[2000年3月]


[3月1日]
 先月の執筆枚数は210枚、執筆お休みは8日(うち完全オフ2日)、一日当たりの平均執筆枚数は10.0枚でした。このペースを維持すれば年間2500枚、小説だけで軽く2000枚を超えるんだがなあ。今月は前半にゲラや各種イベントがあるため、後半に帳尻を合わせる予定。
 海外SF強調月間の消化数が少なかったため、今月も継続。国内作品や各種頂き物も気になっているのですが……。というわけで、サミュエル・R・ディレイニー『アインシュタイン交点』(ハヤカワ文庫SF)を読了。これはもう完全なアナログ読み。硬質なイメージ(ことに石)と音楽性が心地よかった。


[3月2日]
 掌篇小説を郵送し、短篇の第一稿をプリントアウト。ようやく同時進行している小説が三つに減る。もっとも、書き下ろし短篇集が約160枚、長篇はどちらも約100枚、まだまだ先が長いな。ピッチを上げねば。


[3月3日]
 六時よりミーコとともに徳間文芸賞(大藪春彦賞・SF大賞・SF新人賞)のパーティに出席。初対面は神林長平さん、若木未生さん、石飛卓美さんなど。いろいろな方と話をしたのだが、どうも「いまやってます」「百枚超えました」「ゲラは明日見ます」「来週送ります」といった会話ばかり覚えている。どうでもいいけど、森奈津子さんとフカサワさんはいくつか怪しげな秘密結社を作っているようだ(笑)。終わったあと、東京会館のラウンジ。瀬名秀明、岩井志麻子、東雅夫、大森望、高橋良平、北原尚彦などのメンバー。某新人賞や岩井さんの長篇の話など。さらに喫茶店のSF組に合流。部屋のキャラが立っている堺三保さんを囲んでの話など。明日もあるので、私としては異例なことにカラオケにも行かずおとなしく帰宅。


[3月4〜5日]
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコです。六時から新宿で高瀬美恵さんのWater Gardenのオフ会がありました。ミーコはママのマイコさんとカタツムリのスワーリーちゃんとクラニーをつれてうかがいました。人間は三十人弱で、クラニーの弟のブラニーとは初対面でした。市川蛇之助などぬいぐるみのおともだちもたくさんいました。一次会ではクラニー賞の贈呈式がありました。第一回の受賞者は、女性ヴォーカル部門が優さん、男性ヴォーカル部門がけーむらさん、ダンサー部門が高瀬さんでした。ミーコからクラゲのぬいぐるみを送りました。二次会はパセラ。例によっておお辛い(太田裕美カラオケ普及委員会)部屋とアニソン部屋に分かれました。クラニーはミッチーや坂本冬美を歌ってました。ミーコはくますけさんにとってもかわいがってもらいました。鯱子さんからは猫耳をいただきました。十一時半ごろからリビングバーで三次会です。クラニーは柴尾さんたちとワセミスの話などをしてました。三時すぎに四次会へ。ここで主催者の高瀬さんが限界ということでリタイア、それでも十六人残ってました。いったんパセラの向かいのカラオケボックスに入ったのですが、客引きと店員の言うことが違うのでキャンセル、結局シダックスに入りました。クラニーは猫茶さんの掲示板でワンコーラス歌われた「小樽のひとよ」などを歌ってました。寝ないで台湾に向かうSioさんなど少しずつ減り、五時四十分にお開き。トリはおお辛い(マイナス一)の「最後の一葉」でした。みなさん、おつかれさまでした。またあそんでねー。

 さて、「ダ・ヴィンチ」4月号が届きました。ミステリー・コーナーのアンケート「これぞ、名解説!」に登板しています。カップリングの妙と地味めの作品というコンセプトで選んでみました。


[3月6日]
 三種類の小説を進めて12枚……などと書いてもちっとも面白くない。
『SFが読みたい! 2000年版』(早川書房)を通読。「このミス」より脈がありそうだから、ベスト20なら狙えるかな(現にベスト10集計のときに入ったことがある)。今年はとりあえず現在執筆中の長篇(の片方)なんですが……。それにしても、『このホラーが怖い!』が明智の三日天下めいて一年でなくなり(どこにもホラーのベスト10がないではないか)『SFが読みたい!』が登場したのは多分に象徴的。2000年を境にSFの逆襲があることは目に見えていたけれども、「ホラーを投稿したくても媒体はSFマガジンのコンテストだけ」という昔の氷河期には戻りそうもないから、とりあえずジャンル的な棲み分けが進むのはOKでしょう。なお、廣済堂出版の刊行予定に「異形招待席で『死の影』第二弾」と出ているのですが、これはハードカバーに変更になっており、内容も続篇ではありません。えー、さらに、『ブラッド』から数えるとホラーだけで五冊目なので、いくらなんでも今年は出ません。田中啓文さんの書き下ろし長篇にご期待ください(と、よそへ振ってしまう私)。


