[2000年5月]


[5月1日]
 先月の執筆枚数は170枚、執筆稼働日数20日、一日平均は8.5枚でした。引っ越しがあったわりにはまずまずかな。
 というわけで、七時に目が覚めたので連載を起稿したりして夕方までに十枚書いたのだが夜はガス欠、読書とカラオケの練習に逃避。「元禄名槍譜 俵星玄蕃」は完成へとにじり寄っている印象。よしよし。
 読了本は四冊。サンドラ・ヴォ・アン『私の中の中』(講談社)は「モスキート」も彷彿させる話だが、ちょっと鬱屈が足りないかな。前作のほうがオブセッションが強くて好み。粕谷栄市『化体』(思潮社)は危うく見逃すところだった待望の新詩集。作風にさしたる新展開はないのだけれども、とにかく親和する世界。さらに絞れば「月明」「破局について」「マーフィ」「老婆について」「転生譚」「キャベツ男の日常」あたりか。僅々百ページで2400円だが、少なくとも私にはそれだけの価値のある書物。土屋賢二『われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う』(文春文庫)は予想どおり飽きてきた。福本博文『心をあやつる男たち』(文春文庫)はいまひとつツボに来なかったノンフィクション。


[5月2日]
 仕事を始めたものの体がだるい。ようやく風邪で熱があるのだと気づき(たまにしか引かないからわからない)、葛根湯と風邪薬を買ってきて交互に服用しながら読書と睡眠。
 読了したのは三冊。恩田陸『月の裏側』(幻冬舎)の書評を執筆するとすれば、「作中に登場するしりとりがなぜ完結しないのか」が導入にいいだろう。キイワードは『夢の断片、悪夢の破片』収録の書評と同じ〈アンチ・クライマックス〉なのですが。それから、同書所収の『怪物晩餐会』解説における〈プラスのオブセッション〉も使えそう。ただ、「盗まれた街」はともかく、「火星年代記」はややあからさまかも。小池真理子『ノスタルジア』(双葉社)の体裁は恋愛小説だが、実は山田太一とも一脈通じるジェントル・ゴーストストーリーだったりする。お姉さんのキャラを生かして複雑で微妙なリドル・ストーリーに持っていく手もあったと思うけど、エンターテインメントとしてはこれでいいのかもしれない。篠田節子『第4の神話』(角川書店)も作家物で素材自体はツボ。相変わらずのページターナーぶりで一気に読ませるけれども、もう少し後味が悪ければ……というのはむろん勝手な感想です。


