[6月1日]
 連載・長篇B・長篇Aを進める。長篇Aはやっと250枚をクリア。半分くらい行ったような行かないような。先月の執筆枚数は213枚、稼働日数25日、一日平均は8.2枚でした。


[6月2日]
 唐突ですが、ジャンル分けの猫モデルというものを考えてみました。ミステリー・SF・ファンタジー・ホラーの主要四ジャンルは等価で、スクエアな座標軸に従い、同じ広さの象限を有しています(これを前提にしないと鳥瞰的なモデルにならない)。それぞれの象限の奥のほうには心の狭そうな猫がうずくまっています。これが本格猫です。ほかにもジャンル内サブジャンル猫がいろいろいます。さらに、このほかにハイパージャンル猫がおります。冒険猫・幻想猫・ユーモア猫といったものですね(ファンタジーは主要四ジャンルのひとつですが幻想文学はハイパージャンルです)。こういった透明な猫シートを順次上から重ねていきます。最後に載せるのは個々の作品猫シートです。そうすれば、この猫は顔はホラーで尻尾がミステリーで前足はファンタジー、かなりの部分が幻想猫と重なっているというふうにわかりやすく……なりませんかそうですか。


[6月3日]
 読書メモです。今週から海外ミステリーの積ん読消化に着手。読了順にデレック・スミス『悪魔を呼び起こせ』(国書刊行会)、ジル・マゴーン『騙し絵の檻』(創元推理文庫)、ピーター・ディキンスン『毒の神託』(原書房)、J・M・スコット『人魚とビスケット』(創元推理文庫)。ご恵投いただいた本をなかなか消化できず心苦しいのですが、今月は海外ミステリー強調月間とします。今週は面白さでは『人魚とビスケット』、勉強になったのは『騙し絵の檻』。『毒の神託』はディキンスンらしい作品だけど、何か足りないような気も。小説以外は大崎善生『将棋の子』『聖の青春』(いずれも講談社)。夢と挫折の奨励会物語『将棋の子』は不覚にも随所で落涙してしまった。同じ不幸でも道具立てが揃いすぎている夭折のA級八段の話はなんともなかったのだが。
[6月4日]
 短篇Aをメールしたあと、連載の追いこみ。予想どおり頭がだんだんショートしてきた。フォロー箇所の付箋はかなり剥がれたのだが。
 さて、「日本推理作家協会会報」5月号が届きました。「私の秘匿物」というコーナーに短いエッセイを寄稿しています。またぬいぐるみの話を書いてしまった。


[6月5日]
 連載・長篇B・長篇Aを進め、夜はアンソロジーのゲラと初期短篇集の推敲。それから「将棋世界」の棋譜を並べたり問題を解いたりしていると読書時間が足りない。


[6月6日]
 連載のパーツがいよいよ残り一つになる。思ったより早く第一稿が上がりそうだ。それにしても頭の具合がはっきりしない。メラトニンとエスタロンモカと頭痛薬の常用はいかんかも。


[6月7日]
 このところベスト睡眠の七時間に達しない日がほとんどなので、ふと思い立って新しい枕を買いにいく。キティちゃんの枕をいったんカゴに入れて危うく思いとどまり、備長炭入りの安眠枕を購入。効果があればいいのだが。


[6月8日]
 連載を最後まで書く。累計はちょうど450枚。ゆっくり手を入れることにしよう。
 井上雅彦監修・異形コレクション『夢魔』(光文社文庫・838円)が届きました。「片靴」という短篇を寄稿しています。川端康成の「片腕」とは関係ありません。最近の短篇は暗いです。
 もう一つ「公募ガイド」7月号が届きました。『サイト』の新刊インタビューが載っているのですが、うーん、ゲラチェックのないインタビューはどうも困りますね。私が「怪奇ホラー」なんてタームを使うはずがないじゃないですか(推理ミステリー、科学SF、幻想ファンタジー、官能ポルノって言いますか?)。「サイト」は座標的にはニューウェイヴSFに近いけどホラー領で、ホラーの文法にこだわって書いたとか、ホラーとSFの差異とか、「ブラッド」からの流れとか、結構語ったのにまったく伝わっていないし、シルヴァーバーグの「内死」が映画のタイトルになってるんだから何をか言わんや。他の部分もゲラをチェックしたらほとんど書き直したことでしょう(絶対こんなことは言っていないという発言が多い。むろん捏造ではなく発言の真意とニュアンスを理解できていないわけですが)。例えば「恋愛も入れて」というのはほぼ冗談です。一般向けのわかりやすい話ができない(おまけに韜晦も多い)特殊小説家がいけないんでしょうけど、インタビュアーが素人さんでゲラチェックのないインタビューはもうちょっと懲りました。