[3月7日]
 一時より某検診センターで精密検査の結果説明。前回の血液検査で白血球が多すぎたらしく、再度採血。どうも去年から頻繁に血を抜かれている。結果はいちおう正常だったのだが、医者が首をかしげていたから異常な血なのかもしれない。肝心の大腸レントゲンは、ポリーブの疑いありということで半月後に内視鏡検査。当日は下剤入りの水を1.8リットル飲まねばならない。やれやれ、また拷問かよ。
 その後、神保町で各種資料を購入。三省堂で塵芥さんに二度も会ったと思ったら、ルノアールで教え子を連れた星敬さんとバッタリ。一時間ほど業界話や昔話など。同時進行中の小説の参考資料として購入したのは、中村雄二郎『共通感覚論』(岩波現代文庫)、シオラン『シオラン対談集』(法政大学出版局)、セルゲーエフ『右脳と左脳のはなし』(東京図書)、小町谷朝生『色彩のアルケオロジー』(勁草書房)、春日武彦『ザ・ストーカー』(祥伝社)、東浩紀『存在論的、郵便的』(新潮社)、河合隼雄編『無意識の世界』(日本評論社)、伊藤玲子『手づくりの和菓子』(家の光協会)、鈴木宗康『京・銘菓案内』(淡交社)、それに女性誌二冊。うーん、いったい私は何を書こうとしているのだろう?
 話変わって、「別冊文藝春秋」春号が届きました。随想欄に「連句・囲碁・ミステリ」というエッセイを寄稿しています。8枚はエッセイとしては長めにつき、なんとなく三題噺みたいになってしまいました。いきなり巻頭に載っているのでギョッとしないでください(笑)。


[3月8日]
 テアトル新宿で「発狂する唇」のレイトショー。とにかくインモラルで爽快な映画だった。ホラーではなく、オカルト・コメディ・アクション・ポルノ・ミュージカル・電波系スリラー(笑)。ことにスポット歌謡番組のパロディが秀逸。
 さて、森英俊/野村宏平編『乱歩の選んだベスト・ホラー』(ちくま文庫)が届きました。ジェイコブズ「猿の手」の翻訳を寄稿しています(「小説すばる」の初出に手を入れたもの)。『怪奇小説傑作集』を筆頭に従来のテキストはおおむね一部削除版が用いられていたのですが、これは完全ノーカット版。拙訳で真の「猿の手」に接していただければ幸いです。乱歩の「怪談入門」より選りすぐったアンソロジーで、E・F・ベンスン「歩く疫病」の本邦初訳、レアなW・L・アルデン「専売特許大統領」(横溝正史訳)、ソノラマ文庫のアンソロジーでしか読めなかったオリファント夫人の名作「廃屋の霊魂」など12篇を収録。加えて巻末のリストも充実、ホラー・ファンなら一家に一冊でしょう。
 

[3月9日]
 短篇を郵送。これで目先の締切はとりあえず消滅。常に一週間か十日前くらいに渡しているのだが、さていつまで続きますか。そのあと11枚原稿を書いてからゲラに戻る。しかし、ガソリンが切れてカラオケの練習に逃避。とりあえず次のターゲットは「deep」と「あばれ太鼓」だな。


[3月10日]
 書き下ろし短篇集「田舎の事件2(仮)」改め「不可解な事件(仮)」の五本目を脱稿(56枚)。これで二百枚を超えたから、あとは長めの短篇二本で大丈夫そうな雰囲気になってきた。よしよし。
 ビデオ「呪怨」を観る。断片的にしか説明しないホラーのツボを心得た演出で、序破急の急の部分はかなり怖い。最後がオーソドックスすぎるのは賛否両論あるだろうが、もちろん個人的にはOK。今年の収穫の一つでしょう。


