ポリーニの鼻歌

 いろいろあって、仕事がひとつ頓挫した。結果的に、耐乏生活を強いられるはめになった。
 わたしに限らぬこととは思うが、収入が減ると、とたんに弱気になる。なにしろ、保険のない身であるから、仕事がなくなれば、収入がなくなる。大変わかりやすい人生である。配置替えとか、左遷とかに甘んじても、とりあえず給料をもらえる人は幸せである。こっちは、来月はどうやって暮らせばいいのかということになるので、切実である。なら、会社員になればいいというかもしれないが、なれるものならとっくになっている。わたしは、いろいろ応募し続けているが、だいたい書類で落ちる。美術大学出というのが敬遠されるらしい。
 以前、毎日つめていた新聞社のとある編集部では、編集スタッフが8人いて、そのうち4人が社員、のこりの4人が、フリーランスであった。そのうちの3人は、わたしを含め美大の絵画科の人間だった。また、アルバイトできていた若者も美大出身だった。その新聞社はよほど美大出身が好きらしく、フリーの編集者の美大出身にはよく出くわした。といっても、社内でフリー同士で話していると喫茶店とかラーメン屋とかに不良社員に呼びだされて怒られる(他の現場とほんの少し立ち話をしていても怒られるのである)ので、残念ながら余し親しくはなれなかった。で、美大出身の社員となると、ひとりもいない。
 美大、とくに絵画科科や彫刻科を卒業していると、ほとんど就職がない。それは、景気がよかろうと、悪かろうと関係ない。万年就職氷河期である。平たく言えば、日本では美大は落ちこぼれか、変わり者でルーズな人の行く学校と思われているのである。医学学校並の学校数しか国内になく、結構難関で学生数も少ないのであるが、世間的にまずエリートとは思われていない。美大出身者はそのへんをこころえているから、アルバイトでも何でも、仕事にありつくとかなりまじめにやる。「これだから美大のやつは……」とか、「芸術家っていうのは時間にルーズで……」といわれないよう、言葉遣いに気を配り、時間に遅れないようにし、つまらない仕事でも文句をいわずに黙々とやる。編集という仕事は、視覚的なセンスを要求される局面が多いので、その方面で専門的な訓練をつんでいる美大者(もの)は意外と重宝される。政治的にもノンポリが多く根が職人気質で凝り性である上、手先が器用で、好奇心が強い。なにしろ、仕事がないのだから、時給が低くても、雇って貰えるだけありがたいと考えていて、仮に条件面で冷遇されていても、その点に鈍感なので、雇い主も使いやすい。それで味をしめて、下働き扱いで使うようになるのだろう。

 それはともかく、仕事の頓挫の知らせを聞いたのは、胃をこわし39度の熱にうなされたあとだった。こっちは一週間も固形物を食べてない上、熱で体力を消耗しきっていたというのに、この仕打ちはなんであろうか。再び、布団をかぶって寝てしまった。が、眠ることもできないどころか涙も出ない。春夏秋と、全部で3500枚ものゲラに囲まれて、を来る日も来る日読み続け、その本が出ないかもしれない。それなのに、涙も出ない。
 こういうこと、悪いこと、というのは、わりあいと簡単に起こる。自分に限っておこらない不幸というものはないのである。思えば、ティーンエイジ最後の年に、初めてそれなりにおつきあいをした男性に、実はほとんど同棲している人がいた、というのが「わたしに限ってそんなことが・・・」の最初であったから、その歴史は古いのである。
 今までもなんとか切り抜けてきたから、大丈夫。そう考えても、次から次へと過去の悪いことばかりが頭の中でらせんのようにつながって思い出されていく。折角軌道に載りだした生活。やっと黒字に転換してきて、画材でも買おうと思った矢先である。画材屋で3万、4万と高い絵具を買いあさるカルチャーセンターで優雅に絵を習う有閑マダムのような人がいるかと思えば、わたしのように生活するだけで手いっぱいな画家もいる。まあ、その有閑マダムたちが幸せかどうかは本人に聞いてみないとわからないけれども、画材を金に糸目をつけずに買える身分というのはなんともうらやましい。まったく、ここ三〜四年というものは、仕事の浮き沈みが激しすぎて、人生設計など何もできない。子供を生むにはタイムリミットがあるというのに、伴りょをみつける暇もない。(かといって、人工授精は高い)なにしろ、時間があれば仕事がないわけだからデートするお金もないし、仕事があれば朝から晩まで馬車馬のように働いているので、遊んでいる暇がない。
 そのうちに、不幸なことが自分の宿命のような気がしてきて、ベッドの上でタロットカードなんぞをかき回し、気がつくと自分の存在価値について思いを巡らしている始末である。おりしも秋晴れの昼下がり。ああ、毎日こんなに天気がいいっていうのに、なんという限りない我が存在の軽さ。
 脱力して布団をかぶっていると、バッハおじさんから小包みがとどいた。中身はなんと、CD4枚とテープである。ワープロ書きの手紙も一通ついている。

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バッハおじさん
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 バッハおじさんは、新聞社時代に親しくしてもらった人で、もう定年退職されたのだが、今でも新聞社の仕事をされている。わたしは彼の定年前の何年かを同じ部署で過ごしたのだ。たぶんわたしに話を合わせてくれていたのだと思うが、何かと趣味が合い、毎日職場のソファーで茶のみ話に花を咲かせたり、中高生よろしく、新聞の切り抜き、雑誌、CDなどが忙しくお互いの机を飛び交ったものである。
 一番傑作だったのは、ある日、わたしが会社の机でゲラを読んでいると、バッハおじさんがいつもの英字新聞と一緒に何か切り抜きをもってやってきた。なんで英字新聞かというと、社員であるバッハおじさんはその部署でいろいろと新聞をとってもらっていた。バッハおじさんは人名事典をやっていたので、物故者リストに目を光らせていたのだ。(人名事典の編集というのは、訃報記事チェックが実は重要な仕事だったりするのだ。事典の編集というのはこういう地味でどうでもいいようなことの積み重ねなのである)私も当時やっていたのが現代用語事典だったため、仕事の必要上、新聞を何紙も読まなければならなかった。大きな記事はもちろん、ベタ記事などに、いろいろな制度の改正などが記者発表で載るので、とにかく毎日数種類の新聞をすみからすみまで目を通し、自分の担当と関係あるところをスクラップしていくのだ。この地味な作業の蓄積が、ここぞというときに大きなパワーを発揮する。
 日本の新聞はその部署でとってくれていたが、外国のものはそうはいかない。わたしの担当はスポーツと外来語だったので、最低英語の新聞は目をとおしておきたい。特に、スポーツに関することをいうと、当時、日本の新聞は野球と相撲しか載せないといってもいい状況だった。載ったとしても、戦後の米国占領下の影を引きずっているのか、米国経由の情報ばかり載っているのである。最近こそサッカーをすこしは載せるようになったが、まだまだ不十分であろう。まあ、読者あっての紙面であるから、読者のニーズに応えている、といわれればそれまでなのだが。
 横道にそれるが、「世界のスポーツ」というものを俯瞰すると、そこには米国の潮流とヨーロッパの潮流というものが存在している。
 米国の潮流とは、ほんの一部の米国の息のかかった国、もっといえば、米軍基地のある、またはあった国においてさかんになっているに過ぎないスポーツである「野球」を中心とした潮流である。ヨーロッパの潮流とは、ヨーロッパ人があちこち植民地にしまくったところで伝えられたスポーツ、すなわち、サッカー、ラグビー、クリケットを中心とした潮流である。こちらの方は歴史的には随分古いので、地域的にもかなり広く、人口も多い。
 日本の新聞やテレビの情報はどうしても米国寄りであるので、米国以外の新聞や雑誌を読む必要があった。ヨーロッパのものはフランスの新聞を趣味と実益を兼ねて自腹を切ってなんとかしていたが、できれば英語圏のものもほしい。ニューヨークタイムス、ジャパン・タイムス、デイリー・ヨミウリ、アサヒ・イブニングニュースなどは会社のデータ・ベースセクションにいけば読むことができる。しかし、新聞社は、会社自体が巨大なので、毎日新聞を読むためだけのためにそこに行くのは時間の無駄である。自腹を切るにしても、わたしのギャラはそう高くない。それを知ったバッハおじさんは、会社に購読を頼めないわたしに同情して、自分が読んだ後で毎日英字新聞をわたしに譲ってくれていたのだった。
 
