8.1
 PM3時半に起床。熟睡したおかげでようやく連載のピッチが上がる(2枚が4枚になっただけだけど)。今日は中篇のゲラが届く。校閲済みのゲラ待ちだと日程がタイトなので、先に素ゲラを送っていただいた次第。タイトルが固まっていないためまだ公表できませんが、暑い時季だけは月刊クラニーになりそうです。長篇D・E・連作短篇Cを1枚ずつ進めたあと、とりあえずゲラに手だけつける。
 

8.2
 暑くて午前中に目が覚めてしまう。それでも小説脳は動き、連載・長篇D・Eを進める。仮眠後の夜は中篇のゲラ。深夜は幻想的掲示板で朗報を目にしたあと(西崎さん、おめでとうございます)、ネット碁の観戦やドローイングなど。
 さて、「活字狂想曲」(幻冬舎文庫・533円)の見本が届きました。カバーはなるほどという趣向です。週末には都内のおもだった書店に並ぶようです。売れるといいな。
 

8.3
 小説脳が疲弊気味であまり動かず。連載はもう少しで第六章が終わるんだけど。夕方は喫茶店で「将棋世界」の最新号を読み、仮眠後の夜は中篇のゲラ。
 

[読書メモ]
(小説)ピーター・ストラウブ「ミスターx 上下」(創元推理文庫)。
 長尺物のモダンホラーはあまり得手ではないのだが、この道具立てと構成ならさほど抵抗なく読めた。英米には誕生日物が散見されるけれども、最後の審判の影がそこはかとなく差しているような気がする。してみると、ここにアンチキリスト譚としてのクトゥルー神話を配したのはストラウブの作家的慧眼・・・というのはやや無理筋かも。
 来週からは国内ミステリーの消化に移る予定です。とても網羅的には読めないので(毎月送っていただいている講談社ノベルスだけでも山のように溜まっている)、狭いツボに来そうな作品をチョイスしていくつもり。
(小説以外)池田晶子「ロゴスに訊け」(角川書店)、若島正「乱視読者の帰還」(みすず書房)、加藤宗哉「死に至る恋 情死」(荒地出版社)、三浦弘行・木屋太二「三浦流右四間の極意」(毎日コミュニケーションズ)、服部邦夫「浦島太郎は歩く」(青土社)。
 いまごろ本格ミステリ大賞評論研究部門受賞作「乱視読者の帰還」を読んだのですが、当該の「明るい館の秘密」のみならず(ちらっと書かれている還元主義批判は同感)、ほかの部分も面白い。エイクマン、ベリズフォード、ミドルトン、ボルヘス、ヒュー・ウォルポールなどについての言及も随所に見られるので、怪奇幻想系の読者も要チェックです。やはり近視より乱視ですね。なお、著者は詰将棋作家として有名ですが、指し将棋も名うてのアマ強豪で、伊藤果七段との詰将棋作家対決は大熱戦になったとか。将棋つながりですが、右四間はあまり形が美しく感じられませんね(カニカニ銀などもそうですけど、歩越し銀は嫌い)。風車かツノ銀中飛車か高田流左玉、組めなかったら玉頭位取りとか時代遅れのマイナー戦法に固執して負け続けようかと思ったりしている今日この頃です。


8.4
 連載がようやくノルマの30枚に達する。今週も蟄居して仕事の模様。本日の体重は48.8kg、体脂肪率は9.5%、ずっとこれくらいの数値で安定しています。
 

8.5
 連載の下書きを終えるつもりだったのだが、また2枚でダウン。鬱々としてきたので夜はアッパー系の連作短篇Cを進め、中篇のゲラ校正の一回目を終了。深夜は相変わらず東大将棋で負けた鬱憤晴らしにAI囲碁をいじめるという愚行。ただの時間の無駄のような気がする。
 毎月送っていただいている「ダ・ヴィンチ」の旅の企画に牧野修さんが出ていて、失礼ながら思わず笑ってしまう。似合わんなあ、この人。コシヒカリが何か邪悪なものに育ちそうに見えます。いや、人のことはさらさら言えないんですけど。


8.6
 仕事が気になったのか午前中に目が覚める。ようやく連載の下書きが終わり、画面上で推敲してプリントアウト。長篇Eを少し書いたあと、今日届いた中篇の校閲ゲラのチェックと著者校のドッキング。あとは最終チェックのみ。
 

8.7
 長篇Dと連作短篇Cを進め、連載の推敲と中篇のゲラの最終チェック。相変わらず暑くて日が暮れるまで外へ出る気がしない。夏の直射日光を浴びると私はニャルラトホテップに変身してしまうのです。
 