[3月11〜12日]
 ゲラを進めたあと、夕方よりミーコを連れて第一回MYSCONに参加。場所は本郷の鳳明館森川別館。まず六時から井上夢人インタビュー(インタビュアー大森望)、お題はe-novelsについて。私はまったく電子出版には興味がないのだが、歯切れのいいテンポだった。最後の質問コーナーで、またネタがかぶったら大変とばかりに浅暮さんが今後の執筆予定をたずねていた(笑)。続いて名探偵の名を冠した各班に分かれ、おすすめ本の交換とクイズ大会。クイズの趣向は知識を競うものではなく妥当だったのではないでしょうか。ファイロ・ヴァンス組は控えめに一つに絞ったのが失敗だったかも。ここで全体企画が終了、どうでもいいけど(よくないか)コンベンションとしては異例なことに煙草部屋が隔離されていたためヘビースモーカーには辛かったな。企画はまずネット部屋に参加。始まるまでは小林文庫オーナーやともさん(どちらもごあいさつは初めて)などと茶飲み話、前半は参加者の平均年齢が高く「老ミス」と呼ばれる。休憩を挟んで同じ場所で海外ミステリの部屋。藤原義也さんが選んだおすすめ海外ミステリ十作は、「エジプト十字架の謎」「ABC殺人事件」「ユダの窓」「毒入りチョコレート事件」「ブラウン神父の童心」(以上、本格)「さむけ」「狙った獣」「二人の妻を持つ男」「死の接吻」「内なる殺人者」(以上、非本格)。このうち8作、本格は全部読んでいたから本籍ホラーでもさほど浮くことはないな。森英俊さんが選んだ21作をすべて読んでいたのは、三週連続で同じ場所で徹夜になりそうなMasamiさんだけでした。煙草部屋に戻ると、井上夢人さんを囲んで議論めいたものになっている。浅暮さんや市川尚吾さんなどと拝聴。ミステリの書き下ろしはまだ始動が先なのだが、書き方を劇的に変えようと思っているのでとても参考になった。
 日付変わって、古本オークションに途中から参加。ヘンリ・セシル『ペテン師まかり通る』をやっと2200円で落札。これは安かったかも。あと二冊狙っていたうち、スタージョン『一角獣・多角獣』は千街さんが初手から青天井モードで来たのでオリ、乱歩訳・ゴーチェ『女怪』は喜国雅彦さんがオリそうもなかったので五千円で断念。意外に最高額は安かった。この時点ですでに午前四時すぎ。五時から大広間で間髪を入れずに朝市が始まる。ほかのコンベンションではこの辺で寝ている人が多いのだが、始まるや否や古書展の初日のような盛況。人波がひいた頃合いを見計らって覗くとホラー系が売れ残っており、キャスリン・プタセク『シャドウアイズ』、チャールズ・L・グランド『ペットの夜』(二人はともに日本で売れなかった夫婦)、カービー・マッコーリー編『恐怖の心理サスペンス』、ジェームズ・ハーバート『鼠』(やっとサンケイノベルスの犬・猫・鼠が揃った)など、ずいぶん収穫があった。そのあと八時のエンディングまで大広間でだらだら。ミステリのイデア系の話が誰ともできなかったのが少々心残りかも。あと、ダサコンに比べるとエンディングのもうひと盛り上がりが欲しかったかな。ミスコン大将とか(笑)。というわけで、秘書と代わります。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコです。ミーコはたくさんのかたがたにかわいがっていただき、お写真もとってもらいました。わーい。ぬいぐるみのおともだちもいました。みなさん、ほんとにおつかれさまでした。またどこかでおあいいたしましょう。おわり。
 
 九時に帰宅後、四時間ほど寝てからマラソンとボクシングを観戦。坂本博之はボクシングおたく時代に生で観ていた選手なのだが、あそこまで追いこんで勝てないとは……。やはりリック吉村vs坂本博之の世界戦は夢だったか。あとはひたすらゲラの追いこみ。
 読了本は二冊のみ。J・G・バラード『夢幻会社』(サンリオSF文庫で読んだけど現在は創元SF文庫)は、抜群のツカミから展開される細部のイメージが秀逸。この螺旋を下向きにしたホラーをなんとなくいま書いているので勉強になった。ある意味ベクトルは逆だが、シルヴァーバーグ「内死」と通じるものも感じる。このあたりはツボかも。春日武彦『ザ・ストーカー』(祥伝社)はコンパクトで歯切れがよく、読み物として上々の出来。
[3月13日]
『夢の断片、悪夢の破片』のゲラが気になって朝の六時に目が覚める。分割睡眠と逃避を交えつつ深夜までやったけれども、終わらず。明日には目鼻をつけて書き下ろしに戻りたいのだが。とりあえず久々に(でもないか)あとがきを執筆、『ブラッド』の献本リストを作る。