[5月3日]
 やっと熱は下がったので、予定どおりSFセミナーへ。レポートは山のように出るでしょうから簡潔に。昼の部の目玉は「角川春樹的日本SF出版史」。70年代はSF、80年代はファンタジー、90年代はホラーの時代、これからは再びSFの時代、第三回小松左京賞が刊行される2003〜4年あたりがメルクマールとなるらしい。「第一直観は外れたことがない」など飛ばしまくりで、さすがにキャラが立っていた。「日本SF論争史」では俳句関係のしょうもない論争やケンカを連想し、「新人作家パネル」ではその昔ファンタジー・コンベンションで同種の企画に引っ張り出されそうになったことを思い出した。いずれも私的な感慨です。合宿企画は、まず「浅暮三文改造講座」にパネラーとして参加。長時間に及ぶ綿密な打ち合わせを重ねたにもかかわらず出たとこ勝負という企画で、二十数名が参加。主賓を要所要所の発言にとどめるべく司会に小浜さんを配するという周到な手を打ったつもりなのだが、すでに浅暮さんに酒が入っており青写真どおりにはならず。ちょっと読者代表の影が薄かったし、ジャンル読者論や打ち合わせでは結構出ていたキャラ萌え読者論など、もう少しいろいろな方向へ発展させたかったんだけど(教訓:船頭多くして船山に登る)。続いて、「田中香織のなぜなにファンジン」へ。回覧用のファンジンに「幻想卵」も入っており、かなりうろたえる。ちなみに、幻想文学会が出していたファンジンは非常にわかりにくいので、この機会に年表を作ってみました。
 1978年暮  保坂泰彦(現・神宮寺元)が同級生を集めて旗揚げ。
   79年4月 第一回新人勧誘で東雅夫と倉阪鬼一郎の2名のみ入会。
        (翌月に石堂藍が入会)。
      6月 機関誌「幻想文学」創刊(ガリ版)
   80年6月 幻想文学研究季刊誌「金羊毛」創刊(コロタイプ)
      同月 「幻想文学」3号よりコピー印刷に移行
      12月 「幻想文学」臨時増刊「幻想文学必読書目200」刊行
   81年3月 「金羊毛」2号(タイプオフ)
      12月 機関誌「幻想文学」9号で終刊
   82年4月 季刊「幻想文学」創刊(現在に至る)
      同月 機関誌「幻想卵」創刊(コピー誌、52号で終刊)
   *季刊「幻想文学」創刊に伴い、機関誌「幻想文学」の名称変更。
   83年4月 「金羊毛」創作同人誌として復刊(1号で廃刊)
   *「金羊毛」が季刊「幻想文学」に発展したため、名称のみ継続。
   ほかに「幻想文学通信」も20号ほど発行(会員の個人誌は除く)。
 こうして見ると、ガリ版から商業誌まで三年しか経過していない。かなり特異な例かも。
 そのあとは余力なく、オークションも終盤に参加した程度(オークショニアーの牧眞司さんは昼から出づっぱりなのにタフだな)。すわ大石圭の世界かと一部で盛り上がっていたバスジャックが解決したころ、早めに宿を出る。お疲れさまでした。秘書と代わります。
 黒猫のぬいぐるみのミーコです。いろんな方にかわいがっていただきました。クラニーはあとで日記を読んで「あれが有里さんだったのか」といってました。合宿ではタニグチリウイチさんがもってきたウブラブとあそびました。でも、なかなかタマゴをうみませんでした。またあそんでね。おわり。


[5月4日]
 昼過ぎまで寝て翻訳や短篇などに戻るも、さながら鳥が餌をついばむような仕事ぶり。
 さて、「ダ・ヴィンチ」6月号が届きました。見開きのインタビューが掲載されています。ミーコはかわいく写っているのですが、これでは怪しすぎるかも(笑)。


[5月5日]
 午前中は翻訳、午後は長篇。長篇Aは200枚、Bは150枚をやっとクリア。コインランドリーの待ち時間に雑貨屋へ行く。確かに目的があったはずなのだが思い出せず、ウサギのぬいぐるみがついた状差しを衝動買いしてしまう。病気かも。夜は短篇二本と連載をちまちまと進めて合計12枚。
 さて、「開く」と「閉じる」というのは批評のタームとしてどのジャンルでもわりと使えて、なおかつ効果的なのではあるまいか(「開く」を優越させるイデオロギッシュな思考はダメだけど)。と書いたのは、ほかでもない。笹川吉晴氏によるe-novelsの『ブラッド』評に接したからで、自分に関してはよくわからない部分も多いからありがたい批評だった。というわけで、「東京異端者日記」の要請に応え、ちらっとフォローしてみました(笑)。


[5月6日]
 新居はJRだけで日暮里、西日暮里、三河島、鴬谷の四駅が使えるから便利ではあるのだが、困ったことにどこにもそれなりの規模の本屋がない。本読みがあまり住んでいそうにない場末の雰囲気は嫌いじゃないけれども、率直に言って不便である。そこで、最寄りの大書店と思われる上野のフローラへ調査に赴いた。確かに駅構内の書店だから近いのだが、これなら池袋へ出たほうがよさそう。付加価値を求めて試みに入谷口から出てみたものの、まったく何もない。やむなく駅へ引き返し、構内で売っていたカメのぬいぐるみを衝動買いして帰る。困ったものだ。
 本と言えば、やっとどこに何があるか把握できるようになったから、いささか忸怩たる思いをしつつも冊数を数えてみた。引っ越し前にかなり処分した甲斐あって四千冊を切っている。実家と併せても六千冊くらいだろう。蔵書はコンパクトが理想なので、ややすっきりした気分。もう床には積まんぞ。