[6月9日]
 ひと区切りついたので今日は久々に休日。まず新宿・小田急美術館のオディロン・ルドン展へ。二十年前に観たときは異常な版画が多かったのだが、今回は地味な絵が中心。もっとも、大昔の歌人時代に「世にあらぬ花々愛づる姫君の瞳ひかりて今日もルドン忌」という歌があるくらいで内省的な花の絵も好み、大変結構でした。次は以前より企画していた大江戸線蕎麦ツアー。新宿西口から青山一丁目へ向かい、くろ麦で名物のぶっかけそばを食す。大きめの二段の割り子に八種類の薬味をかけて食べるいづもそば形式、蕎麦にコシがあって満足。続いて麻布十番へ。更科堀井で変わり蕎麦の紫蘇切り、クラシックが流れる創業二百年の老舗でいい雰囲気でした。同じく麻布十番の永坂更科布屋太兵衛で御前そば(真っ白な更科そば)。こちらもさすがの客あしらい。更科は甘つゆと辛つゆをブレンドできるので蕎麦湯をたらふく呑めるのですが、おかげで腹が膨れて早くも限界。意地になって森下の京金の前まで行ったものの、もう入りそうにないので下見だけで断念。何をやってることやら。


[6月10日]
 読書メモです。読了順に小説はクリスチアナ・ブランド『はなれわざ』、リチャード・スターク『悪党パーカー/殺人遊園地』、ナイジェル・ウィリアムズ『ウィンブルドンの毒殺魔』(いずれもハヤカワ・ミステリ)。「ウィンブルドンの毒殺魔」は邪悪なユーモア・ミステリーでむちゃくちゃ面白い。「田舎の事件」シリーズの作者からも強力にお薦め。小説以外は田村光昭『麻雀Newセオリー』『アタリ牌見破り法』(ひかりのくに)、相羽秋夫『落語入門百科』(弘文出版)。
[6月11日]
 長篇B・長篇A・短篇を進め、久しく中断していた連作短篇に戻る。タイトルは「学校の事件」だから洒落にならないような気もするけど、間違ってもあのような幻想性のない事件にはならないでしょう。と、韜晦だけではいかがなものかと思うので、当事者性の薄いマスコミ経由の社会ネタには反応しないのがポリシーなのですがどうも反応が単色なので記しますと、正義の側に立って人と同じ発言(実効性のない感情論)をする凡庸さや自分もしくは子供も追い詰められたら壊れる可能性に寸毫も気づかない鈍感さのほうに私は憤りに近い苛立ちを覚えましたね(ただでさえ少ない読者を減らしたような気も)。個人的には自分が壊れて(厳密に言えばさらに壊れて)似たような犯罪を起こす事態を想像してちょっと怖かったもので(単色の正義のプレッシャーに怯えて先に暴発してしまうというのは「田舎の事件」のネタかも)、一般大衆はなぜ加害者の側になる可能性を想像できないのか、内省心が欠如しているのかとイライラしていたのですが、きっとそれは変態インテリならではの理不尽な怒りだし、つまるところは個人的な問題に還元されるのでしょう。それと、これは恐らく杞憂でしょうけど、現在の日本がワイマール末期と似ていてファシズムの温床であるという指摘は以前からあったと思いますが、相変わらず不況だし国民にむやみに人気のある政治家が総理になったし(裏でいろいろシナリオを書いているサイコパスの政治家がいるとか妄想はいろいろ浮かぶのですが)、反応が単色なのでなんとなく厭な感じがしました。むろん、ファシズムは社会正義の仮面を被り国民の支持を受けて登場する、それは往々にして小さな事件から始まるという理由からですが(エルンスト・ユンガーじゃないけどやや宗旨変え。でも、人権左翼と同じ結論になることは絶対言いたくないしなあ)。
 もう一つ、これはほとんど通じないと思うのでぼかして書きますけど、祝福された死というタームがあります。大きな犯罪報道があるたびにそこはかとない哀切の感に打たれるのは、新聞の片隅に載っている死者です。大事件の裏には小事件や事故の犠牲者がおります。この死者たちはまったく祝福されていません。なんだかなあと思います。ちなみに、ホラーやミステリーにおける屍者は原則として祝福された死を死にます。作者およびそれを共有する読者が死者を屍者に変容させるわけです。しかし、そのあたりの消息は正義の一般大衆に通じるべくもなく、そのうちまた似たような声でホラー・バッシングがあったりするのかなと思うとちょっと気が滅入りますね。
 ほかにも「完全に治癒していないような気もする神経症[離人症]患者が考える精神医療行政のインフラ整備および世を動かしているキイワードとしての経済について」「ルネ・ジラールは今回の事件にいかなるコメントを出していかなる袋だたきに遇うかおよび自分はことによると人間や社会に絶望していないのではないかというモノローグ」などがあるのですが、あまりにも面倒だし仕事しなきゃいけないのでカット。