[3月14日]
 朝からゲラ、ようやく夕方に終了。ところどころに書影を入れる方針なので、部屋中ひっかきまわして本を探す。重い段ボールをコンビニまで運び、帰宅すると「メフィスト」のゲラが届いていた。これも急ぎなんだよなあ。早く戻らないと長篇が頭から抜けそうなのだが……。
 さて、4月5日発売の『ブラッド』(集英社)の仮綴じ本が届きました。宣伝用の仮綴じ本は初めて見るので新鮮。表紙に私と秘書の写真が載っているのですが、ミーコのほうが表情豊かです(笑)。


[3月15日]
「メフィスト」のゲラを返送、ようやく家からゲラがなくなる。長篇に戻り、書き下ろし短篇集の残り二本をとりあえず起稿する。やっと読書に戻れそうなのだが、参考資料も読まねば。


[3月16日]
 夕方まで原稿を書いたあと、七時半より上野のちゃんこ料理屋で中日新聞東京本社のKさん、Hさんと会食。『活字狂想曲』や新聞校正の話、それになぜか「松沢病院音頭」など。趣味はカラオケだと言ったところ、さっそく二次会は上野のパセラ。これが近来まれに見る異常なカラオケだった。いきなりHさんが「ああそれなのに」を入れるものだから、「トンコ節」「一週間に十日来い」などで対抗、序盤は芸者しばり(笑)。しだいに懐メロしばりの時代が繰り上がっていき、戦前ならまだしもついには大正しばり(平均年齢は四十歳なのだが)、「月の砂漠」「叱られて」「庭の千草」など、カラオケでついぞ聴いたことのない曲が目白押し。初めて歌ったのは「城ヶ島の雨」(大正2年の名曲)「故郷を離るる歌」「道頓堀行進曲」「洒落男」「私の青空」など、久々は「南の花嫁さん」「支那の夜」「月月火水木金金」「ラバウル小唄」「侍ニッポン」「真白き富士の嶺」など多数。ただ、ウケたのはエノケンと笠置シヅ子の「買物ブギ」だから、やはり本質はコメディアンかも。とにかく、幻文で二十代のころにやっていた異常なカラオケを彷彿させるひとときでした。このところブルークラニーの出現率が高めだったのだが、やはりストレス解消は異常なカラオケですね。というわけで、お疲れさまでした。


[3月17日]
 昨日と同様、夕方まで原稿を書いたあと、七時から神保町のいづもそばで集英社のC塚さんと打ち合わせ、『ブラッド』の見本を受け取る。発売は4月5日、謹呈の方はさみだれ式に順次届く予定です。装幀はホラーウェイヴ叢書や魔法の本棚でおなじみの妹尾浩也さん、写真はミーコがフクロウみたいで仮綴じ本のほうがよかったかな。なお、裏見返しには初めて集英社長篇エンタテインメントのラインナップが記載されています。『白夜行』『ボーダーライン』と同じシリーズなんですが、内容的には牧野さんの『忌まわしい匣』とシリーズであることが大森さんの裏帯を読めばわかる人にはわかるしわからない人にはわからないという凝った仕掛けにはからずもなっています。
 奈良に移住した奥泉光さんが上京されていて歴史的なカラオケがあるというので、昨日の今日だがC塚さんとともに御茶ノ水のパセラへ。30人部屋貸し切り状態でまず一時間ほどウォーミングアップ。「元禄名槍譜 俵星玄蕃」はまだ完成率50%か。九時半ごろに奥泉さんといとうせいこうさん(ともに初対面)が登場。遅れて集英社の編集さんが数名、さらに遅れて大森さんが合流。いとうさんは半分本職の芸人だから驚かなかったのだが(「ワンBOXのオーナー」は秀逸)、奥泉さんのカラオケは聞きしに勝るものだった。歌もめちゃくちゃうまいけれども、特筆すべきはフルート。どんな曲にでも即興でフルートをつけるのだ。歌とフルートを全部やってしまったりするので唖然。なおかつ前フリ後フリが入る。曲が始まってからの前フリは浅暮さんで慣れているけれども、始まる前からのべつまくなしにしゃべる人は珍しい。とにかく芸達者でサービス精神旺盛な方である。で、私はひたすらフルート封じを試みたのだが、「暴いておやりよドルバッキー」にも「浪花恋しぐれ 桂春団治」にもついてくる。沈思黙考、「ちょこっとLOVE」で封じ、「レーダーマン」で完封。しかし、フルートを封じたのはあと一曲、大森さんの「恋のダンスサイト」だけだった。
 十二時すぎに小部屋に移動、遅れて新潮社のTさんが合流。最初の一時間くらいは奥泉さんの奈良話。引っ越す前はハイテンションだったようだが、いざ移住してみると案に相違したようで「坂が多い」「天気が悪い」「鹿が多い」「メシがまずい」など愚痴の連続で一同盛り上がる。その後カラオケが再開、なんとなく洋楽しばりとかバラードしばりとか。そうか、太田裕美の「振り向けばイエスタディ」ってマイナーな曲だったんだな。最後はまた奈良話で四時前に解散。いや、結構なものを拝聴させていただきました。
 さて、探偵小説研究会編『2000本格ミステリ・ベスト10』(東京創元社)が届きました。今年からアンケートに登板しています。なんだかまるで本格ミステリの人みたいな回答なんですけど。本書に限らず私はカウントされない本文中での言及が多く、いかにも特殊小説家らしくていいなと思っていたら、いしいひさいちさんの漫画に出てくるし、装幀大賞で『緑の幻影』が「ホラーで賞」を獲得してるし、海外物の座談会にも名前が出てくるし、のけぞりの連続。
 ここで少し舞台裏を明かしますと、『緑の幻影』の西村有望画伯の絵は描き下ろしではありません。過去のストックから私がチョイスしたものです。なにしろ約九割が見た瞬間に「表紙には絶対使えない」と判断がつく絵で(笑)、あれでも上品なものを選んだのですよ。画集の上梓を期待しています。『ノルウェイの森』はとくに意識しませんでした。『ポジオリ教授の事件簿』の「真昼の冒険」は思い切り訳者のツボでしたが、つい興が乗って皆の衆の会話を関西弁で訳したところ担当さんからダメが出て標準語に訳し直しました。
 内容はまだ拾い読みですけど、夏来さんはまた派手にやってますなあ……。