[5月7日]
 やっと手が回ったアル・サラントニオ編「999」第一弾『妖女たち』(創元推理文庫)を読了。『闇の展覧会』再びという趣の重量級アンソロジーである。この巻では、まずベントリー・リトル「劇場」。二階の劇場と人形という琴線に触れる道具立てが嬉しい。こういう作家がそれなりに活躍しているなら大丈夫だな。続いて、ジョイス・キャロル・オーツ「コントラカールの廃墟」。顔のない怪物の感触が秀逸。もう一作はT・E・D・クライン「増殖」。なるほど、この手があったか。ちょっと悔しいかも。以上がベスト3で、続巻も楽しみ。


[5月7日]
 やっと手が回ったアル・サラントニオ編「999」第一弾『妖女たち』(創元推理文庫)を読了。『闇の展覧会』再びという趣の重量級アンソロジーである。この巻では、まずベントリー・リトル「劇場」。二階の劇場と人形という琴線に触れる道具立てが嬉しい。こういう作家がそれなりに活躍しているなら大丈夫だな。続いて、ジョイス・キャロル・オーツ「コントラカールの廃墟」。顔のない怪物の感触が秀逸。もう一作はT・E・D・クライン「増殖」。なるほど、この手があったか。ちょっと悔しいかも。以上がベスト3で、続巻も楽しみ。


[5月8日]
 アル・サラントニオ編「999」第二弾『聖金曜日』(創元推理文庫)を読了。ラムジー・キャンベル「ザ・エンターテインメント」とP・D・カセック「墓」が甲乙つけがたい。どうも人形物に弱いな。読み手のオブセッションを刺激するのはホラー短篇の王道ではあるが。もう一作はリック・ホータラ「ノックの音」。ただ、ボナンジンガなどと同様、長篇が訳されても名前で損をしそう。「キング読んでます」と「ホータラ読んでます」では響きが違う。


[5月9日]
 長篇を少し進めてから図書館へ。新聞で面白いニュースを発見する。大井競馬場のパドックで馬が暴れて厩務員を蹴り殺す−−これだけでもかなり珍しい事例なのだが、馬の名前がセンスオブワンダーというのが秀逸。「センスオブワンダーが暴れ……」と生真面目に記されているのはむやみにおかしい。その後、同じ小説で使うわけじゃないけど浴衣とイスタンブールの資料をコピーして帰宅。午後は短篇に移り、夕方から連載。結局6種類の小説の合計で11枚。相変わらず効率悪いかも。


[5月10日]
 午前中から仕事を始めようとしたのだが、心身ともに不調につきいったん読書に逃避。午後は長篇Aを推敲しながら読み返し、最後まで章のみ作成。いちおう出口は見えているのだが。
 アル・サラントニオ編「999」第三弾『狂犬の夏』(創元推理文庫)を読了。ベストはトマス・リゴッティ「影と闇」、ホラーと幻想SFの境界作だが、芸術家物は好みだしヴィジョンも面白い。なにより長篇でもおかしくない素材をこの枚数に凝縮させた心意気を買う。中篇では、南部の空気が漂ってくるジョー・R・ランズデール「狂犬の夏」のほうを採りたい。もう一作は、ややシンプルながら幽霊屋敷物のデニス・L・マッカーナン「闇」かな。
 やっと三冊読み終えたけれども、書き下ろしアンソロジーにしてはかなり驚異的に質が高い。このほかにも紹介が待たれているリサ・カントレルなどがいるわけで、下火になったとは言いながら多士済々の趣。そりゃキング、クーンツに比べたら部数ははるかに下回るだろうけど、アーカムハウスだってラヴクラフト以外は三千部界隈の世界だったわけで、アナログにハードルがある地味なホラーがむやみに売れないのは当然である。そのなかで九十年代にブラム・ストーカー賞の最優秀処女長篇賞を受賞した作家などがそれなりに活躍しているのだから、あながち冬の時代とも言えないのではなかろうか。そんな印象を強くしたアンソロジーだった。