8.8
 中篇のゲラを返送し、連載の原稿をメールしてようやくひと息つく。連作短篇Cをとりあえず最後まで書き、いずれ書く複数のミステリー系の長篇のプロット(の芽のようなもの)に手だけつけて夜は静養。
 

8.9
 暑くて午前中に目が覚める。反動もあって小説脳が動かないため、連作短篇Cや長篇のパーツを画面上で推敲してプリントアウト、あとは短篇の構想など。
 さて、「文藝春秋」9月号が届きました。P85の俳句欄(随筆の中にカコミで入っている部分)に「額の中」8句を寄稿しています。同欄への登板は94年11月号以来、8年ぶり2度目(高校野球みたいですが)。第三句集の構想はだいたい固まっているので(下手したらまた自腹だけど)、これを機にぼちぼち選句に入ろうかなと思っています。なお、掲載誌の読者層を考慮して自粛カットした「納涼裏ヴァージョン13句」をここで披露しましょう。
 
 青蔦の館の窓の仮面かな
 手鞠花心霊写真第二号
 夏茱萸と桑の実を埋めなほ眼窩
 赤い帆のヨットは暗き洞窟に
 夜振火よそこなる家は皿屋敷
 羽根枕むやみに積まれ罌粟の花
 金魚すくひ掬はず還る墓参道
 墨文字の忌中は揺れて遠花火
 バンガロー首の一つは逆向きに
 廃屋の亡魂に向け捕虫網
 炎天の我を離るる私かな
 大西日人形の貌さだまらず
 山滴るどこかに赤い首飾り
 

8.10
 今日も調子が出ず、長篇D・Eを少し進めただけ。夜は子供のころから見ている「NHK思い出のメロディー」。昔は青木光一あたりが「若手の懐メロ歌手」だったのだが(いまや重鎮)、櫛の歯が欠けるように大物が逝き、もうすっかり「私の懐メロ番組」ではなくなってしまった(おケイちゃんだけは健在だけど)。ちなみに、本格懐メロは昭和三十五年以前の楽曲、さらに心の狭いハード懐メロは戦前戦中、せいぜい許容しても終戦直後の昭和二十五年くらいまで・・・という話は書いていて虚しくなってきたからやめよう。また、グループサウンズにばかり重きが置かれ、ムードコーラスが全く等閑視されていたのはいかがなものか。以前は平和勝次とダークホースまで出ていたのだが(ちなみに、数多いムードコーラスのなかで最も秀逸なネーミングは、思わず脱力する「三島敏夫とそのグループ」でしょう)。
 と、わがまま勝手なことばかり言うてきましたが(おまえは人生幸朗か)、実はガール・ポップも周到に押さえており、わざわざ録画に撮って柏原芳恵「ハロー・グッバイ」の練習をしたクラニーでした。これは私が歌うと邪悪だぞ。
 

[読書メモ]
(小説)西澤保彦「聯愁殺」(原書房)。
 コリン・デクスター型のパズラーに挑戦した力作。「真相」に重きが置かれない優れてポストモダンな初期デクスターとはやや趣が違うんですけど、話はダーク西澤の本領発揮で好みでした。来週からはもう少し消化のピッチを上げねば。
(小説以外)グスタフ・ルネ・ホッケ「迷宮としての世界 マニエリスム美術」(美術出版社)、田中聡「怪物科学者の時代」(晶文社)、河口俊彦「新対局日誌 第六集大山伝説」(河出書房新社)、スーサイド・ラボ「145人の自殺者」(データハウス)、藤田香織「だらしな日記 食事と体脂肪と読書の因果関係を考察する」(幻冬舎)。
 マニエリスムに思い入れがあるのにホッケの主著を読んでいなかったので、なんだか肩の荷が降りたような気分。いずれ幻想ミステリーの参考文献に使うことにしよう。この方面の次のターゲットはバルトルシャイティスかな。一カ所だけ引用します。
「大量死という相貌において、マニエリストに巣食うサトゥルヌス的死の関聯と〈時間〉の問題性、このついにバロックにいたって支配的になる二つの精神的衝動力は、ますます強化されるのだ」
 ピンと来る人は来ると思うのでくだくだしい解説はしませんけど、要するに、ポオが青空からポンとミステリーを取り出して創始したわけではなく、その有力なジャンル的プレテクストとして(あるテクストには必ず先行するプレテクストが存在する)、ゴシックロマンス(ポオより時代が早いジェイムズ・ホッグ「悪の誘惑」にすでに物理トリックが登場しているという話はむかし日記に書いたような気がする)とマニエリスムがある、とでも簡明にまとめておきましょうか。


8.11
 また睡眠障害でAM4時半に起床。べつに出かける予定もないから仕事。とりあえず短篇と連作短篇Dを起稿、長い仮眠をとったものの小説脳が動かずゾンビ状態で半休。
 