[6月12日]
 またインタビューの依頼があり、迷った末に引き受ける。だいたい私は物書きであってしゃべるのは好きじゃないのだが、本は著者だけのものではないからこれは必要悪でしょうか(なお、「公募ガイド」のインタビューを担当した外部のライターさんから丁重なお詫び状を頂戴しました。こちらこそ気難しくて恐縮です。作家の生身はカスで活字になったものがすべてなので、なにとぞご了解ください)。
 久々に浅羽通明主宰の「流行神」が届いたのだが、「浅羽通明は倉阪鬼一郎のペンネームか?」という一節があって思い切りのけぞる。これは知らなかったのですが、浅羽氏が朝日新聞のコラムで『屍船』を取り上げてくださったらしい。すると、読者から学芸部にこんな苦情があった。「倉阪鬼一郎と浅羽通明は同一人物である。自著を取り上げるのはけしからん」。学芸部はわざわざ時事通信社に同一人物か否か確認の電話を入れたらしい。あのなー。でも、当たらずと言えども遠からずで、ホラー評論は東雅夫というペンネームで書いており……という話は真に受ける人がいるかもしれないからやめておこう。


[6月13日]
 長篇Bが150枚をクリア。ただ、どれもこれも壁で進まず、精神状態も芳しくないため執筆はやめ、四十篇を超えた詩の草稿をデータ化する(一応、詩集の版元を募集中です)。うーん、それにしても救いがなくて暗いな。その後、連載を頭から読み返す。


[6月14日]
 池の端藪蕎麦、蓮玉庵をハシゴしたあと上野の鈴本演芸場へ。これは短篇の取材で、夜の部を最初から最後まで聞く。権太楼はやはり独特の色気があっていいですね。今日は踊りのおまけつきで得した気分。金馬もさすがの年季で生で聞けてよかった。大トリの金時の「阿武松」はちょっと細かいミスが目立ったかな。相撲の立ち合いの軍配は「上がる」ではなく「返る」でしょう。色物は津軽三味線(ベンチャーズの「パイプライン」入り)や紙切りなど多彩で満足でした。ほんとは曲独楽を見たかったんだけど。
 二上洋一監修『怪奇・ホラーワールド11 異界への入口』(リブリオ出版)が届きました。「草笛の鳴る夜」と「雪夫人」が収録されています。図書館向けの大活字本につき分売は不可です。解説で拙句「死体をば屍体に変えて冬籠もる」が引用されていてびっくり。な、なぜ今週の日記とシンクロするのだろう。