[5月11日]
 日本棋院より通販で買った碁盤が届く。脚付きではないのだが、和室の畳に置くといい感じ。本腰を入れて三段を目指さねば。
 さて、「孤立する自由」というものをちらっと考えてみる。人あるところ共同体がつきまとうのだが、どこにも所属せずに「個」に固執する(正確に言えば固執しようとする)立場はある。会社でこれをやると大変だという話は『活字狂想曲』に書いたから繰り返さないけれども、せっかく共同体が嫌で無理を承知で物書き専業になったのに、やはりどこを見ても共同体が機能しているなという印象がぼんやりとある(もっとも、「文壇」という幻想はあまり機能しているとは思えないけど)。そこはかとなく付随して言うと、例えば何かの集まりにきわめてシャイな人間が参加して誰とも会話をせずに帰ったとする。ただ、その場で聞いた話が内面に影響を与え、将来思わぬかたちで開花することは我が身に照らしてみても十分にありうる。自分で言ってれば世話ないが実は人見知りをするシャイな性格で、秘書のミーコにずいぶん助けてもらっており、黒猫のぬいぐるみに足を向けては寝られない(抱いて寝てるけど)。話が完全に脱線してるし、孤立すべき人は放っておいても孤立するものだから(孤立はプラスの意味で用いていますが)、まあこのへんにしておきましょう。


[5月12日]
 締め切りが集中しているのは来月だからいまから焦ることはないのだが、いくらなんでも長篇と連載第二回と短篇三本は多すぎる。だいたい根がラテン系ではないので、気になって早く目が覚めてしまう。というわけで今日もべたっとお仕事、長篇Aと短篇A,B,Cと連載を進める。昨日に続いて捗ったけれども、「エスタロンモカ」常用モードのおかげだから体にはよくないかも。


[5月13日]
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコです。きょうは高瀬美恵さんのWater Garden付属「水庭美食倶楽部」のオフ会でした。ミーコはぬいぐるみ軍団とクラニーといっしょにおでかけしました。寝たきり少女ウサギのアリスちゃんははじめてのおでかけでした。場所は根岸の「笹乃雪」、おとうふの名店に20人くらいが集まりました。でも、ぬいぐるみも同じくらいいて、「ぬいぐるみ盛り」などをしてあそびました。店の人はぬいぐるみメーカーの飲み会だとおもったようです。とってもたのしかったです。二次会に向かう途中、鴬谷駅の近くで「飲み屋の二階にあるふしぎな神社」におまいりしました。けーむらさんが見つけたのですが、クラニーは何度も前を通っているのに気がつかなかったそうです。ちょうど縁日をやってました。二次会は上野のパセラ、洋楽と邦楽の二部屋にわかれました。クラニーは洋楽組で盛り下がる歌をうたってました。十一時半におとなしく解散、みなさまおつかれさまでした。おわり。


[5月14日]
 読書はやっと国内ホラーに手が回った。読了したのは、図子慧『媚薬』(角川ホラー文庫)、戸梶圭太『レイミ 聖女再臨』(祥伝社ノンノベル)、月森聖巳『願い事』(アスペクト)、北上秋彦『呪葬』(アスペクト)の四冊。端的に言えば「女流強し」か。「願い事」は本格ホラーとしてはわかりやすすぎるような気もするけれども、プロット、ディテールともに乱れが少なく、この分量を一気に読ませる。去年は「ハサミ男」今年は「願い事」とサイコをキーに補助線を引くのは強引すぎるかな? 「媚薬」は一風変わった配合のジャンルミックス型モダンホラー。太った男や人形などの細部からもセンスが伝わってくる。男性作家の作品はちょっとディテールが荒っぽく活劇にも傾いており、私のツボには来なかった。それにしても、昔なら全部パッケージはSFだったかも。


[5月15日]
 ブリジット・オベール『闇が噛む』(ハヤカワ文庫)を読了。『ジャクソンヴィルの闇』の続篇でいきなりゴキブリを食うというツカミ、これは直球のモダンホラーかと思いきや途中から変化する。ラストは賛否両論あるだろうけど、個人的にはOK。


[5月16日]
 特約付の保険に入ろうとしたのだが、手術の予定があると駄目らしい。ときおり思い出したように出血するから、やはりたちの良くないポリープは取っておいたほうが無難だろう。禁煙は無理そうなので、とりあえず節煙のために灰皿を机からキッチンに移動する。「一枚書いたら喫煙OK」というお手盛りニンジン作戦を用いたところ意外に効果的で、長篇Aは250枚、短篇A,B,Cは各10枚をクリア。