「これ、かわいいでしょ」
 英字新聞の上に、きちょうめんに切り抜いた映画評の記事がクリップでとめてある。
「なんですか? あっ! トムくんだ」

 トムくんとは、トム・クルーズのことである。バッハおじさんとわたしは美形と美声のリサーチをいつも行っていた。そのターゲットは幅広く、音楽はもとより、スポーツなどにも鋭いチェックの目が向けられた。サッカー・ワールドカップ、オリンピックとなればもう目が皿のようになったのは言うまでもない。
 こと美声に関していえば「もののけ姫」でブレイクしたカウンターテナーの米良などは、いち早くチェックしていたものである。
 美形のほうで、トムくんは「ネズミ系美形」としてかわいいと認識されており、アメリカ人にしては上出来ということになっていた。そして、体格的にもうちょっと絞ってもらうとなおいい、と話していたのだ。
 その切り抜きのトムくんは、かの「インタビュー・ウイズ・バンパイア」のあのトムくんである。おおレスタト! レスタトをトムくんが! レースのブラウスの前をはだけて、これではまるでオスカーか、はたまたバンパイアになりそこねたエドガーの兄ではないか? しかも相当絞り込んでいる。翌日わたしが映画館に走ったのはいうまでもない。
 バッハおじさんの名誉のために付け加えておくと、彼はわたしと倒錯話をばかりしていたわけではない。かつては新聞社でもかなり高い地位に上り詰めた方である。そして無類の犬好き。また、誰もが認める博学ぶりは周囲の尊敬を集めていた。彼は週刊の美術誌のデスク時代、ルノワール、ドガなどの日本人になじみの深い人気画家をとりあげるかたわら、クリムト、モロー、そして、これはルネサンス以前の作家であるが、グリューネバルトなどそれまで、好事家の間だけでしられていた象徴主義絵画の一般化に貢献したのであった。というか、ルノワール、ドガに紛れて、自分の趣味を滑り込ませたと言えないこともない。
 その反面、政治、軍事、国際情勢などのことも詳しく、冒頭に書いた、今回頓挫した仕事はその種のことが関係している大きな本の編集の仕事だったので、わたしは相談にのってもらっていた。
 もちろん、バッハマニアの先輩として、いろいろな情報を提供してくれ、ときどき、まちがえてCDをダブって買ってしまったと言っては、そのおこぼれに預かることもあった。わたしが新聞社に未練があるとしたら、バッハおじさんと与太話ができなくなったことだろう。彼は新聞社のなかで、本当に数少ない心を許せる人だった。
 
   ご無沙汰しました。その後はいかが?今年はオリックスも
   イチローもあんな調子、シューマッハも最後は自分のこと
   ではないので、ズルズルいってしまい、全体としてよいこ
   とはあまりありませんでしたね。

 バッハおじさんとわたしは、プロ野球のパ・リーグのチームオリックスファンなのである。ともにその前身となっている阪急時代からのファンであるから、ほとんどダークなファンである。わたしは、限定版の阪急本を貸してもらっては、昔をなつかしんで涙し、またいまでこそヒップホップファッションでカッコつけてるイチローだが、田舎臭さまるだしの赤ら顔の鈴木一朗時代に「あいつは黒い。やるかも」と、なんだかよくわからない言葉を発し「イチローを見守る会」を結成し、毎日「フライをとった」「バットを振った」「走った」「転んだ」「笑った」「泣いた」と一挙手一投足に「いらぬ心配」をしたものだ。そして、ともにフェラーリを愛し、したがって、現在のパイロットであるシューマッハも応援している。おじさん自身も車や飛行機など、スピード好きで、若いころは大分飛ばしたらしい。
 
   ところで、前にいっていた掘り出し物のバッハをお聞かせ
   します。CD(註1)、テープともにさしあげますので、暇な
   時にゆっくり聞いてみて下さい。アメリカの女流ピアニス
   トのロザリン・テューレックという人で、1914年生まれ
   というのですから、85歳になります。日本でも1950年代
   にLPがいくらか出たらしいのですが、その後は音沙汰な
   しで、私も名前だけしか知りませんでした。アメリカにお
   けるバッハ弾きとして有名です。一口にいって、女流には
   珍しく構成的な弾き方で、流麗というのではないのです
   が、こまかいところがよく分かるというか、ああ、こんな
   ところにこんな音があったのだ……といったような発見が
   あります。
   
 うう。だめだ。
 弱っているとき、こういう手紙は心に染みる。どうしてなのだろう。
 きっと、仕事にも生活にも全く関係ない内容なのからなのだろう。
 
 バッハおじさんの手紙は、テューレックのテクニックのこと(特にトリル=装飾音の入れ方)、解釈のこと、と多岐にわたっていた。ジャケットの写真をみると、50〜60年代のハリウッド女優といっても通るような、派手なアメリカ美人。それなのに、演奏はノン・レガート(ペダルをつかわない奏法)で理詰めで正統派。真面目一本である。
 
   テープの「ゴールトベルク」は、ともかくしっかりしてい
   ます。老齢はまったく感じられませんし、若い時のやや理
   詰めすぎるところもなくなっていて、その分、音も無理な
   く流れていきます。テクニックもなかなかのもののようで
   す。グールドのようなキレとか、晩年のリヒテルのような
   「寂しさ」といった特別な味はありませんが、正統派とし
   て、なかなかいいところにいっています。
 