[3月18〜19日]
 五時間ほど寝てから江戸川区文化センターで開催されたミステリセミナーMystery's Realmへ。客層が違うかと思いきや、どのコンベンションにもいるような人の姿が目立つ。間歇的に睡魔と戦いながら後半の「古典ミステリへの招待」「山田正紀公開インタビュー」を聴く。私も試行錯誤の最中につき、山田さんがミステリにおける自らの鉱脈に至るまでの話が最も興味深かった。やはり浅暮さんと一緒にご挨拶に行けばよかったかな(なにぶん気後れがするたちなので)。終了後、見慣れた人々とファミレスで過ごしたあと、根津の上海楼に移動。これは打ち上げ合宿で50人くらい(?)が参加。歓談のあと、霞流一さんが大昔に製作したワセミスのバカ映画が上映される。飯野さんが頻繁に出てきて満足。続いて、古本市とオークション。オークションの本は全体的にミスコンより濃く、たまにツボへ来る。いくつか競り負けたものの、橘外男『青白き裸女群像』(桃源社)2000円、リリアン・デ・ラ・トア(平井呈一訳)『消えたエリザベス』(東京創元社)1300円、山村正夫編『恐怖館』(青樹社)1000円、ジュディス・メリル編『年刊SF傑作選4』(創元推理文庫)300円は収穫でしょう。歩いて15分の場所なので早めに帰るつもりだったのだが、また福井健太が飛ばしてるし結局六時までいてしまう。いろいろな方と濃い話ができたけれども、最も印象に残っているのは藤原さんから聞いた「ミステリーの本棚」の入稿具合で、完全に私だけ取り残されている。来週から土日の前半は翻訳に専念、非常時国家総動員体制とします。
 読了本はバリントン・J・ベイリー『時間衝突』(創元SF文庫)のみ(泣)。どうも私はワイドスクリーン・バロックの因子に乏しいらしく(スペース・オペラよりはあるだろうが)、先週の「夢幻会社」のような刺激は受けなかった。本籍ではないジャンルはおのずとスウィート・スポットが限られてくるのだが、自分の狭いツボを確認することはわりと有意義かも。
 というわけで、来週からは心を入れ替えてお仕事です。
[3月20日]
 本日は祝日につき前半は翻訳。ただし調子出ず。
 M・メルロ=ポンティ『眼と精神』(みすず書房)を読了(ただしインチキ読み)。参考資料になるという勘が働いたのだが、肝心の「眼と精神」は意外に使えず、併録の「幼児の対人関係」が『ブラッド』の資料に使えたことが判明。なんだかなあ……。
 さて、ジャンルにおけるハードルというものを考えてみよう。非常に大ざっぱだが、ミステリとSFのハードルはデジタル、ホラーはアナログと言えるだろう。で、基本的に私はアナログ人間なのだが、ここをもう少し分析してみることにする(あくまでも私に関して)。ホラーにおいては「(スーパーナチュラルな怪異に)理屈を付与しない」、換言すれば「意味付けをしない」「過剰な説明をしない」ことが肝要なのだが、ジャンル的なイデアという大義名分めいたものを捨象すると意外にも個人の本質が浮上する。体系・観念・イデオロギー・構築性・意味・論理のたぐい(めちゃくちゃアバウトだけど)には生理的に胡乱なものを感じており、ときには不快を催してバラバラ屍体めく断片に還元したくなる。戯れに王党派アナキストと自己規定してみることがあるけれども、それはまあ冗談として、恐らく私は遅れてきたポストモダニストなのだろう。せんじつめれば現実も人間も嫌いというニヒリズムに逢着するのだが、では私の本質は何かというと、これは差異ならぬ無数の私が戯れているばかりでよくわからないのだ。見方を変えれば、自分が何者かわからないからこそ小説を書いているとも言える(むろんプロだから媒体などいろいろなことを考えるけれども)。おかげで一日に複数の小説が書けるし、ひょっとすると天才的かもしれないのだが、天才と天才「的」の間にはいかんともしがたい断層が存在する。天才は間違っても上記のような文章を書かない。ああ、以上の文章を書いた「私」はいったいどの私なのだろうか?