[6月15日]
 短篇を進め、エッセイに手をつけるも進まず。なんだかスランプかも。
 さて、「小説すばる」7月号が届きました。コラム「コミックすばる」に登板、「引き裂かれた世界」というタイトルで徳南晴一郎「猫の喪服」を取り上げています。反応する人は少ないでしょうけど。なお、来月の「SF&幻想小説大特集」にも短篇を寄稿するのですが、次号予告を見ると倉阪鬼一郎・牧野修・田中啓文・小林泰三、いつのまにかカルテットに入ってますね(笑)。ちなみに拙作はSFじゃなくて相も変わらぬ幻想ホラーです。


[6月16日]
 長篇B・エッセイ・長篇A・短篇、大した枚数じゃないけどやや復調気配。
 このところ毎日何か届いてますが、今日は「ジャーロ」4号です。第1回本格ミステリ大賞の全選評に交じっています(評論研究部門は一篇未読につき棄権)。全部読んだうえで棄権という選択肢も含めて最後までずいぶん迷ったもので(結局、受賞作の『壷中の天国』に投票したのですが)、ちょっと不出来な文章かも。


[6月17日]
 読書メモです。小説は読了順にジャック・ケッチャム『地下室の箱』(扶桑社ミステリー)、ロバート・リーヴズ『のぞき屋のトマス』、リチャード・ニーリイ『日本で別れた女』(以上、ハヤカワ・ミステリ)、「地下室の箱」は鬼畜度不足で不満。小説以外はまず木原浩勝・中山市朗『新耳袋 第六夜』(メディアファクトリー)。「新耳袋」はライヴで聞いた話が多く、文字に定着し話として一応完結してしまうとネタ性は薄れてしまうのですが、むろん例外はあります。今回は「第六十八話 柿の木」。これだけでも十分すぎるほど怖いんですけど、換骨奪胎して短篇に仕立てたらさらに怖くなる可能性もありますね。なんとなく腕が鳴るな。その他は長井好弘『新宿末広亭 春夏秋冬「定点観測」』(アスペクト)、間庭充幸『若者犯罪の社会文化史』(有斐閣選書)。
[6月18日]
「メフィスト」連載最終回108枚を仕上げてFDを作成。初連載がようやくゴールにたどり着いた。しかし、脱力しているヒマはないのだった。秋からは月刊誌の連載があるんだし。


[6月19日]
 短篇のゲラを返送したあと、三時に神保町で講談社のA元さんと打ち合わせ、「十三の黒い椅子」最終回の原稿と「無言劇 Pantomime」の構想を渡す。次回作はまだぐちゃぐちゃで見せ方がわからないのだが。ちなみに、その次の「青髯 Bluebeard」までなんとなく決まったんですけど、どれもこれも面倒だからやはり年一作のペースかな。
 五時から山ノ上ホテル、「マフィン」の新刊インタビューに答える。こんなところをセッティングしていただいたのでちゃんとしゃべらなきゃと思ったのだが、やはり折にふれて黙鬼一郎と化してしまう。「いま、いちばんやりたいことは何ですか?」って絶句するような質問じゃないと思うがなあ。一瞬で否定したけど「自殺」とか浮かんでうろたえたりして。不出来で恐縮でした。では、秘書猫です。
 ごぶさたしてました。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。ミーコはクラニーのかわりにこたえようかにゃとおもったくらいです。たいへんしつれいいたしました。


[6月20日]
 連載の最終回はA元さんから最大級の評価をいただいたのでほっとひと息。今年はミステリー界における異常なポジションを築くような年になればいいなと思ったりするのだが、当面の課題は難渋気味の落語ホラーの短篇とまだ折り返していない初の(邪悪な)SFなのだった。私は何をやってるんだろう?