 この人の「ゴールトベルク」の最初のアリアはとにかくもう度肝をぬくゆっくりさだ。この曲は最初のアリアを規範とした変奏曲集、いうなれば、リミックス集なのだが、このアリアのフレーズを解体、再構成するときに、音階やら、装飾音符やらで飾り、やたらと音数が多くなっている曲もあるのだ。おそらく、一番音数の多い曲の速度を決めてから、他の楽曲の該当部分の速度を割り出していくと、最も単純なアリアの部分は、間延びして、大変ゆっくりした速度になるということなのだ。つまり、変奏曲群全体を俯瞰して同じテンポに終始させようとするという試み、これが、この人流の構成主義なのだろう。
 84歳の時の録音であるというこの演奏は、まさにピアノ教師のそれであり、教師としての示唆にとんだ演奏である。つまり、ここからはだんだんゆっくり、ここからはだんだん大きな音に、という強弱のメリハリ、各声部の生かし方、テンポ、などが明確にされていて、曲に対する思想が明快だ。
 手紙にあった「グールドのキレ」というのは、万人が納得するところだが、わたしはバッハだと、トッカータ集(註2)にもっともその「らしさ」が集約されているように思う。彼の「トッカータ」は大変モダンであり、フーガのところなどの躍動感は絶品で、その怒涛のような疾走感は、なにやらロックやジャズを聞いているような気にさせられる。ただ、彼のパルティータ集(註3)はあまり感心できない。それはバッハおじさんも同意見で、よく「彼は合わないんだよね、パルティータと」と話したものである。
 テューレックのCDには、このパルティータが全曲入っており、バッハおじさんの助言によればこれから聞き始めるのが肝要とのこと。確かに、このパルティータはたいへん深遠なものがある。なにも奇をてらうことなく、正攻法でテンポもゆっくり。なのに、哲学的な味がある。純粋、というかなんというか、演奏者が、演奏者としての色を極力抑え、透明に近いまでに薄めた結果、バッハの楽曲としての霊的な部分がじんわりとあぶりだされたとでもいおうか。聞いていると、楽譜が立ち上がっていくような錯覚に陥る。特に、「フランス風序曲」は素晴らしい。曲のもつ哀愁とひやりとした質感が、俗世を越えたところに聞くものを導くようだ。
 手紙の「リヒテルの晩年の寂しさ」というのは・・・これは彼の晩年のバッハの「イギリス組曲」のCD(註4)を指しているのだが・・・演奏者の思想が楽曲に色濃く反映されていて、その意味ではテューレックと好対照をなしている。このCDは、ジャケットからして、老境のリヒテルが寒そうな場所をとぼとぼ歩いている後ろ姿、という哀愁をそそる情景なのだが、演奏は絶品なのである。一枚通して聴くと、「俗世の悲哀」というものをあらためて考えさせられるしくみになっている。このCDはバッハおじさんが、以前わたしに興奮して貸してくれたもので、彼が還暦を迎えるにあたって、心を打つものがあった、ということだ。わたしはわたしで、孤独感とか、寂寥とか、悲しみとか、そういったものをこの演奏から感じ取り、めそめそしたいときにかけたいCDリストに加えたものである(もちろん、CDはおじさんにお返しして自分で同じものを買ったのである)。
 しかし、老境にいたった達観というより寂寥感がまさるというのは、何なのであろう。それがわかったのはそれからしばらくしてからであった。
 実は、リヒテルが亡くなった時、フランスの中道高級紙ル・モンドに約半ページにわたって、リヒテルの生涯についてつづった論説が掲載されていた。そこには「リヒテルはホモセクシュエルだった」という記述があったのだ。それによれば、リヒテルは声楽家の女友達がいて、その人と(おそらくカモフラージュの)結婚をするはずだったが、結局果たされなかった、とある。その女友達もリヒテルがホモセクシュエルだということは承知していた、というのだ。彼はソ連時代を通して亡命せず、ソ連にとどまり演奏活動を続けた演奏家である。チャイコフスキーの男色も最近まで重大機密とされ、公式には明らかにしなかったお国柄である。彼のセクシュアリティと当局や当時のソ連社会と上手くやれるはずがない。しかし、表面的には、というか極東のファンレベルでは、彼は一見当局と友好的に折り合いをつけ、うまくやっているように見えたわけなのだが、実際は大変孤独で、悩みが深かったのだという。
 
   それから、びっくりしたのは最近出たポリーニのショパン
   「バラード集」(註5)。放送で聞いただけなのですが、驚きまし
   た。最近彼氏はステージでは結構ミスもするのですが、レ
   コードだけはさすがに凄くて、あの速さときたらどうなっ
   ているんだろうと、感服しました。
 
 おおお。ポリーニ。そういえば、銀座の大きな宣伝用のスクリーンにポリーニ先生の御真影が一瞬掲げられて、美麗なるジャケットでならすhyperion収集家の私としては、「グラモフォンのジャケットってだっさーい。どおしていつもあーなの、ツン!」って思っていたのだけれど、そんなに凄いんすか。じゃ、ジャケットがへんちくりんなのは目をつぶって、早速聞いてみましょう。
 といって、少し熱が下がってから、レコード屋によろよろ行き、購入したのだった(で、また熱を出して、流動食に逆戻りしたのだった)。たぶん、目の充血と、ぼさぼさ頭の土気色の顔の客に、店員の頭の中には非常ベルの四文字がよぎったにちがいない。
 
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ショパンは男臭い奴である
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 ショパン。彼ほど世間から誤解されている作曲家はいないだろう。