[3月21日]
 百枚を超えると長篇が飛躍的に進むというのはやはり希望的観測だったようだ。実は少し焦っているのだが、書き下ろし短篇集が終盤なのでそちらのほうに気が行っていると好意的に解釈しよう。
 K・W・ジーター『ドクター・アダー』(ハヤカワ文庫SF)を読了。なかなか鬼畜でさくさく読めるのはありがたい。ただ、極北とかSF史上最も危険な傑作とか言われると、この先に鬼畜ホラーがあるじゃないかと思ってしまう。
 いささか唐突だが、黒いねばねばした水が溜まっているプールのようなものを思い浮かべてみる。ホラー作家はオブセッションが命という部分があるから、この存在は貴重なのだが、ときどき栓を抜いて黒い水を減らさなければならない。まあ古典的なカタルシスなのだけれども、うまく水が抜けるとは限らないわけで、複数の栓を準備しておく必要がある(怪奇栓とかユーモア栓とか)。それでも諸般の複雑な事情によりどろどろした老廃物めいたものが残り、重くはないが鬱状態に陥ることがある。プールの上から水をかきまぜると(カラオケやネットなど)水は一時的に透明になるのだが、揺り戻しが来て元の木阿弥になる。そこで、もうひとつ栓を用意した。連作詩集『百物語』である。綱淵謙錠みたいにタイトルは一文字で統一、これまでに同人誌に発表した作品が22作ある。あと78作だから刊行はずいぶん先だろうが、生涯にただ一冊の詩集になるはず。これで安定してくれるとありがたいのだが……。


[3月22日]
 今日は大腸内視鏡検査。まず朝の七時半に起床。遠足の前日はなかなか眠れないのと似たようなもので、睡眠時間三時間、この時点ですでによれよれである。八時から下剤を溶かした1.8リットルの水を飲み、あとは書くまでもなし。前日は蜂蜜を塗った食パン二切れとヨーグルトだけだったし、まったく余力なし状態。重い足を引きずって一時前に某検診センターに赴くと、近くで集英社のOさんたちにバッタリ会ってしまう。検査は空気を注入して内視鏡を腸の奥まで差し入れるというスタイル。なにぶんホラー作家だから、空気が思い切り入って腹がパーンと破裂するなどの光景が浮かび、最初は心身ともに実に厭な感じだった。しかしながら、内視鏡の映像を見せてくれたので急に気分がよくなる。自分の体内を見るのは初めてだからとにかく物珍しい。奇怪な肉色の洞窟めいた場所をゆるゆると進むと、鮮血を流す石が横たわっている。これぞポリーブ、「おお、犯人はこいつか!」といったところ。結局ポリーブは2個で、良性なら手術しなくてもいいようだ。今日は細胞の採取のみで半月後の結果待ち。
 さて、こういう検診を受けると、いやでも「残り時間」ということを考えてしまう(今日は八人ほど被験者がいたけれども、私以外は全員年寄りだった)。先日、「あらかじめ寿命がわかっていたら楽」という話を某作家としていたのだが、まったくその通りで、十年後にも生身の私がこの世に存在している保証はどこにもない。作家に肝要なのは孤独に耐える努力だし、残り時間はできるだけ有効に使いましょう−−というわけで、ネットのブックマークを発作的に十にまで絞りこむ(その後微増)。一日の接続時間は一時間以内、書き込みも減らします(「幻想的掲示板」はたまに書きますので>管理人様)。
 なお、体調に大きな問題があるわけではありません。どうかご心配なく。