[5月17日]
 久々に谷中墓地へ散歩に赴く。黒猫に餌をやっている老人を見て、こういう穏やかな老後がいいなと思う。しかしながら、考えてみたらその光景をぼうっと眺めていた私も隠居生活を送っているようなものである。谷中を散策してから帰宅。
 トマス・ハリス『ハンニバル(上下)』(新潮文庫)を読了。レクター博士系のキャラは書いてみたいけれども、どうしても比べられるから難しいところ。それにしても、恵まれない翻訳家が卒倒しそうな部数が出ているわけだが、「ジャンク」も「殺人豚」も観たことがない善良な読者が下巻を読んでどういう感想を抱くのだろう? むろん個人的には堪能したものの、ラストはわりとモダンホラーのコードどおりで拍子抜けしたのも事実。「最後まで食えよ」と思ったのは私だけではあるまい。


[5月18日]
 朝の八時から仕事。長篇A・Bと連載で15枚。私としては絶好調の枚数なのだが、あまりそんな感じがしない。進行しているのがユーモアを盛れない作品ばかりだからか、あるいは短篇と翻訳も気になっているのか、単に疲れているだけか、いずれとも判じがたい。
 リチャード・レイモン他『喘ぐ血』(祥伝社文庫)は官能&恐怖第二弾。アイデア・ストーリーに傾いた作品が多く、もう少し陰にこもった異常作も読みたかったような気がする。ベストはレイモンの「浴槽」。普通の作家ならひとつ前をオチにするところだが、力まかせにひねってくる。


[5月19日]
 カーター・ディクスン『魔女が笑う夜』(ハヤカワ・ミステリ文庫、品切)を読了。これは傑作かも(笑)。トリックはいかにもバカだけれども、いやにリアリティがある。と言うのは、ほかでもない。実生活で一度だけ悲鳴を上げて腰を抜かしたことがあるのだが、状況がそこはかとなく似ている。ただ、ヒントになるから書けないのがつらいところ。


[5月20日]
 ジョン・スラデック『スラデック言語遊戯短編集』(サンリオSF文庫、絶版[と、わざわざ書くことはないような気もするけど、新刊書店にサンリオSFを注文した客がいたという話をSFセミナーで聞いてのけぞったので念のため])を読了。眠くて頭が回っていないときに読むと何のことかわからないまま終わったりするのだが、楽しめるものだけ楽しんでわからなくても気にしないのが正しいようにも思われる。一応のベスト5は掲載順に「人間関係ブリッジの図面」「いま一度見直す」「書評欄」「古くなったカスタードの秘密」「非十二月」。ラファティはたまに私のホラーセンスを刺激するのだが、スラデックはその点がいまひとつかな。少なくとも「体育会系のヒューマニズムの作家」ではないと思いますが(笑)。


[5月21日]
 さしたる外出もせずに一週間過ごすと仕事も読書もそれなりに捗る。ロバート・スウィンデルズ他『ミステリアス・クリスマス』(パロル舎)は児童文学畑のクリスマス怪談集。珍しい作家も収録されているのだが、さすがにちょっと食い足りなかったかな。リチャード・ダルビーのアンソロジーの選集をどなたか手がけていただきたい。別宮貞徳『こんな翻訳に誰がした』(文藝春秋)はシリーズで一冊だけ読み逃していたもの。訳書を批判された栗本慎一郎は「翻訳が悪ければ原文を読め」と開き直ったようだが、弁解の余地のない暴論でしょう。ああ、翻訳もやらねば。
 さて、『ワールド・ミステリー・ツアー13[空想篇]』(同朋舎・2000円)が届きました。「13の地図にない道を辿る」という文章を寄稿しています。空想篇なので少々わがままなものを執筆させていただいたのですが、なんとなく私の批評のイデアに沿ったものは書けたかなという気がします。
[5月22日]
 長篇Aが300枚をクリア。それにしても、「ブラッド」の次だから今度は渋めのものを書くつもりだったのだが……。
 久々に古本モード。マルドロールという古書店から注文した本が届く。パピイニ『二十四の脳髄』(大13)、『日夏耿之介選集』(昭18)、杉村顕道『怪談十五夜』(昭21)、倉光俊夫『怪談』(昭22)など七冊で一万五千円は安かったかも。
 大相撲夏場所回顧。今場所は幕内十両ともに入れ替えが多くて面白かった。かつて浜ノ島が二枚目の11勝4敗の十両優勝で入幕できなかったことがあったが、ずいぶん違う。それから、久島海の田子ノ浦部屋が早くも弟子を決定戦に送りこんでいるのが印象に残った。十年後の田子ノ浦黄金時代をここで予言しておこう。同じ相撲の話題でも相変わらず協調性が皆無だな。