 ショパンの泣き節、軟弱、少女趣味、お嬢さん芸。
 通はショパンなんか聞かん。
 確かに、そういう面もある。これは、たぶん、商店街のBGM(ノクターンop. 9-2)とか某胃薬のCMおよびバレーのレ・シルフィード(エチュード)の功罪であろう。とりあえずポピュラーにはなったが、ある一面のイメージのみ突出して知られたに過ぎない。まあ、ロックなんかでもそうだが、ルックスが良くて、美しいメロディーラインを書ける人というのは、こうした誤解と戦う宿命を背負っているのであるが。
 わたしは、ショパンほど、武骨で粗野でクレイジーで男っぽい作曲家を他に知らない。なにしろ、彼の楽曲を弾くには、筋力トレーニングが欠かせないのだ。とくに上腕、背筋、腹筋の、である。さもないと、こっちがぶっ壊れるのは必至である。
 いや、これはひょっとすると、ピアニストやピアノ音楽全体に対する、誤解を代弁しているのかもしれない。
 わたし自身のことをいえば、ピアノの「おけいこ」をはじめて30年以上になるが、一体何回他人に「お嬢さん趣味」はたまた「優雅」さらに「お上品」な趣味といわれたであろうか。
 確かに、ベートーベン以前の楽曲群はそれで通ったかもしれない。しかし、ベートーベン以後のロマン派、印象派、はたまたロシアの一連の19世紀〜20世紀初頭のもの、戦後の南米物などの、華麗にしてロマンチックな楽曲群は、体がしっかりしていないと、メリハリのない、なんだかよくわからない仕上がりになってしまう。そのうえ、曲にもよるが、所謂「ピアノらしい派手な曲」というのはだいたいドラマチックにして大音量のところが必ず用意されている。しかもそれが延々数分間続くこともある。全体の演奏時間も長い。
 実は、ピアノ向きの体というのがある。
 バイオリンを習う前に、小指が短いとまず断られるという。バレエだと、足の中指が親指より長いと、トウ・シューズでつま先立ちができないので、やはり駄目らしい。
 ピアノは体つきでおけいこを断られることはないが、それでも有利な体つきというのがある。
 まず、指の長いこと。上半身がでかいこと。上腕が太いこと。腕が長いとなお良い。足も結構踏ん張ったりペダルを踏み続けたりするので、あまり華奢ではいけない。
 名のあるピアニストはだいたいこの条件を満たしているはずである。これはロックやジャズでも同じである。
 以前みたキース・エマーソンなど、まさにピアニストになるために生まれてきたような体であった。背筋のもりあがりや上腕の長さなど、ほれぼれしてしまった。座席のまわりに私のようなピアノ小僧がたくさんいたのだが、みんな、演奏だけでなく、その体格を口々に褒めそやしていた。ピアノ弾き羨望の肉体、とでもいおうか。ホロビッツじいさんなんて、でかかったこと、でかかったこと。関係ないが、鼻の穴まで巨大であった。老人というのに、上半身の立派さはため息が出た。女だと、マルタ・アルゲリチが理想的であろう。あれくらがっちりしていないと、やっていけない。いや、一流を極めていったらあの体つきになったともいえる。
 ピアノは、なにしろ楽器が大きい上に、音量の幅が大きいのである。
 小さな音を出す、というのは、実はとても高度なテクニックがいるのだが、これは体の大小にかかわらず一生懸命練習すればある程度できるようになる。しかし、大きな音はやはり、それなりに体が大きいほうが楽なのである。体の小さい人は、練習法や弾くときの奏法や体のフォームなどなど、それはそれは苦労しているようだ。
 大きな音を出すにはどうするかというと、指や腕に力をいれてはいけない。硬直してしまって、指が動かなくなって早いスケールなどが弾けなくなるからである。では、どうするかというと、脇をしめ、腹に力を入れて、足を踏ん張り、上半身から鍵盤に乗っかるように体重をかけるのである。まるで『あしたのジョー』であるが、和音の時は指でつかみ取るようにして、打つべし、打つべし・・・と、一口にいってもこれがなかなか大変である。連打したり、早いスケール(音階)などもやるから、腕や指の使い過ぎで腱鞘炎を起こしたりする。しかし、筋肉がきちんとついていれば、回復も早いのだ。
 実は弾いているとき、ところどころで無呼吸状態になることがある。ひどいときには4ページ分息をしていない、なんてこともある。そのうえ腹に力をいれて、踏ん張って乗っかって「殴打」しているのであるから、これは完全に無酸素運動である。だから、演奏家はだいたい、運動選手のようにコンサートの時間から逆算して食事などを充分に取っているはずである。そうしないと、スタミナがきれて、ハンガーロック(自転車選手などがスタミナ切れでペダルを踏む力が突然なくなってしまう状態)になって、コンサートのラストで失速、なんてことにもなりかねないからだ。
 そんなわけだから、一曲弾くと夏なら汗だくである。ピアノ教師に筋力トレーニングを強要されることはないが、男性ならともかく、女性の場合、やらないと大きな音を出すことはできないし、長い曲を通して弾くことは無理だ。つまり、スタミナ切れして曲を弾く以前に曲に負けてしまうのである。
 ショパンの曲というのは、メロディーラインがキャッチーで覚えやすく、美しいので特に誤解されやすいのだが、実際に弾いてみると、例えばソナタなんてものは、体ができてないと、完奏はまず無理である。
 
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間違えない人
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 ポリーニ先生の話であった。わたしのポリーニ歴はあまり長くない。といっても一番最初に「見た」のは、一番最初のピアノの先生のお宅の息子の部屋にポスターが貼ってあったので20年以上前のことだ。となりにドラクロワのショパンの肖像の複製画(何のことはないポスターだ)が貼ってあったから、彼がショパンコンクールで優勝し、姿をくらまし、劇画のごとく鮮烈に「楽壇」に戻り、ほどなくして来日した頃の写真だろう。わたしは、現在まで合計三人の先生に習っているが、この先生には5歳のときから高校を卒業するまでお世話になった。息子さんはわたしの一つ下であったが、音感が良く、結局音大まですすんだが、小柄な体格だったためピアニストの道をあきらめ、結局大学院で楽理のほうを修め、現在は中学の教師をしている。ピアノの腕の差はいかんともしがたい(モチロン彼の方が数百倍上手い)が、体格はわたしのほうががピアノ向きという皮肉から「才能もないのに、体格はピアニスト」とかしょっちゅうからかわれたものである。いやはや、全く反論できない。しかし、体格面で苦労をしなかったので、趣味とはいえ三十年以上も続いたのではないかとも思う。やはり、指が短かったり、上半身が華奢だったりすると、それだけで情けなくなるように作られている楽器なのである。そのへんのコンプレックスがなかった分、続けられたのかもしれない。
 いや、まてよ。実はコンプレックスの解消の材料になっていたのかも。
 実は、わたしは、高校一年生の初っぱなに大けがをしたことがあるのだが、その時、レントゲンをとった医師が、わたしの並外れた胸骨の大きさにおどろきあきれ、「こんなのは、みたことがない。ギブスは成人男性用でも果たして間に合うだろうか」とつぶやいたのだ。それを聞いた看護婦が「どれどれ。わーすごい」と驚き、そして、みるみる驚きの輪は病院中に広がり、みんなが見に来てしまったのだ。わたしが大変傷ついたのはいうまでもない。なにしろ、それまでそんなことを気にかけたことはなかったのだから。
 その後、巷の日本男児が、わたしの並外れた体格をみては、侮蔑の表情を浮かべるのに気がつくようになった。
 曰く「たくましい」「体格がいい」「男顔負けだね」。
 なにしろ、日本の男は抱きしめたらつぶれるような胸(でも乳房は大きいほうが良い)が好きだから、わたしのような胸骨の持ち主は女としては失格というわけだ。そのうえ、実生活でもたいへんである。なにしろ、ブラジャーがないのである。また、ブラウスなども、腕が長いためボタンがはまらない。7分丈になってしまうのだ。日本の服というのは、とにかく既製服のサイズの幅が異様にせまいのである。わたしは一度でいいから、デパートの既製服の婦人物ブラウスというものを着てみたい! まあ、ブラウスは、男性物でなんとかなるが、ブラジャー探しはいつも大変だ。
 こんな困った体だが、ピアノを弾くにはとても役に立つ。毎日少しばかりダンベルでも持ち上げていればピアノ向きの体の出来上がりである。世間では体格的にコンプレックスを感じさせられている自分が、楽しい気持ちになれるのがピアノを弾くという行為なのだ。
 さて、先生の息子さんとは歳がほとんどかわらず、ピアノも一緒に始めたので、発表会などではよく連弾をさせられた。で、その練習のときにポリーニのポスターをみたのである。
 「なおちゃん、これだれ?」
 なおちゃんとは、その息子さんのことである。
 子供といっても、ピアノをやっているのでショパンの顔は知っていたのである。しかし、ポリーニの顔はわからないのできいてみたのである。
 「ポリーニっていうイタリアのピアニストだよ」
 「どうしてここに貼ってるの? 好きなの?」
 「だってね、この人、凄いの。間違えないんだよ」
 「へえええ。凄い」
 子供の会話である。
 