[3月23日]
 昨日の注射の影響か右手の指がしびれるのだが、書き下ろし短篇集の6本目を最後まで書く。これで次はオーラス、来月中に渡せそうな感じになってきた。
 ジェフ・ゲルブ、ロン・フレンド編『震える血』(祥伝社文庫)を読了。断然、ロバート・R・マキャモン「魔羅」が面白い。アレンジを変えると「田舎の事件」にもなる……というふうに小説を参考文献のように読んでしまい、素直に楽しめなくなっているのはささやかな不幸かも。どうも愚痴が多いな。


[3月24日]
 気分を変えるため「夢の2DK移住計画」を発動、西日暮里の大きな不動産屋を訪ねる。なかなか愛想がよくて好印象。一軒目は田端、いきなり大家の部屋から凶暴そうな犬が出てきて減点。線路に近いのもダメで却下。二軒目は日暮里、内装はいいものの道路に面しているので再び却下。三軒目は三河島、これは寸前で入居者が決まり不動産屋に引き返す。四軒目は日暮里の場末、ここはいたって閑静な角部屋で広い。49平米だからいくらでも本が入りそう。一階がコンビニで図書館まで徒歩2分、窓から和風の銭湯が見える。管理費を含めるとやや予算オーバーだったけれども、気に入ったので決める。というわけで、来月の半ばくらいに引っ越す予定です。ちなみに、杉並区高円寺南→中野区沼袋→台東区谷中→荒川区西日暮里→文京区千駄木→荒川区東日暮里というルートですね。最寄り駅は三河島なんですが(珍しいかも)、日暮里から歩きます。
 小田卓爾『ふり返らない少女』(小池書院)を読了。平明で淡々とした筆致で綴られる「英国21人の幽霊たち」。中盤以降はイギリス留学の回想エッセイも多いのだが、こういう枯れた随筆は嫌いじゃないので心地よく読めた。


[3月25日]
 引っ越しに備え、さっそく部屋のスリム化に着手。とりあえず段ボール一箱を実家に送り、バッグ一杯の本を売る。手紙や下書き類をすべて廃棄、雑誌や値のつかない本を処分。間歇的に古本モードになるものの、私はべつに愛書家でも蔵書家でもないから、引っ越しのたびにかなり処分している。なのに、どうしてこんなに本があるのだろう?
 大多和伴彦編『憑き者』(アスキー・2000円)が届きました。話には聞いていたけれども分厚い。一瞬、京極さんの本かと思ってしまった。既報のとおり、編者と巻いたホラー歌仙「牛の首」の巻が載っています。その直後にミステリなら謎解きに相当する対談も収録されていますので、「この付句の意味は?」などと推理しながら読むのも一興かと存じます。


