金をドルに替えた方がいいのか真面目に悩む今日この頃である(笑)。

3月8日(木)
 午後、またまた飯田橋へ散歩。途中、日本出版クラブ会館で用を足す。ここはうちから飯田橋への近道に当たるのだが、便利なトイレとして使わせてもらっているのだ。わはは。
 また路麺の老舗「神楽坂そば」で天玉そば390円税込みを食べる。やっぱりまあまあ。個人的には星三つのフツーの立ち食いそばだと思う。でも390円の安さだからなあ。いいんでないでしょか〜。
 本屋で
●「デジタル・パラノイア」吉田司・文春文庫
●「赤目48瀧心中未遂」車谷長吉・文春文庫
を購入。
 飯田橋のコンビニで「妖怪コレクション第二集」三体買って帰る。

3月7日(水)
 午後、神楽坂というか飯田橋へ散歩に出かける。
 腹ごしらえに路麺を食べる。先ず隗より始めよ。路麺の老舗「神楽坂そば」で天ぷらそば350円なり。茹で麺にはやはり限界がある。路麺党評価三ツ星半(満点五つ星)。星の基準がまだわからない。普通の路麺だと思うけど。この店、神楽坂に住み始めた頃から見知っているが、入るのは初めて。入り口が狭くて、はいりづらかったこともあるが。ものごとのであいとはこういうものなのかもしれない。でも店内に入ってみたら、意外と奥行きがあって広かった。椅子もある。しかも路麺党によると「夜はワインバーに変身する異色の二毛作」の店だという。それも知らなかった。神楽坂は奥が深い。それにしても二毛作という言葉はいい。
 飯田橋ラムラ内にある本屋で路麺党の本「旨い!立ち食いそば・うどん」小学館文庫500円税込みを購入。
 まだ食い足らないので、神楽坂仲通り右に入って、別の路麺店「梅田」でもりそば290円を食べる。この店は最近できたはず。3時過ぎてたせいもあって客は僕一人。店主とおぼしき男性が「3分ほどかかりますがいいですか〜」とのたまう。
 おお、それこそ、路麺党が泣いて喜ぶという、生そばかつ茹で立てを食べられるということではないか。躊躇なし。わくわく。
 座って(一応椅子があった)待つ。
 でてきたそばはつるつるでなかなかよい。なんでも自家製麺らしい。そばを長めに切ってある。いいではないですか。ただつゆがちょっと弱い。もっと濃くして自己主張してもよいと思う。路麺党評価は三つ星。僕の感想で言うと、「神楽坂そば」よりこっちの方がおいしいと思うんだけど。酒も肴も置いてあるので、一人で立ちのみということも可能だと推測されるが、実際のところ居心地はどうなんだろう。
 帰宅して、路麺党の本を読む。紹介文はなかなか味があってよろしいが、店の紹介と地図がうまくリンクしてなくて、ガイドとして使いづらい。編集者いまいち。
 夕食は鶏の水炊き。
 夜中、テレビで映画「ユメノ銀河」を見る。夢野久作の少女地獄を映画化したらしいのだが、いまひとつよくわからんかった。