 それから、わたしの脳には、ポリーニ=まちがえない凄い人、ショパンといえばポリーニ、と擦り込まれたのであった。
 そのあと、私はポリーニのよい聞き手ではなかった。思春期の頃はどちらかというと、グールドに熱をあげた方であった。グールドが弾く楽曲については、いろいろ比較をしていたが、グールドはショパンを弾かないし、わたしはその頃(といっても今もだが)バッハ、特にカンタータに傾倒していたので、あまり興味がわかなかったのだろう。それに、その頃、ちょっとショパンには食傷気味になっていたのだ。
 ショパンのワルツはきれいな曲が多いが、深みや複雑さに欠ける。かといって、簡単かといえばそうでもない。ピアノをやっていると、大音量で華麗でかっこいい曲を早くやりたくなるのだが、高校生くらいまでは、そのような曲は、技術的な理由だけでなく、成長期で「筋肉ができてない」ので、やらせてもらえなかった。趣味でやっているのに、無理して腕をこわしてもしょうがないのである。それに、その曲を弾きこなすためには、バッハの二声と三声のインベンションやら、かなりつまらない練習曲やら、所謂「ソナタアルバム」など、通らねばならぬ道というか、マストアイテムが結構あるのである。だいたい、ジャズやロックに行った人も、この辺まではとびとびでもクリアーしているはずである。
 ポリーニはショパンだけを弾いているわけではないが、最初の印象がショパン弾きというものだったため、さけてしまったのかもしれない。また、当時の興味もロマン派をすっ飛ばして、すでにフランス趣味があったらしく、フランスの印象派と呼ばれるラベルやらドビュッシーやらをもっぱら聞き込んでいた。カザドシュ夫妻のレコードは、中古盤屋でほとんど手にいれていたし、フィリップ・アントルモンなども好きだったが、特にお気に入りだったのはブラド・ペルルミュテールだった。

 ペルルミュテールは、ある意味ではホロビッツと同じくらい凄い人である。

 というのは、彼はラベルの最晩年に直接ラベルの楽曲の手ほどきを受けているのである。そういう意味では、ラベルの楽曲に関しては、ある規範となるべき演奏をしているのではないかと思う。同じように、ホロビッツは、彼が9歳だったか11歳だったかのころ、スクリヤビンに演奏を聴いてもらっている。ホロビッツの場合は、ピアニストとして生きるにはどうしたらいいか、というような観念的なアドバイスを受けたようだが、ペルルミュテールの場合はレッスンを受けたのだから、ホロビッツより凄い、とも言えるかもしれない。

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わたしが、スタンダードだ
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 そんなわたしが「ポリーニ凄い」と思ったのは、やっぱりショパンの演奏だった。(註6)
 ソナタの2番の第4楽章でぶっとんでしまったのだ。
 ショパンのソナタの2番は印象的な第1楽章、むちゃくちゃ有名な葬送行進曲の第3楽章とポピュラーな要素が多いのだが、第4楽章はまるまる右手と左手のユニゾンでの昇降というべき変則的なスケールの羅列で、ショパン特有のキャッチーなメロディーなどなく、音量の大小も乏しく、まるで雲の中やカオスの中をさまよい歩く霊魂のような曲である。ショパンによれば「右手と左手がおしゃべりをしている」曲(!)なのだそうだが、掛け合いで話しているわけではなく、同じことを右と左でずーっと、のべつまくなし「ささやいて」いるのだ。はっきりいうと、なんだかわけの分からない曲、なのである。(もしできることなら、バレエで振り付けしてみたいものである。右と左のダンサーがまるで同じ動きをする、という・・・山岸凉子の『アラベスク』のなかの創作バレエのミラージュだな)
 したがって、ごにょごにょやっているうちにいつのまにかおわっている、というピアニストにしては聞き映えのしない、労多くして実りの少ない曲、とそれまで思っていた。
 しかし、ポリーニのそれは、もの凄い。一音一音が、弱音のなかで、はっきりと聞こえるのである。
 まるでさらさらとしたきれいな砂粒を、陽に透かして一つ一つを上から落としながら「ほら、この砂粒、一つ一つ、色や形がちがうでしょ?」と、言われているようである。そして、カオスの様な曲であったから、そこに論理などあまりないように思っていたのだが、ポリーニの演奏では、そのカオスの中に、しっかりと起承転結が存在していることを明確に示したのであった。わたしは彼の演奏で、この曲の本来の姿を知ったように思った。それほど彼は楽曲をみごとに解体し、読みくだして聞き手に提示してみせたのである。
 技術的なことをいうと、右と左のユニゾンというのは、同じ旋律をオクターブ違いで奏でる、ということである。これは、素人目には大変簡単に見えるが、実はとてつもなく難しいことなのである。右手と左手では、人によって利き腕というものがあり、そちらの方の手がどうしても強くなってしまう。また、左右の指のつきかたは体の正中線をへだてて対称になっている。だから、同じように右にスライドさせるにしても、指使いは右と左は異なって弾かなければならない。ユニゾンであるから、どっちかがみだれたり、違う音を触ったりしたら、ゲームオーバーである。しかも、小さい音で、というのは大変な困難をともなう。小さい音で粒をそろえて弾く、ということは、職人的鍛練と、精神力のいる行為なのである。それが、ワンフレーズなら、なんとかなっても、75小節も続くのである。しかもたいへんなスピードで。ゲームでたとえるなら、ファミコンで(つまり、途中でセーブできない)スーパーマリオをたったひとりだけ使って、猛スピードのハイスコアでピーチ姫のところにたどりつかせるというほど、スリリングなのである。
 したがって、ピアニストはゲームオーバーを回避させるために、しばしばこの楽曲の音面を追いかけるのに必死になってしまい、曲の意図と演奏者の思想を聞き手に明らかにする、という芸術家としての使命を置き去りにしてしまうことになる。
 しかし、ポリーニの演奏は、この悪魔的な意図をもった、凡庸なピアニストをあざわらうかのような曲をなんなく料理し、さらに、弾きながらこちらを向き「ほら、どう? こういうふうに言いたいの。わからなかった? あなた、ばかじゃない?」と片一方のまゆ毛をあげて流し目をよこし、にんまりとしているようなのだ。