[3月26日]
 前半のみ翻訳。押し詰まってきたら午前中だけ翻訳モードにすれば、なんとかなりそうな感じだな。大変だけど。
シオラン『シオラン対談集』(法政大学出版局)を読了。暗い二十代のころに愛読した思想家で、ことによるとおかげで寿命が少し延びているかもしれないのだが、あるとき発作的に全部処分してしまい、読むのは久々。シオラン節のさわりだけ引用してみよう。
「体系には、あらゆる構造化された思考の惨劇がある。矛盾を許してはならぬという惨劇がね」
「神秘家の最大の試練は、遺棄の、無味乾燥の、内的砂漠の感覚です。つまり、エクスタシーの充実に見放されているということですね」
 対談だから、引用するとサマにならないな。
 さて、海外SF強調月間だったはずだが、「ホラーを読みたいモード」に変わったらしく、何を読みはじめても止まってしまう。よって、ここで打ち切りとします。来月からは夏のモダンホラーまで強調月間なし。
[3月27日]
 早起きしてゴミ出し。さらに分別ゴミに備えてひたすら物を捨てる。前回の引っ越しの後に躁状態で買ったものの一度も使わなかった包丁とまな板も処分。作るのはコンビニの袋入り野菜しか入っていないインスタントラーメンと焼きそばと目玉焼きくらいだから必要がなかった。その後、不動産屋から連絡が入り、マンション側の審査でいったん落ちたものの(確定申告が済むまで待って、内訳書のコピーまで付けたのに)、インターネットを通じてプッシュしたら保証人二人を条件にOKが出たらしい。作家って社会的な信用がないんだなあ(当然のような気もするが)。家賃は一度も遅れたことがないんだけど。
 とりあえず引っ越しの日にちを来月の10日に決め、不動産屋と連動している業者と大家に連絡。さすがに鬱状態は脱したかも。ただ、荷造りを始めようにも、床に積んである本をなんとかしないと段ボールを置く場所がない。前途多難。なお、仮契約書を見ると、2DKではなく2LDKになっていた。道理で広かったはずだ。真ん中ががらんとしていて殺風景だから、ダイニングテーブルを買ってぬいぐるみたちを置くことにしよう。明るい家庭だなあ。
 資料用のセルゲーエフ『右脳と左脳のはなし』(東京図書)と河合隼雄編『無意識の世界』(日本評論社)を読了。後者はコンパクトで重宝。
 春場所回顧。十両優勝の栃ノ花が急に強くなったのは驚き。戦闘竜の13勝、幕内では大善の9勝も意外性があった。まったく人と違うところを見てますが。


[3月28日]
 ミーコをつれて新橋のリクルートビルへ。七時より「ダ・ヴィンチ」のインタビュー。『ブラッド』の新刊インタビューなのだが、見開きということでかなり緊張しつつSさんに案内されて会議室へ赴くと、インタビュアーとして待ち受けていたのは福井健太(笑)。緊張して損した。私としてはしゃべったほうだけれども、なにぶんネタバレがこわい小説なので使えるところは限られているかも(掲載は5月6日発売号です)。終了後、新橋の蕎麦屋で福井君とビールを飲みながらべらべらしゃべる。電車で帰るつもりだったのにふと気づくと一時過ぎ、仕方なくタクシーで二時ごろ帰宅。


[3月29日]
 八時に起きてゴミ出し。間髪を入れず、翌日の可燃ゴミに備えて本と雑誌を処分。段ボールを実家に送り、バッグ一杯分を近所の古本屋に売り、床に積んであった本をすべて上げる。読み残した本の何ぞ多き。いちばん下から『13』が出てきたりするわけだ。とりあえず段ボールの置き場所ができたので、明日からぼちぼち始めることにしよう。


[3月30日]
 今日も八時に起きてゴミ出し。弟のブラニーから保証人の書類が届き、こちらはいちおう完了……と思いきや、不動産屋が書類を間違えたらしく、また別書類をブラニーに送らなければならない。実社会はまわりくどいことをやるものである。電力・水道・ガスに電話連絡。鬱状態のときは電話もかけられないから、とりあえず復調気配。その後、三種類の小説を進め、ようやく今月のノルマを達成する。夕方から荷造りに取りかかるも、二箱で嫌気がさして逃避。代わりに転居通知と名刺を手配する。なんだか引っ越し日記と化していますが、まだまだ先が長いです。


[3月31日]
 午前中、十箱分荷造り。ただ、本棚4、カラーボックス22のうち空になったのは後者の5つのみ。キッチンにたたきこんであるホラービデオも出さなきゃいけないし、計算すると段ボールは70箱くらいになるな。ずいぶん思い切って処分したのに(泣)。午後は転出届を出してから早稲田の銀行へ、通帳の更新を兼ねて住所変更届を出す。不動産屋によると、正式契約は引っ越しの当日になるようだ。ここまで来れば「こんな鬼畜な小説を書く人間はまかりならぬ」というどんでん返しはないだろう。
 海外SFが途中で止まるのはホラーを読みたいモードに変わったせいではなく、どうやら持病と化しつつある「人の小説を読めない病」だったらしい。なにぶん自分の小説で頭が一杯になっており、小説用の脳の容量が不足気味なのだ。まあしかし、小説以外にも読むものは山のようにあるわけで、この機会にと山崎正一+市川浩編『現代哲学事典』(講談社現代新書)を読了。興味のあるところだけ読んで附箋をつけ、あとは斜め読みというインチキだが、これは通読して正解だったかも。