[6月21日]
 長篇B・短篇・長篇Aを進め、しばらくサボっていた初期短篇集の推敲に戻る。ずいぶん引きずっているから、そろそろ仕上げなければならないのだが。着手する前は昔のほうが上手だったらどうしようと不安だったんですけど、これは杞憂で「このヘタクソ!」と血圧を上げながら文章に手を入れています(いきなり業務連絡ですが、「異界への就職」のゲラは見ますのでその節はよろしく)。それにしても、書いた本人がさっぱりわからない、作者の正気を疑うような作品があるのはなんだかなあ。


[6月22日]
 だんだん取材か逃避かわからなくなってきましたが、今日は浅草演芸ホールの夜の部へ。シンクロニシティはわりと日常的にあるので「死神」がかかったりしないかなと期待したのだが、事はそんなに都合よく運ばないのだった。落語は小柳枝の「青菜」がよかった。この噺家は粋な色気がありますね。色物はたった一人残った売り声芸人が珍しかった。落語の懐メロネタは全部わかるのだが(客席の推定平均年齢六十歳強)、これは古すぎてついていけない。ちなみに、蕎麦は十和田の野菜天ざるのみ。


[6月23日]
 五時半よりミーコ姫を連れて神楽坂の出版記念クラブ、第1回本格ミステリ大賞の受賞パーティに出席する。ほうぼうで写真入りのレポートがあるでしょうから割愛しますが、受賞者の挨拶はそれぞれ味があってよかった。二次会(酒)→三次会(お茶)→四次会(二次会の会場に戻る)と流れる。始まる前に喫茶店で詩を書いていたくらいでテンションが低く、カラオケはパス。でも、二・三次会では森奈津子・西澤保彦ご両人と変態話だし、四次会では飯野さんといかがなものかという会話をしてたし、酒が入るとこう変わりますか。おかげでテンションは戻りましたけど。二時ごろ台東荒川組のタクシーで帰宅。お疲れさまでした。


[6月24日]
 読書メモです。読了順に小説はジャック・ケッチャム『ロード・キル』『オンリー・チャイルド』(扶桑社ミステリー)。アンケートも控えているので来週から国内に戻る予定。もっとパズラーの勉強をするつもりだったのに結局ケッチャムばかり読んでいたような気も。小説以外はジョエル・ノリス『シリアル・キラー 心理学者が公開する殺人者たちのカルテ』(早川書房)、川崎清嗣『精神救急』(カッパブックス)、小池壮彦『幽霊物件案内2』(同朋舎)、安斎育郎『不可思議現象の正体を見破る』(KAWADE夢新書)、週刊ポスト編集部『週刊ポストは「八百長」をこう報じてきた』(小学館文庫)、マーク・D・フェルドマン/チャールズ・V・フォード『病気志願者 「死ぬほど」病気になりたがる人たち』(原書房)、菜摘ひかる『恋は肉色』(知恵の森文庫)、瀧野隆浩『改訂版宮崎勤精神鑑定書 多重人格説の検証』(講談社+α文庫)、内藤みか『おしえてあげる えっち作家になりたいアナタへ』(パラダイム)、橋川卓也『人類は核戦争で一度滅んだ』(学研ムーブックス)、伴田良輔『欲望百科 7色のコンドームから美容整形まで』(知恵の森文庫)、宮木幸一『ポストゲノムのゆくえ 新しい生命科学とバイオビジネス』(角川oneテーマ21)。今週は逃避しすぎでした。
[6月25日]
 短篇の第一稿を仕上げ、長篇B・Aを進める。久々に執筆予定を整理して立ちくらみを起こしそうになる。書き下ろし長篇の優先順位をつけたらGまで行ってしまった。短篇の締切は毎月のようにあるし……いや、ありがたいことなのですが。