3月6日(火)
 午後、確定申告しに四谷税務署に出かける。運動不足なので歩いて出かける。行程約30分。
 四谷の飲食街を歩く。町並みがいささか雑多でくたびれているがこういう雰囲気は好みである。安くて美味しそうな飲食店がたくさんある。四谷はいい街である。僕は好きだな。
 税務署で時間がかかるかもしれないと思ったので、腹ごしらえに、雑誌「散歩の達人」に載っていた立ち食い蕎麦屋「政吉そば」でもりそばを食べる。300円。やすう〜。味はなかなかよい。そこらの蕎麦屋よりもおいしい。「小諸そば」風のつるつる麺と、魚出汁のつゆが絶妙のハーモニーを醸し出している。よし。練りわさびなのが残念だが、この値段で本わさびを要求するのは酷と言うべきであろう。寝起きで通常は何も食べたくないところが、つるつるとそばが臓腑に収まって、しかもちょっと食い足りなく感じる。蕎麦がうまい証拠である。お勧め。四谷駅を出てすぐ、しんみち通りにある。
 税務署に行ったら、提出用窓口は空いていて、用紙を出して5分で手続き終了。ま、必要経費がどうのこうのと突っ込まれる余地もないからこんなものか。確定申告初体験者としてはあまりにあっけなかったかな。
 帰り道、散歩がてらに歩いていたら、曙橋にある例の「バブルの塔」の再工事が始まっていたのを見つける。長い間クレーンを最上階に据えたまま店晒しになっていたが、流石に決着が付いて(安値で権利関係が清算されたのであろう)、工事を再開し、金を回らせることを考え始めたのだろう。不良債権がすこしずつ清算されていることを実感する。
 帰宅して、「政吉そば」においてあったのをもらってきたパンフレットを読む。「路麺浪漫」創刊号とある。なになに。
 コラム「麺声人語」に「「立ち食い」といってしまえば身もふたもない。街角で庶民の空腹を満たす、愛すべき小さな空間を「路傍の麺」、略して「路麺」と名付けることから路麺党の歴史は始まった。云々。」
 いいね、路麺。じっくりパンフレットを見てみると、「政吉そば」はなんと第一回路麺アカデミー大賞を受賞したらしい。立ち食いそば、じゃない、路麺の王者なのですね。うまいわけだ。
 翻って考えてみると、今のラーメンブームの初期がこんな感じだった。オールドスタイルな店とニューウェーブな店がせめぎ合って、美味しいラーメンを追求していた。おじさんは昔を思い出して、感動してしまった。現在はうすうす余人が感じているとおり、もはやラーメンバブルである。バブル景気に遅れてあだ花のように咲いたラーメンバブル。崩壊は間近であると僕は思っている。しかし、この路麺党のように、さらに貧相ではあるが、庶民的な食い物に光を当てて、美味しいものを探そうという人たちがいたのである。その姿勢には共感するものがある。僕も明日から路麺だ〜→でもおいしいラーメンも食べるけどね。
 路麺党のホームページも開設されている。掲示板以外は熟読した。この異常な熱気を帯びた路麺党の活動を皆様もご覧あれ。
 路麺党に入ろうかな。でも年会費2000円か。なにに使うのかな?
 夕食は、カルビ定食、厚揚げ、きゅうりともずくの酢の物など。
 おまけ。映画「秘密」で小林薫と金子賢が再会するのがここ、ラーメン屋「こうや」である。ワンタン麺が名物なのだが、実はあまり僕の好みではない。「政吉そば」からすぐ近所である。
 ブックオフで
●連城三紀彦「戻り川心中」講談社文庫
●立原正秋・2冊
購入。

3月5日(月)
 屈託したので近所の本屋文鳥堂に赴いて、
●雑誌アエラ増刊「100万円得するe生活術」朝日新聞社390円
●「たべあるき東京」昭文社1900円
を購入。
 アエラ増刊は今の一般ピープルがインターネットをどう使っているかという状況の真尺を計るため。僕にとっては知っていることがほとんどだったが、一般の人はどうなのかな〜。ところで編集者のマック好きが屈折しながらあらわれていて興味深い。アサヒパソコン増刊だったらこうはいかないだろうね。
 「たべあるき東京」は2001年版となっていた。1998年版までは持っている。こういうグルメガイド本は単体としてみたときにはわからないけれども、年度をおってみると時代の流れが反映されていて興味深い。3年振りに見てみたら、掲載店が大幅に増えているのだが、やけにイタリア料理屋とラーメン屋が増えているような気がする。って時代の流れを反映しているでしょ。グルメ本の中では個人的にはこの本が一番好みである。文春のもいいのだけれど、高い店ばっか載っているし、dancyuのは掲載店が少ない。そうそうこの本は一番最初は山本益弘監修だったのだよ。で、山本が切られてそのあとずっと続いている。山本のグルメ本、出版遍歴を辿ってみると面白いかも。同一出版社で3年持たないんだよね。なんかあるかも(笑)。
 それはさておき、僕はこういうガイドブックの類が好きで、眺めてながらいろいろと考えたりする。なにを考えているかはひみつ。
 休肝日。夕食にししゃもやらサラダなどと共に御飯を食べる。「犬夜叉」を見て宵寝。

3月4日(日)
 立原正秋「あだし野」をぽつぽつと読む。愛人持ちの中年男がどーたらかーたらという情痴小説である。たいして面白くない。
 夕食は焼きそば。「北条時宗」を見る。ますますくら〜い家庭ドラマになっている。ちっとも面白くないぞ。
 夜中、BSで映画「怒りの葡萄」を見る。監督はジョン・フォード、主演はヘンリー・フォンダ、原作はスタインベック。アメリカ合衆国の農民は貧乏だったのだな、しかし強いな。期待してなかったけど、いい映画であった。