 おそれいりました。

 普通、ソナタ、というのはソナタ形式というのがあるくらいで、かなり形式的な作り方がなされている。また、一般的に、ソナタを演奏するときは、とにかく楽譜に忠実に、休符の長さ、テンポ、強弱などの指示を守って弾くことが原則である。他の種類の楽曲にも指示は書いてあるし、それに従うのだが、ソナタの場合、演奏家としての表現の自由度が少ないのである。なぜかそういう仕組みになっているのだ。だから、ソナタばっかりやってると、己の頭を押さえつけられているようで、たいくつでたいくつで仕方なくなる。
 ショパンの楽曲は、構成的にがっちりしているというよりは、即興的に作られたような、比較的演奏の自由度の高いものが多く、それが特色になっている。その分、楽譜に書かれている以外のこと、演奏者のセンスというかエスプリというか、そういうことが演奏の出来に少なからぬ影響をおよぼす。美しいメロディーラインによって、演奏者の感情、情感、叙情、こういったものが、過剰に反映されるのであり、演奏家としては所謂「行間を読む能力」が要求されるのだ。
 したがって、同じ技量のものなら、その奏で方でセンスのよしあしを問うよい試金石になるともいえる。
 ショパンのソナタも、やはりベートーベンやモーツアルトのそれと違い、構成ががっちりしている、とはいいがたいが、なぜかソナタと呼ばれている。ベートーベンやモーツアルトのソナタは、例えば三楽章まである楽曲でも、それぞれの楽章がテーマやメロディー、コード進行、リズムなどで何らかの関連性、つまりあるつながりをもっている場合が多い。
 しかし、ショパンのソナタはそれぞれの楽章が独立した曲のような作りになっていて、ソナタというより、組曲という感じになっている。
 ショパンはソナタを3つつくっているが、有名なのは二番と三番である。一番は彼の学生時代の曲で、習作の域を出ないだけでなく、死後出版されたため、実際には勘定にいれず、二番と三番だけをソナタとみなして論じることが多い。ここでもそれを踏襲したいと思う。
 この二曲はそれぞれ四楽章ずつあるが、どちらの曲も四つの独立した曲を無理やり一つにまとめたという感が強い。正確には、三番のソナタは最初から四楽章のソナタとして意図してつくられたものなのだが、三番もどこに共通項があるかといわれれば、どこにもない、と言わざるを得ない。そういう意味ではかなり形式的自由度の高いソナタということができよう。しかし、その曲順は見事であり、人気ピアニストとして、リサイタルをしていたショパンの成功を忍ぶことができる。
 わたしは、この二曲をショパンが「ソナタである」といっているのだから、形式はどうあれ世間も「ソナタ」だとみなしているととらえていた。しかし、やってみると、やっぱり「ソナタ」なのだと合点が行くのである。それは、なぜかということを少しずつ述べたいと思う。
 ひとつひとつの楽章はどちらかというと、即興曲のようなつくりになっている。なぜ、そう言い切るかというと、全体を流れるキャッチーなテーマというのがいくつか存在するのだが、それをささえるリズム体、和音などの構成は、そのテーマが出てくるたびにほんの少しだけ異なるのである。その異なり方は、かなり巧妙で、聞き手にとってはどうでもいいようなところが違っているのである。聞き手でその違いを認識できるとしたら、相当耳のいい人か、専門的な訓練を積んだ人、何度も何度も繰り返して聞いた人ということになる。これがブラームスあたりだと、同じテーマに異なったリズム体や和音がついていても、かなり論理的なので、理詰めに考えれば、ある法則性を見いだすことが出来、だいたい意図したことがわかる。しかし、このショパンのソナタの場合、その異なり方は単なる思いつきといわれても仕方がないほど論理性に乏しい。なのに、音のひとつひとつの存在はまるで座標軸に最初から印をつけられていたように的確なので、もし演奏者がそのへんをいい加減にやりすごすと、かなり間の抜けた曲になってしまうのである。だから、弾き手の方は、非論理的に展開するそのほんの少しの違いを全部認識し、覚えなこまなければならない。つまり、その音のつながり、和音のつながりひとつひとつを、まるで不規則動詞の活用でも暗記するように覚えるはめになるのだ。
 よく、リストとショパンがその難解さにおいて対比されるが、聞き映えや、消費体力は両方タメをはっていても、演奏者側からいうと、ショパンの方が難解なのではないだろうか。リストの曲というのは、技術的に難解なことにはかわりはないのだが、構造的にはわりあい単純な作りなので、何度か練習していると、その音のつながりを手の方で覚えてしまうのだ。しかし、ショパンの方はそうはいかない。テーマのメロディーが美しく聞きやすいので、聴いている分には充分華麗で感動的なのであるが、実は水面下にどたばたと非論理的なトラップがかけられている。まさに湖上の白鳥は優雅でも、水面下は藻が一杯という様相をていしているのである。演奏者泣かせというか、弾く側からすると「なんで、ここにこんな音がくるの?」ということの連続。しかも、前述したようにこの曲は楽譜に書いてあることを忠実に実践しないかぎり、その曲の本当の姿が現出しないしくみになっている。その音のつながり、休符、指示など、あらゆることをないがしろにできない。つまり、演奏的自由度が少ない作りになっているのだ。
 とにかく「書いた通り弾け」、そういう作りになっているところが「ソナタ」と題されている理由なのだと思う。
 さきほど、ポリーニの演奏を砂粒にたとえたが、このソナタの音をひとつひとつを砂粒にたとえれば、彼は、その砂粒のひとつひとつの形状や色、形、そして、どうしてそこにあるのかといったその存在意義まで熟知しているかのような演奏なのであった。音楽に感情や情感というものが存在するとすれば、このソナタには「それは不要だ」とも言い切りかねない絶対なる自信。楽譜にあること、そこにあることの現出が全てといわんばかりの身もフタもない結論。
 ポリーニはショパンの意図を見抜き、楽曲そのものを「素」で表し提示したのである。楽曲そのものの複雑怪奇な音の羅列にだまされることなく、その向こう側にある本質を見抜いているのだ。
 そうかといって、感情的な爆発はまったくないか? といえばそんなことはない。ちろちろと炎のようなものが見え隠れし、勘所では、躊躇なく爆発させている。全てをばっさりと割り切らず、曖昧なところを残し、弾き手としての色をだす。そこが、芸術の複雑で美しいところなのだ。そういうこともポリーニは熟知している。
 まるで
 「わたしが、スタンダードだ」
 とでもいいたげだ。ちくしょー、かっこいいぜ。
 ポリーニはショパンに出されたクイズの答えがわかったとき、「ユリイカ」とかなんとか、ご発声されたのだろうか?
 とにかく、かようにショパンというのは悪魔的な作曲家なのである。病弱だったとか(とにかく弾くのには体力がいる)、繊細で純粋で夢見がちな美青年だったとか(それにしては意地悪な楽譜で、超暴力的だ)、そんなことににだまされると、とんでもないことになる。
 しかし、ポリーニはそんなショパンをやすやすと征服したのだった。