[6月26日]
 久々に福田恆存「一匹と九十九匹と」(『福田恆存全集』第一巻所収)を読み返す。これは特殊小説家および保守系アナキストのバックボーンの一つになっている文章なのですが、何度読んでもいいですね。勘どころを引用してみます(原文は正字)。
「文学は阿片である−−この二十世紀において、それは宗教以上に阿片である。阿片であることに文学はなんで自卑を感ずることがあらうか。現代のぼくたちの文学をかへりみるがいい−−阿片といふことがたとへ文学の謙遜であるにしても、その阿片たる役割すらはたしえぬもののいかにおほきことか。阿片がその中毒患者の苦痛を救ひうるやうに、はたして今日の文学はなにものを救つてゐるのであらうか。所詮は他の代用品によつても救ひうる人間をしか救つてゐないのではないか。とすれば、そのやうな文学は阿片の汚名をのがれたとしても、またより下級な代名詞を与へられるだけのことにすぎない−−曰く、碁、将棋、麻雀、ラジオ、新聞、なほ少々高級なものになつたところで哲学、倫理学、社会学、心理学、精神分析学……。ここでもぼくはそれらに対する文学の優位をいふほど幼稚ではない−−ただ持場の相違に注意を求めるだけにすぎぬ。文学は−−すくなくともその理想は、ぼくたちのうちの個人に対して、百匹のうちの失はれたる一匹に対して、一服の阿片たる役割をはたすことにある。(中略)
 かれのみはなにものにも欺かれない−−政治にも、社会にも、科学にも、知性にも、進歩にも、善意にも、その意味において、阿片の常用者であり、またその供給者であるかれは、阿片でしか救はれぬ一匹の存在にこだはる一介のペシミストでしかない」
 仕事が進まないので逃避してみました。持場の邪悪な小説に戻ります。


[6月27日]
 この忙しいのに推理作家協会賞のパーティの曜日を間違えて新橋へ行ってしまう。このまま帰るのはいかにも業腹だから、目についた蕎麦屋をハシゴしながら有楽町まで歩いて帰宅。何をやってるのだろう。


[6月28日]
 今日が本番で、六時より新橋の第一ホテル東京。菅浩江さんが受賞者の一人なので去年より知り合いが多かったような気がする。名刺交換は物集高音さんのみ。いろいろチャンポンしたおかげで記憶がかなり飛んでいるのだが、田中啓文さんの「ふえたこ日記」によると非常に上機嫌でよくしゃべっていたらしい。うーん、それは別人ではないだろうか。関西組を中心に21階のラウンジで歓談したあと、九時から銀座ワインハウスで菅さんの二次会。作家全員にスピーチのマイクが回る。私のテーブルは浅暮三文、川又千秋(初対面)、久美沙織、牧野修のメンバーでなぜか文学論に終始、ファンタジーにテーゼは必要かといった激論が交わされる。もっとも、今夜がコンベンションなら企画クラッシャー確実というテンションで浅暮さんが三分の一くらい演説していたような気も。相変わらず山崎ハコ(ご結婚おめでとうございます)しか歌いたくない気分につきカラオケはパスして十二時前に帰宅。では、秘書猫です。
 黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。21階に向かうエレベーターに女の子がのってたので、パーティの出席者のお子さんかにゃとおもってミーコはいきなりバッグからでてごあいさつしました。でも、じつは一般のお客さんで女の子はへんな顔をしてました。おどかしてごめんね。おわり。


[6月29日]
 初期短篇選集の原稿がようやく完成する。あとはエッセイとアンソロジー短篇のプロットをメールし、インタビューのゲラをファックスし、短篇の推敲に移る。ロフトプラスワンのイベントはちょっと体力的に辛くなってきたのでパス、夜は読書に専念。


[6月30日]
 長篇Bが折り返しに到達。うーん、締切まであとひと月か。今月の執筆枚数は205枚、稼働日数25日、一日平均は8.2枚でした。
 夕方は神保町に赴き、バッグ一杯分の本を購入。ハンス・ビーダーマン『図説世界シンボル事典』(八坂書房)、大塚民俗学会編『縮刷版日本民俗事典』(弘文堂)、スティーヴン・バン編『怪物の黙示録 「フランケンシュタイン」を読む』(青弓社)、松浦寿輝『口唇論 記号と官能のトポス』(青土社)、石川元『こころの時限爆弾』(岩波書店)など、また3万円も買ってしまう。その後、久々に古典SF研究会に顔を出す。SF大会ではいろいろ企画があるようですが、私はぬいぐるみの部屋オンリーの予定です。一次会で失礼して、やぶ仙経由で帰宅。