3月3日(土)
 一週間ほど前のこと。配偶者が言う。
 「あたしの誕生日には何を食べに行こうかな。今回はフランス料理がいいな〜。」
 僕「近所にはフランス料理屋、たくさんあるからね。あそこはどう?」
 配偶者「あそこの店はオーナーが変わってから、料理がしょっぱくなったっていうし。」
 ということで、今日は配偶者の誕生日である。我が家からもっとも近いフランス料理屋「ル・マンジュ・トウ」でお誕生会。この店、土曜日にもランチがあるので以前はよく食べに行ったのだが、最近はご無沙汰している。ここのところ僕はフランス料理よりもイタリア料理の方が好みなのである。
 店はこんな感じ。古い木造家屋を再利用している。今の場所に住んで、約15年になるけれど、この店は僕が住み始めた頃からあった。もっともオーナーは一度変わっているらしい。今のオーナーに変わってからさらに店は有名になった。
 メニューはこれ。ディナーで3800円だからフレンチとしては安い方である。
 白ワインをグラスで飲んでから、酒を物色。ウィスキーは「ラガヴーリン」だけであった。何も知らない客がこのウィスキーを頼んで飲んだらびっくりするだろうね。でも今回はパスして、ハーフボトルで白ワインを注文。ワインの銘柄はよくわからん。出てきたワインは、濁りの少ない甘めの味であった。料理にあったかも。
 僕は前菜に「豚足、耳、バラ肉の煮凝り」を注文。こんな感じである→はじっこをすでに食べているが。
 フレンチでも豚足食べるのか。部分的に、こりこりしていてうまい。
 人参のポタージュスープを飲んでから、メインディッシュは「鯛のポワレ、野菜添え」。なかなか。上品な味である。
  僕「このソース、豚骨スープに似た味がする。」
  配偶者「どれどれ。全然違うじゃない。」
 味覚のわからない僕であった。
 因みに、娘は「鴨股肉のコンフィ」、息子は「骨付き子羊の肩ロース、ロースト」を食べていた。いつも肉肉と騒ぐヤツら、習性通りである。
 シェフのお任せコースもあるらしい。そのうち食べてみるか。マダムに「ご近所ですか、今後もご贔屓にお願いします。」と。昔よりサービスが良くなったな。
 そこはかとなく腹が膨れて帰宅、酔って寝る

3月2日(金)
 インターネットの醍醐味とは楽しいメールのやりとりと面白いホームページを見つけてコンテンツを読むことだと思っていたのだけれど、なかなか現実はうまくいかない。で、仕方ないので日記でも書く。
 今年は所得税について確定申告をしなければならない。去年の給料から源泉徴収されているし、税金が戻ってくることは自明の理なのである。参考のために買って置いた雑誌を見ながら、控えに計算していく。計算はエクセルにやらせる。ちまちま電卓を叩くのが嫌いなのである。
 なんか1000円単位は切り捨てしなさいとか、エクセル関数の練習問題みたいな計算を強いられる。こういうときはINT関数を使って、1000で割って1000をかけるんだよな〜と、一人でつぶやく(笑)。などと遊びながら(←遊ぶな)2時間くらいで計算終了。課税所得はマイナス150万円でした。結構でかいマイナスかも。マイナスだから税金くれるのかな〜→そんなわけないでしょ。課税所得1000円以下とマイナスの場合、税率テーブルに載ってないよ。載ってないからここは一つおおまけにまけて税率10パーセントをかけてマイナス15万でいかがでしょう、税務署殿。それなら15万円の儲けだ〜→だから、そんなわけないって。
 用紙に手書きで記入するのはめんどくさいなり。
 夕食は、肉団子、ハムと牛蒡とブロッコリーのサラダ、味噌汁。休肝日なので御飯を食べる。

3月1日(木)
 インターネットでニュースを見ていたら、久和ひとみが亡くなったというニュースを見た。享年40歳。ご冥福をお祈りします。
 久和ひとみは同じ大学の同学年であった。正確に言うと、政治経済学部政治学科で語学クラスは違うけど同級生であった。直に話したという記憶はないけれど、見覚えはある、その程度である。どちらかといえば目立たない子だったな。
 僕が通った学部は大教室の講義が中心だったので、親しくつきあう仲間となるのは、語学のクラスかゼミくらいだった。政治学科で一学年400人もいたのである。経済学科は一学年800人だったかな。とにかく大所帯なのである、私学というのは。ただやたら偏差値の高いところで女子の数は数十人だったけど、かえって女子学生は就職難で(そらそうやね)女子学生達はグループやら組織を作って行動していた記憶がある。
 しかも僕は人付き合いが極端に悪いので、知り合いも極端に少なかった。これは今でも変わらない。このサイトができたのは偶然の産物ではあるが、奇跡に近い出来事でもある。
 同級生で亡くなる人が出始めたと言うことは、僕にも死の準備を始めろということなのかもしれない。老眼も始まったことだし(笑)。しかし人付き合いの悪い僕が死んだとき、葬式に来てくれる人は、すくないだろうなあ。
 夕食は、餃子と水餃子。配偶者がぼけをかまして、ニンニクを折角きざんでおきながら、入れるのを忘れていた。まだぼけないでくれよ〜、頼むよ〜。