◆されど、アメリカ……ヘルメス的就職譚◆

 月日のたつのは早いもので、またお正月がめぐってきた。
 お正月など、月日のくりかえし、昨日の延長でしかないものの、ことしは昨年とあまりにも自分の立ち位置が変わってしまったので、感慨深いことしきりである。しかしまあ、365日というのは、いつのまにかたつものである。昨年は、公私共に猛烈なアップダウンの連続で月日のたつのが遅く感じられ、夏ごろなどは延々このまま時間がとまってしまうのではないか、ともまで思ってしまったほどである。
 
 昨年と今年で一番変わった点は、お金の稼ぎ方である。出版業界を捨て、インターネットの業界に転身し、身分もフリーランスから社員になってしまった。しかも、今度の会社はアメリカ人のお父さんと日本人のお母さんをもつ元・外資系、現・ハーフの会社である。従業員の平均年齢も35歳前後と、以前出入りしていた新聞社が周り中40半ば以上のオヤジだったのと比べてもその雰囲気には雲泥の差がある。なにしろ、新人のわたしが、部長と同じ年齢なのである。他は推して知るべし。したがって、周りの従業員は、新人のわたしに敬語を使う。さらに、わたしをみんな「ナカジー」と呼ぶのだ!
 「ナカジー」!
 塩爺かっての。まったく、高校生のノリである。
 しかし、みんな、仕事はよくやる。先日など、人事に「みなさんは、働きすぎです。早く帰るようにしましょう」と怒られたほどである。ほとんどの従業員は年俸なので、いくら残業しても給料は同じである。でも働いちゃうのである。若いのに、予算をまかされ、責任ある仕事をずいぶんしている。業界全体の年齢が若いから、仕方がないのだが、出版界の同じ規模の会社だったら、40〜50代の人がやっているようなことを、20代の人間がこなしているのである。しかも、コンピューター関連の事業の悲しさで、ある程度の業績はすぐに数字で結果が出てきてしまう。厳しいものである。
 入社にあたって、研修を山ほど受けた。まったく北京ダックかフォアグラになる鴨かというくらい詰め込まれた。そして即実戦に出された。凄いもんである。悲鳴なんかあげている暇はない。要するに人手不足なのだ。でも、そんなに殺伐とした雰囲気はない。部員はみんな明るくて、気持ちがやさしい。たぶん、忙しすぎて、人の足をひっぱるとか、意地悪するとかいうところまで気がまわらないのだろう。そう兄に言ったら「そうそう、人間暇だとろくなことは考えないよ」といわれた。
 
 フランスかぶれのわたしが、アメリカの会社を受けようなんて考えたのは兄の影響が大きい。というか、兄がいなけばそういう発想はまったく産まれなかったと思う。
 兄は、とにかくアメリカのルーツ音楽ばかり聴いている。わたしは「フランス人」だから、アメリカなんて全然興味がなかった。英語だって、アメリカ人の発音はとても嫌いだった。わたしのようなフランス嗜好の人間は、アメリカを意味もなく嫌悪することが多い。フランス人はよく下品なことをすると「アメリカ人みたいなことやめなさい」とまでいう。それにさ、だいたい、お食事がおいしくないって、みんないうじゃない?
 
 気がついたら出版界は泥舟になっていた。仕事をみんなで奪いあっていた。わたしのように、新聞社の箱入りで、その新聞社の景気が悪くなってしまうと、もうお手上げだ。そして、クライシスはついにやってきた。新聞社の世話になっていた人たちは、みんなリストラに遭ったり定年退職し、そのうえ、わたしがもっていた仕事の著者が、病気になってしまい頓挫したのだ。今まで綱渡りのようにしてなんとか食いつないできたけれど、万策つきて、もうどうしようもなくなってしまった。悪いことに、同じころ「結婚詐欺」のようなことにもあってしまった。金銭トラブルではないのだけど、お金がからんでいたほうが、まだ救われたような事件である。不惑を目前にして、男に騙されるのは堪えるのである。
 そんな精神的にどん底なとき、兄がゲンズブールのコピーを送ってきた。30枚にもなるゲンズブールの特集だ。そんなものコピーする暇よくあったな、と思いながらも嬉しかった。傷心のわたしは隅から隅までなめるようにして読んだ。
 しかし、これはプロローグにすぎなかった。
 失業したわたしは、フリーの弱みで失業保険もなく、微々たるものの蓄えは、毎月の国民年金や月々の支払いでどんどん目減りしていくから、お金はほとんど使えない。ということは、CDはおろか、本も買えなければ電車にも乗れない。そんな惨めな境遇のわたしに、本やCDをどんどん送ってくれるのだ。
 