[5月23日]
 短篇集『屍船』のゲラが届く。長篇Aを頭から加筆修正しながら読み直してるし、読書が進んだのも昨日までか。
 というわけで、四冊まとめて紹介。まず、高橋克彦『蒼い記憶』(文藝春秋)を読了。岩井志麻子嬢がホラーで初めて山本周五郎賞を受賞するという快挙があったけれども、直木賞は『緋い記憶』が嚆矢で、これはシリーズの第三弾。ノンホラーも収録されているのだが、「幽かな記憶」の氷川瓏を筆頭に控えめな蘊蓄がいちいちツボに来る。表題作と床屋物の「鏡の記憶」が好み。小島瓔禮『蛇の宇宙誌』(東京美術)によると、ナメラとは恐ろしい蛇のことで神奈川でもそう呼ばれていたらしい。なるほど。蛇つかいの項が興味深かった。古川愛哲『古今東西死に方コレクション』(二期出版)では、さる無名の哲学者が自分で脈を取っていて「止まった!」と叫んで死んだという話が印象に残る。『ワールド・ミステリー・ツアー13[空想篇]』(同朋舎)では、中野美代子「『山海経』の世界を俯瞰する」における「漢字の自己増殖」という視点が参考になった。


[5月24日]
 紀伊国屋のオンラインで初めて注文した三浦秀宥『荒神とミサキ−岡山県の民間信仰』(名著出版・9612円)が届く。馬鹿高い資料を買ったからいずれ活用せねば。
 このところ、女性を主人公にした小説を執筆することが多い。ここで気を遣うのは名前で、基本的に知り合いの名前は使わないようにしている。私のヒロインは往々にして悲惨な目に遭うし、あまりいい役はないからだ。むかし書いた作品を短篇集に収めるとき、名前を変えたこともある。具体的には『田舎の事件』収録の「村の奇想派」に登場する松山三恵、実は初出では某少女小説家と同じ美恵だったのだが、いかにも芳しくないキャラなのでゲラで直した。さて、現在執筆中の長篇Aだが、ヒロインの名前が姓を含めて知人と一字しか違わなかったことに卒然と気づき、あわてて全部直しているところである。もっと早く気づけよ。


[5月25日]
 まず変更のお知らせです。『不可解な事件』(幻冬舎)は六月か七月に刊行予定とお伝えしましたが、十月に文庫書き下ろしのかたちで刊行ということになりました。よって、『屍船』(徳間書店)のほうが先に出ます。今年八冊の予定は同じなんですけど。
 佐藤信夫『わざとらしさのレトリック』(講談社学術文庫)を読了。相変わらず面白い。理論・体系・イデオロギー・重厚・正義・実証主義などを胡乱だと思う方には向くはず。信頼すべき知性でしょう。