8.12
 暑くて午前中に目が覚める。今日は珍しく日中に出かける。近所の郵便局と銀行へ行っただけだけど。長篇D・Eを進め、仮眠後に連作短篇Dを書いたら珍しく小説脳が動き、7月13日以来ひと月ぶりに総計で10枚執筆する。二桁書けると鬱状態も晴れるのですが(持続しないけど)、一カ月に一回のペースじゃなあ。
 

8.13
 今日はPM4時半まで昏々と眠ってしまう。日によって落差がありすぎる。連載の第七章の構想を練り、短篇と連作短篇Dを進める。夜は連載のゲラ。深夜はドローイング、書道のソフトによる油絵を再開し、気が滅入るような暗い絵を描く。早くiMacを買わないとデータが飛んでしまう危険があるんだけど、印税が入るまで堅実に待とうかな。とりあえず切れるのが早いインクを買いに行かねば。
 このところ寝る前に文語訳「旧約聖書」を繙いています(やっと五分の一くらい)。もっとも信仰に目覚めたわけではさらさらなく、これは純文学みたいな出だしになってしまってあまり進まない長篇Eの参考文献、血なまぐさい箇所(結構多い)が出てくるたびに付箋を貼りながら読んでます。さて、いつ完読できることやら。
 

8.14
 何か気がかりな夢から覚めるとAM9時だったので起床。連載のゲラを返送し、第七章を起稿するも予想どおり1枚しか書けず。同じダウナー系の長篇Eを続けたら、これも1枚しか書けない。そこで、牧野修さんから送っていただいた「かまいたちの夜2」に逃避する。必ず未知の局面が出現するテーブルゲームは好きだけど、こういうゲームは恥ずかしながら初体験で勝手がよくわからない。最初からゲームをクリアしようという気がまったくないため、とりあえずヒロインの名前を「みちこ」に設定して(一部の人だけウケてください)嘘臭い選択肢ばかり選んでいるのだが、まだ誰も死んでくれない。説明書きを見ると平均所要時間34時間などと恐ろしいことが書いてある。うーん、それなら長考に次ぐ長考の二日制の碁を打ちたいような気がするんだけど、まあいずれ終わるでしょう。ヒロインを含む登場人物が全員死んで何の救いもなく世界が崩壊して終わるのが好みなのですが、そういうエンディングはあるのかなあ。
 

8.15
 宅配便に起こされて午前中に起床。アッパー系の長篇D・連作短篇D・短篇を進めたあと、久々に本格的な外出をする。日暮里から上野まで行っただけですが。まずヨドバシでマイナーなhpのインクカートリッジを買いだめ、これで当分心おきなく絵が描けます。続いて、主要テーブルゲームのうち唯一できなくて気になっていた「Theチェス」(PS2)を購入。外出は久しぶりで疲れたため御徒町経由で早々に帰宅。仮眠後の深夜はさっそくチェスの勉強、「コンピュータが強いテーブルゲームほど私は弱い」という法則を再確認する。これなら将棋のほうがずっと面白いな。入門モードにも勝てなかったので憂さばらしにAI囲碁を明け方までいじめる。毎週同じことを書いてますけど。


8.16
 起きたら体調が悪く、なかなか目のピントも合わないため「かまいたちの夜2」に逃避。ただ、延々とわらべ唄篇が続くばかりで早くも挫折しそう。ある禁断の操作をしたらモニターから白いパンストをかぶった牧野さんがずるずるっと這い出してくるとか、そういう趣向はないのかしら。いや、ほんとに出てきたら困るけど。仕事は連載・短篇・連作短篇Dをちびちびと進める。
 小説はいまひとつ不調ですが俳句は妙にできるので、唐突ながら今週の十句です。
 
 大海を知らずいつもの夏座敷
 滝道をたどり赤い影黒い影
 いづれにしても我が命運と夏の川
 そのかみの世界模型も土用波
 月山と誰かの言ひて青簾
 籐椅子に人形の首あるばかり
 白扇に死と揮毫して閉ぢる
 打水や廃屋の前にも少し
 遠き世の夢の中まで青芒
 貌のない者一人ゐて盆踊
 
 なお、本日届いた「青春と読書」によると、幻想ホラー連作短篇集『夢見の家』(集英社・1800円)は今月の26日に発売、同日に詳しい内容紹介が見られる宣伝のための公式ホームページ(www.shueisha.co.jp/yumemi/)がオープンするようです。
 