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バラード、歌います。
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 さて、熱とダサいジャケットにくらくらしつつも、ポリーニのショパンのバラード集を手に入れた。ジャケットはダサいが、曲は美しい。
 ショパンは四つのバラードを作っている。どれも名曲である。それぞれ、テーマをいろいろなアイデアで展開していく、変奏曲のような作りをみせながらも、ドラマチックであり、そして、ショパンにしては構成ががっちりしている。バラード、というのもだてにつけられた訳ではなく、まるでナレーターか何かがある物語を語る、あるいは、人が会話しているというようなつくりになっていて文学的な香りも高い。だから、聴き手も演奏を聴きながらいろいろイメージを膨らませることができるし、演奏家も自分なりのストーリーを考えて弾くことが可能だ。
 わたしもこの四曲はおけいこでさらったことがあるが、弾くにあたって御多分に漏れず、以下のような架空のストーリーをこさえさせていただいた。これをアナリゼというのだが、ピアノのおけいこでは、楽譜上のテクニックや指示に関することの分析以外に、こうした心理学のようなこともする。実際には、ここのところはトランペットみたいな、とかハープみたいなそういった話がでたり、絵画的な情景を話すこともあったり、こうしたストーリーを話すこともある。その時、ここのフレーズはこんな会話で、というような具体的なことをいうこともある。
 わたしは先生と茶飲み話のように、ピアノをはさんでこうした会話をするのがとても楽しい。

●バラード一番
これは、失恋の繰り言である。恋人のいさかいではなく、顛末を語っている、という風にとれる。語り手は女性、聴き手は男性である。冒頭は「実はさあ」ではじまり、だいたいの顛末が語られる。(冒頭はショパンによると、朝日ののぼる様子なのだそうな。だから、力強く、希望をもってどっしりいかないといけないらしい。しかし、そのメロディーは一抹の不安をかんじさせる)そして、良かったときの楽しい思い出、孤独な繰り言、そして「なぜ自分がこんな目にあうのかまったくわかんないわ」そして「笑っちゃうわよね」で、泣きがはいって、ラストは、一気にまくし立て・・・で終わる。ご苦労様。

●バラード二番
これは、ショパンからテーマが御題目として掲げられている。
ショパンの祖国ポーランドの戦争と平和である。美しい導入部のあとにさかまく暴力的な嵐は、戦車や戦闘をイメージしているという。だから、わたしの創作の余地はあまりなかった。でも、バジル大作戦とか、Uボートとかそういうわたしの好きな戦争映画を思い浮かべながらやったところもある。

●バラード三番
これはおとぎ話の世界、もしくはわたしの大好きなルイ・マル監督のジャンヌ・モローがでてくる映画LES AMANTS(レ・ザマン)の世界だ。大邸宅の夜の庭の闇にまぎれて窓辺で会話する男女。詩の暗唱ごっこが、いつしかそれぞれの魂が近づいていく暗喩となる。森に分けいり、そして川で船遊び。華麗な和音の響きが情熱を、軽やかなスケールが涼やかな風を思わせる。そして、ラストは、恋に舞い上がった二人が、それまでの生活を捨て、手に手をとって旅立っていくのだった。完。(おお)

●バラード四番
これをさらっているとき、F1レーサーのアイルトン・セナがイモラのサーキットで亡くなった。だからというわけではないが、わたしはセナの曲と呼んでいる。冒頭は理詰めでこちゃこちゃこちゃこちゃドライビングや整備や己の哲学について語るセナ。ちょっと陰りがあり、きまじめで繊細。中盤は毎年変わるガール・フレンドとのオフの遊びっぷりである。海でヨットを浮かべ、優雅に遊ぶセナ。ラストはサーキットに散るセナである。

 かような物語を、ポリーニが考えているとは思えないが、果たしてその演奏は、というと、バッハおじさんが言うように、とにかく速い速い。音色も冷たく、人が語っている、という風にはとても聞こえない。
 一番、二番に関しては特に、冷徹さが際立つ。しかし、ただ淡々と楽曲をこなしている、というのではなく、計算された冷徹さ、というのか、聴き手に感情移入することをゆるさない。
 バラードの録音はそれこそ星の数ほどある。わたしがしたような、いい加減な解釈も可能なことでわかるように、あらゆるパターンの解釈が可能だ。わたしの好みでいえば、ペルルミュテールのもの(註7)がいちばんしっくりきた。
 ペルルミュテールについては、前に少し触れているが、もう少しくわしく述べる。彼は1904年、ポーランドのコウノ生まれ。パリに移住し、モシュコフスキー、コルトーに師事している。25〜27年にはモーリス・ラベルに彼の楽曲全てについて直接指導を受ける。ラベルはまだまだ元気であり、彼に微妙なテンポの揺れ、弾くうえでの正確な速度、音色について、細かく指示を与えたという。ラベルのピアノ曲は、オーケストラの曲として発想されているので、彼はペルルミュテールに対して、具体的な楽器をあげながら、各部の色彩感を指示したという。(註8)
 ペルルミュテールの演奏というのは大変思慮深いもので、楽譜の読み込み、解釈、曲の組み立て、音のバランス、立ち上がらせるべきフレーズ、音色など、細部に渡って深い洞察が感じられる。直接手ほどきを受けたといわれるラベルについてはもちろんだが、ショパンの演奏も単なる叙情に走ることなく、語るべきところは語り、泣かせるべきところは泣かせて、ゆったりとした余裕のなかで演奏が推移していく。そこにはホロビッツのような霊的幽玄、魔術的法悦というものはないのだが、ヨーロッパ魂というのか、ヨーロッパの空気、深い森や、木々の色彩、水の流れや風のささやき、町の石畳、教会の尖塔、人々の会話のざわめき・・・というようなものが、あきらかに東洋のそれとはちがった色彩でたちのぼってくるのである。彼のラベルは、ヨーロッパのスピリチュエルな冷たさ、という、俗世からかけ離れた霊的ななにかを、ショパンからは、人肌のあたたかみ、というか、ヨーロッパ言語のイントネーションのさざめき、人生の喜びや悲しみなどを感じとることができる。
 ペルルミュテールのショパンのバラードもその系列に属している。それぞれの楽曲が彼なりのストーリーにまとめあげられ、きっちりとした世界観のなかで完結している。彼はそのためにそれぞれの声部に役割をもたせ、語らせる手法をとっている。したがって、高音、低音で男女が会話しているかのようなイメージになっている。テンポもあまり速くなく、音色もしっとりした暖かみのあるものである。聴き手は彼の語りのひとことひとことを味わうことができる。
 それに比べて、ポリーニのバラードは、聞いているものに、とにかく硬質でするどい音の連射を浴びせつける。その快感たるや。しかも、憎いのは、どんなに早く弾いても、音が濁らないところである。正確無比。楽譜通り。ごまかしは一切なし。冷たいさえざえとした透明度抜群の摩周湖に石を投げたら、波紋はかくもあろう、という冷徹な輝き。まるで、コンピュータ言語の配列の美しさを思わせる。

 叙情を否定しろ! 涙は無用だ! ごたごたいうな! 慰め無用! ショパンは冷徹なのだ! 男っぽいのだ! 男は孤独だ! スピードこそ男のロマン! みよ、このプライドの高さを! 孤高にして、高潔なのだ! だっ! だっ!