 ・JB(ジェームス・ブラウン)
 ・キャプテン・ビーフハート(隊長)
 ・フランク・ザッパ(FZ)
  そして
 ・P-funk
 
 兄はわたしへの慰めの言葉とかはなく、黙って「これでも聴けば?」というのが万事で、系統だって送られてくる音楽や、アーチストの情報を淡々とおしえてくれるだけだった。しかし、外に出るのも覚悟がいる、経済的になすすべもないわたしは、生きること自体が無価値に思えていたし、なによりCDや本を買えないことで無力感が一杯だったから、黙っていろいろな音楽を聴かせてくれ、ともすると、自己に埋没しがちのわたしの視点を巧みにそらしてくれるような、そんなことがらのひとつひとつが、どんどん心に染みていった。ひとつひとつの音が乾いた心にしみこむおいしい水のようだった。そしていつしか「アメリカもいいじゃん」と思うまでになってしまった。(おお、そうか。新興宗教のマインドコントロールの仕組みが、今わかったぞ!)
 そういえば、兄の「うけうり」によれば、隊長ことキャプテン・ビーフハートはモハーベ砂漠に住んでいて、今は音楽をやめて画家になっているという。砂漠に住んでいる「隊長」が、乾いたさまよえる惨めな放浪画家のわたしに水をくれるなんて……。
 キャプテンが水なら、フランクは宝石。きらきら光る音の万華鏡は妖しくも美しいが、よく見ると悲しい光をたたえている。難しい音楽だとマスに拒否され、メジャーレコード会社にいじめられるということなど、彼のおう盛な創造力の前には無力に等しいけれど、それでも、なにかもの悲しさがつきまとう。それは、彼の作品の中の明るい調子の曲が、いつも少年ぽいやんちゃさにあふれていることに関係があるかもしれない。少年の心を忘れない人は、長じるにつれ、世の中のせちがらさに寡黙になるのだ。
 
 兄がかようにアメリカ文化の洗脳をわたしに施していると、今勤めている会社が求人広告を出した。暑い夏のさなかだった。
 わたしの頭はことあるごとに「ウー」とか「オー」とか「イエエエエエエエエ」とか叫びまくる赤ちゃんみたいなJBに染まって、すっかりファンキーで大ざっぱになっていたから「アメリカの会社ぁ? JBのお国ね〜。いいかも〜〜〜」とか言って、インターネットの求人票にある「我が社でなにがしたいですか?」の項目に、冗談としか思えない大言壮言をセックスマシーンかなんか流しながら、あっというまに書いて送信したのだった。したがって、なんでその会社に就職できたのか、いまだに事情が呑み込めていない。その大言壮言が一次面接で大受け(お笑い的に)だったということが思い出されはするが……。

 就職が決まった10月の晴れた朝、庭にシャム猫の子供が落ちていた。
 たったの400グラムだった。わたしはこの子にバルバラと名付けた。フランスの往年の名歌手で、猫のような瞳をもつバルバラにちなんで。
 ついさっきまで、明日からどうやって食べていこう、と思っていたわたしが、あろうことか猫の餌を買いに行く。神様はこうして、定収入ができたわたしに、感謝のしるしを示す機会を与えてくれたのか?
 バルバラはぐんぐん大きくなって、3カ月たった今は、もう拾ったときの4倍以上になっている。帰宅すると、部屋の前まで迎えに来てくれる青い瞳のかわいいやつ。
 そして、あろうことか、バルバラは、P-funkが大好き。Pをかけると大興奮。飼い主に似るというけれど、もっとちがったところが似てもいいのに。そういえば、バルバラはこのごろピアノも弾く。わたしが弾いているのをみて覚えたらしく、ピアノの椅子に後ろ足をおいて、前脚で鍵盤を押さえるのだ! 奏でる曲は、シェーンベルクかウエーベルンといったところ。ああ!
 バルバラとわたしは、夜な夜なP-funkを聴いてはくんずほぐれつじゃれついて遊ぶ。なんてたのしい宵だろう。こんな宵がくるなんて、誰が想像できただろう? 兄はわたしとバルバラがこうしていっしょに遊ぶ日のためにPを教えてくれたのかしら?
そういえば、Pの総帥、ジョージ・クリントンは言っていた。
 Free your mind. your ass will follow.
 
 「しかし、フランク・ザッパでうちに入りましたっていうのには笑ったなあ。ブレッカーブラザースもききなよ」
 わたしの直属のマネージャー(課長さんクラスのようなものか)がわたしの自己紹介メールをみて(うちの課では、新入社員が自己紹介のメールを部内に出すのが慣例になっている)そういって笑った。
 しかし、いくら兄の洗脳が成功したからといっても、このわたしがまったくどうしてアメリカの会社にいるんだろう? それとこれとはどう考えても別次元のはなしである。兄がアメリカも悪くない、というふうにわたしに意識革命をほどこしたにしても、この就職難にしかも長く別業界にいた自分がどうして採用されたか釈然としない。……まあ、最近はフランスの大統領もアメリカにしょっちゅう行ってるし、アメフトの人気も少しはフランスで出てきたみたいだし、意外と若いフランス人は一度はアメリカにいってあの大ざっぱさを経験したいと思ってるみたいだし、世の中はグローバル化がすすんでいるし(だんだん論点がずれていくな)……とぶつぶついいつつ、会社のマークをふとみると、なんと、これがフリーメーソンの重要なマークにそっくりなのである。
 三角形に目玉のマーク。「世界をみとおす神の目」。ドル紙幣にもあるあのマーク。ああ、ひょっとして、これは、骨の髄までヘルメス哲学に染まったわたしをメーソンが呼んだのかも……。そう思うとなぜか全てを納得してしまう、ヘルメスなわたしである。

(2002/01/02)