謝辞
 このエッセイを始めるにあたって、本サイトの管理人で、幻想文学会OBの櫻井清彦さんに感謝を捧げます。このような機会を与えていただいてありがとうございます。 櫻井さんは、幻文時代、すでに「いいとこの若旦那の風格」を漂わせていたとっても優しい先輩でした。私とはいつも、イタリア映画やタルホや渋龍の話をしてくれましたよね。現在は奥様、お子様とともにお幸せそう! ますますすてきになっているんでしょうね。そのうち、三次元空間でお会いできますよう、お祈りしています。

■アカシャについて
 さて、この「アカシャ・バー」では、芸術や芸能の話をしていきたいと思っています。新譜・旧譜、和洋ジャンルを問わない音楽の話、演劇、美術、テレビなどなど、ときどきスポーツも入るかもしれません。
 「アカシャ」とは「アーカーシャ」ともいわれるサンスクリット語から派生した言葉です。錬金術ではマグネシアとよばれ、「表向きは石だが、石ではない、この世に比較するものがない天界の輝き」をもつ物体だと考えられています。特に、普遍的マグネシアは全ての創造物の源とされ「生命の水」とよばれています。
 このアカシャに刷り込まれているのが、いわゆる「アカシャ年代記」といわれるもので、地上で起こったあらゆる世界の出来事とあらゆる個人的経験を歴史的に記録してあるものだとされています。これらは正常な状態では導師と修行者だけがよめるものとなっていますが、このエッセイが、現代の「錬金術」たる、電脳空間で展開することからこんな名前にしました。
 あ、あと、浅草の「神谷バー」ともさりげなく掛けてみました。神谷バーといえば電気ブラン。学生時代、幻文の仲間とよく待ちあわせにつかっていたのと、私の大好きだった唐十郎の戯曲「ビニールの城」(1985年10月、浅草常磐座にて第七病棟初演)の冒頭で石橋蓮次さんがビリビリやってたの、思い出すんです。びりびり。