 二番の戦争など、まるでシュミレーションゲームである。ゆっくりしたところは、いろいろなスペックや、条件を設定し、そして、一気にDONEのボタンを押す。スピード、破壊力抜群だが、そこに炎の熱さはない。しかし、残酷この上なく、容赦ない攻撃、攻撃、そして、殺戮。
 だがしかし。
 最初は、聞き間違いか、幽霊かとも思ったのだが・・・
 このおっさん、歌っている。
 叙情の泣きのところはもちろん、最も盛り上がる大音量のところで、歌っているのだ。
 ポリーニ弾き語り。
 バラードの音数というのはとにかく多いので、盛り上がるところの音量たるや凄まじい。弾いている本人も耳ががんがんしてくるくらいだ。しかも、フルコン(フルコンサートピアノ。コンサート会場などで見られる、とっても大きいグランドピアノ)のフタ全開で弾いているはずである。そこで歌声が高らかに聞こえるというということは、このおっさん、相当はじけている。
 うなり声で有名なのはグールド先生である。彼はショパンはやらないが、他の楽曲でうなりまくっていた。しかし、神経をつかうところ、難しそうなところ、勘所の大盛り上がりのところでは、逆に歌っていない(いや、集中していて息をしていないのかもしれない)。
 しかし、ここでのポリーニは、ちがう。いちばん泣きの盛り上がるところで、いちばん気持ちいいところで、いちばん決めのところで叫びまくってるのである。わたしは目が点になってしまった。バラードだから歌うというのか。そんな、単純な。しかも、冷徹なその演奏姿勢からかけ離れたはじけぶりである。しかも、その歌声は、熱い。鼻歌、というよりは魂の叫びである。
 特に、三番、四番のはじけぶりはすごい。おもわず、聞いてるこっちも一緒にうたってしまう凄まじさである。
 ひょっとして、ポリーニが、ショパンから受けた今度の御託宣はこれだったのか? バラードは歌である。だから、歌おう。まさか!

 彼のこの演奏は、一曲一曲完結したイメージがあるというより、バラード四曲で起承転結するというような、ひとつのまとまりを持っているようにも聞こえる。まるで、四楽章まであるソナタのようである。そう聞くと、合点のいくところがある。
 一曲目、二曲目、三曲目、四曲目と曲がすすんでいくうちに、その叙情性の度合い、嘆きの度合い、人間味の度合いが濃くなっていくのである。しかも、その演奏は孤高、孤独、絶望感と戦っているように聞こえてくる。一曲目、二曲目で他者を廃し、拒絶し、自分一人で戦っているかのような、無彩色で硬質な肌合い。そして、三曲目では、少し色がついてきて、絶望感をはらみつつも、まだ歯をくいしばっている面持ち。四曲目では、もはや悲しいまでに鮮やかな色彩を持ち、孤独感、絶望感を、心を開き他に語りかけようとする、開かれたまなざし。
 彼はこのバラード四曲を通して、孤独との戦い、現実との戦い、そうしたものを表現したかったのではなかろうか、そんな風に思えるほど、この演奏は高潔で、熱く、真剣だ。音色も、一曲目の音色が硬質なダイヤモンドの輝きだったのが、だんだんと瑞々しい水源地の水滴のような輝きに変化している。
 彼は、全体の大きな流れを聴き手に意識させるため、あえて一曲一曲のこまかいフレーズの解釈などをわりと押さえ目にし、四曲トータルで俯瞰した時の印象をみせる、という方向をとったのではないだろうか。だから、四曲通して聞くと彼の話の顛末が理解でき、「ああ、そうよねえ。分かるわあ」というしみじみとした感じで胸が一杯になるのだ。ペルルミュテールのそれが、一巻ずつ別のストーリーの絵巻物、良質なオムニパス小説の類いであるなら、ポリーニのそれは、一編の哲学書のようなものである。どちらが良いとかそういうことではなく、表現する、ということの可能性はこのように弾き手の数だけあるのである。

 四曲目で涙がこぼれてきた。
 「楽しかったんだ」
 と、思った。
 いつしか、ポリーニの演奏と自分の境遇を重ねあわせている自分がいた。

 新聞社で、六年の間、黙々と一人戦いながら仕事をしていた自分。
 周りが敵ばかりに見えていた自分。
 慣れ親しんだ職場を放逐された自分。
 そして、新しい仲間との出会い。
 やっと心を許して働けると、心の扉を開こうとした時、
 自分たちではどうにもできない理由で
 それは終焉したのだった。
 
 仕事の突然の終焉は、ときどきあることだ。仕事が頓挫することもこの世界ではめずらしいことではない。そんなことにいちいち取りあっていたら、たいへんだ。
 でも、なぜこのように喪失感が大きいのかと考えると、それはたぶん、このチームでの仕事がわたしにとって楽しかったからなのだ。
 今や、電話で話すこともなく、メールのやり取りもない。
 こんなことは良くあることだと軽く流して笑いとばしたい。しかし、そんなことは単なる気休めにしかならない。仲間意識だけでは食べていけない。それぞれの飯の種がつぶされたという現実は重い。
 お互いが癒されるのは、会って笑って話せるのはいつのことなのだろう?
 そんな時は来るのだろうか?
 
 夕方に熱が下がった。少しだが固形物も少しなら食べられるようだ。
 今は眠ろう。とにかく、眠ることだ。

(2000.02.10)

【註1】ROSALYN TURECK I, II: GREAT PIANISTS OF THE 20TH CENTURY (93, 94), PHILIPS, EMI, 456 976-2, 456 979-2
【註2】THE GLENN GOULD EDITION 25: BACH, TOCCATAS BWV 910-916, SONY, SRCR 9561-2
【註3】GLENN GOULD 5: BACH, PARTITAS BWV 825-830, SONY, 5251-2
【註4】SVIATOSLAV RICHITER : BACH, SUITE INGLESI BWV 806-808, STRADIVARIUS, STR 33333
【註5】MAURIZIO POLLINI: CHOPIN, 4 BALLADES, GRAMMOPHON, 459 683-2 GH
【註6】MAURIZIO POLLINI: CHOPIN, SONATES POUR PIANO NO. 2 & 3, POLYDOR JAPAN, GRAMMOPHON, POCG-1120, 415 364-2.
【註7】VLADO PERLEMUTER: CHOPIN, BALLADES AND POLONAISES, NIMBUS RECORDS, NI 5209
【註8】VLADO PERLEMUTER: RAVEL PIANO WORKS VOL. 1 & 2, NIMBUS RECORDS, NIM 5005, NIM 5011
付記:ペルルミュテールもまたショパンをひきつつ、歌っております。