[5月26〜27日]
 菊地秀行さんのトークライヴのため、ミーコ改めミーコ姫とともに夜から歌舞伎町に赴く。ルノアールで時間をつぶしているとワセミス御一行様にバッタリ会い、十一時過ぎにロフトプラスワンへ、例によって座敷で見物。今回の特集はドイツ表現主義映画、「カリガリ博士」と「吸血鬼ノスフェラトゥ」はソフトを持っていて何度も観ているしこのところ朝型なので睡魔が募り、未見の「ゴーレム」の前に寝てしまったのは失敗だった。ただ、フリッツ・ラング監督の「ジークフリート」で復活。これは間然とするところのない傑作で、無駄なカットが一つもないのが凄い。さて、アシスタントの飯野さんは序盤こそ飛ばしていたものの、外谷さんがゲストに加わると急に失速、全般におとなしめだった(でも書けない)。では、秘書と代わります。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。神月さん、鹿殺クサリ姫さん、シエラさんなどの方々にあそんでいただきました。つぎは7月28日(金)の夜、ユニバーサルの特集です。おわり。
 最後に、27日付の東京新聞および中日新聞の夕刊に「少年」という掌篇小説が掲載されました。バックナンバーでどうぞ。
[5月28日]
 昨日は久々にお休みにして読書にあてたので、かなり消化できた。目玉はオンライン注文でやっと入手した福澤徹三『幻日』(ブロンズ新社)。帯には「戦慄のカルトホラー」と記されているけれども、これはもっと後ろ向きの怪奇小説集もしくは怪談集である。もう少しお若い方かと思いきや62年生まれだから同世代、巻頭の表題作には印刷会社の営業の中年感覚が描かれておりいきなり引きこまれる。「怪談」はラストがうまく、「仏壇」は曲がったろうそくと線香が一読忘れがたい。「お迎え」はわりとアイデア・ストーリー風の展開だがラストはOK、「出立」は一転して文体実験を配合と懐が深い。「骨」は伝統怪談を微妙にずらし、「顔」は短いけれども不条理怪談として秀逸。「厠牡丹」は書き出しがうまく、「釘」はイメージが鮮烈。ラストの「廃憶」までことごとく後ろ向きなのが何よりすばらしい。これは今年のベストワン候補……と思うのは日本で十人くらいかも。
 京極夏彦『どすこい(仮)』(集英社)は、内輪ウケはむちゃくちゃ面白かったのだが(ちなみに私も鎖骨には自信があるのですが誰も聞いてませんかそうですか)一部のメタを除いてギャグまで暑苦しいのがちょっとどうでせうか。今年はホラーの消化だけで大変なのだがやっと少しだけ国内ミステリに手が回り、歌野晶午『安達ケ原の鬼密室』と殊能将之『美濃牛』(ともに講談社ノベルス)を読了。前者はシンプルだという評判だったけれども、物理トリックが配合されている作品は私には複雑に感じられる。好みは「ブードゥー・チャイルド」なのだが、島田理論のハイレベルの変奏を続けるこの作家は貴重。後者はわりと普通の本格でいかにも長いし「ハサミ男」のほうが好みではあるものの、配合されている俳句はセンスがあるし、アクィナスが唐突に出てきたのは単なる秋茄子との駄洒落ではなく加藤郁乎が伏線になっているなどの遊びがあったりして楽しめる。それだけに灰田虎彦と灰田勝彦が一字違いなのは何か意味があるのかなどという枝葉末節にばかり気をとられ、ともすると本筋がわからなくなってしまうのは……きっと読み手のほうに問題があるのだろう。
[5月29日]
 長篇Aが350枚をクリア。いよいよラストスパートか。夕方、『ブラッド』の書評が載っていたので「女性セブン」をコンビニで購入。変な人だと思われたかしら?
 カーター・ディクスン『青ひげの花嫁』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読了。「魔女が笑う夜」の次なので、地味で物足りなく感じる。バカミスしか受けつけない体質になってしまったらどうしよう。


[5月30日]
 松浦寿輝『幽[かすか]』(講談社)を読了。表題作を読むとしみじみと文学はいいなという気分になる。ホラーの文脈だといたって後ろ向きのジェントル・ゴーストストーリーで、艶のある息の長い文体が効果的(「すべらかな」という言葉を猛然と使いたくなった)。「幽」が観音力なら「無縁」は鬼神力、大石圭『死者の体温』と並べて考察してみたいところ。キーワードは「関係」かな。


[5月31日]
 ついに快挙を達成。今月の執筆枚数は自己ベストのジャスト300枚、執筆稼働日数29日、一日平均は10.3枚でした。さすがに荒川区の場末に引きこもって仕事してると捗るな。引っ越して正解。ただ、これ以上はちょっと厳しいかも。
 窪田般彌・中村邦生編『〈さようなら〉の事典』(大修館書店)を読了。私も何か気の利いた辞世の文句を残したいところだが、こういう人に限って最期の言葉が「ミーコちゃんはどこ?」だったりするんだろうな、たぶん。