8.17
 連作短篇Dを最後まで書いたところで小説脳がダウン。夜は今日届いた「内宇宙への旅(仮)」(徳間デュアルノヴェラ)の再校ゲラに着手。9月下旬発売の予定です。内容はもちろん秘密。では、今週の秘書猫の日記です。
 みなさん、ごぶさたしてました。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。毎日あついのでくたっとしています。でも、秘書はとくべつたいぐうなので、ほかのおともだちにはわるいのですが、クラニーせんせいはかならずクーラーが入っているほうのおへやにミーコをいどうしてくれます。とくべつたいぐうはもうひとつあって、ミーコだけおふとんに入れてくれます。でも、クラニーせんせいはときどき寝てるあいだにマクラとミーコをまちがえます。こまったにゃ。おしまい。
 

[読書メモ]
(小説)飛鳥部勝則「バラバの方を」(トクマノベルズ)、迫光「シルヴィウス・サークル」(東京創元社)、林泰広「見えない精霊」(カッパ・ノベルス)。
 今週は気になっていた幻想ミステリーを消化。「バラバの方を」は飛鳥部版「火刑法廷」の趣もある今年の収穫。エンディングはもっと読みたかったくらい。「シルヴィウス・サークル」も文章の色気は充分、次は徹底的に閉じた騙し絵ミステリーを期待。覆面作家みたいですが同年輩かしら。「見えない精霊」はわりと一般化してきたような気がする言い回しを用いれば「幻想で」書いた本格作品。
(小説以外)平山夢明「怖い本 1・2・3」(ハルキ・ホラー文庫)、小池壮彦「怪奇探偵の調査ファイル 呪いの心霊ビデオ」(扶桑社)、ロブ@大月「リストカットシンドローム」(ワニブックス)、イー・チャンホ「流行布石の解明」(誠文堂新光社)、福澤徹三「怪を訊く日々」、加門七海「怪談徒然草」(以上、メディアファクトリー)。
 怪談実話が多かった週。「『超』怖い話」シリーズを完読しているのに、平山ヴァージョンの「怖い本」をまた全部読んでしまった。「怪を訊く日々」が「新耳袋」に最も近いスタイルですが、やはりそこはかとなく作家の色が纏わりついている。よって、読み物としては充分満足だけど、話を素材として換骨奪胎して使う気にはならない。その点、ナマな素材をポンと提供してくれる「新耳袋」とは微妙な差異がありますね。個々の怪談については書きだしたらキリがないので割愛。
 それにしても、いろんな体験をしている人は羨ましい限り。私はわざわざ葬儀場の裏手の日当たりの悪いアパートを選んで五年間住んでいましたが(その前は陰気な倉庫の二階に二年)、結局何も出ませんでした。残る望みは三角屋敷だけか・・・さすがにそれはやめよう。


8.18
 PM3時まで寝て前の日記を送ろうと思ったら、iBookが起動してくれない。酔っぱらった状態でAI囲碁をいじめるのはもうやめたほうがいいようだ。連載・短篇・長篇Dを少しずつ進め、夜は中篇のゲラ。
 

8.19
 何か早い時間に予定があって目覚ましをセットするとAM4時に目が覚めてしまう。おまけに二日酔いで頭が割れるように痛い。眠くならないので本を読んだりゲラを見たりして時間を潰す。とても外出する気にならないため、PM2時からの神経科の予定をキャンセルして目覚ましを止めたら急に寝られるようになり、起きたらPM4時半。溜まっていた薬を発作的に全部棄てる(去年はパソコンを棄てたし、行動パターンが同じような気も)。ちっとも良くなっているような感じがしないし、各種の薬の副作用で痩せるばかりだから(先週はついに47kgまで落ちてしまった)当分通うのはやめようかな。ゲラを返送しただけで仕事をする気分にはなれず。ただ、某担当さんに暗いメールを送ったらすぐ電話がかかってきてちゃんとしゃべれたし、PM9時までやっている神経科を紹介していただいたから気分がかなり晴れる。いざとなったらここへ行けばいいのだろう。
 

8.20
 睡眠時間2時間弱でAM5時に起床。どうせ疲れたら眠くなると軽く考え、すぐ仕事に入る。抗鬱剤を呑まないのは久々なのでそこはかとなく不安だったのだが、平生と変わりがなかったからひと安心。鬱状態のほうが書ける小説もあるし、真っ暗な絵を描いたり山崎ハコを聴いたり、いくらでも対処方法はあるだろう。いや、だいたい私の代わりに作品内で登場人物が死んだり発狂したり世界が崩壊したりしてくれるのだから、仕事をするしかないのだ。というわけで、バッテリーが上がるまで連載・短篇・長篇D・Eをそれぞれ2枚ずつ書く。
 さて、26日発売の幻想ホラー短篇集『夢見の家』(集英社)の見本が届きました。とても涼しげで上品な仕上がりです(装画はミルヨウコさん、装幀は妹尾浩也さん)。前回の日記で触れた同日にオープンする集英社HP内の「夢見の家」公式ホームページは思ったより凝ったものになりそうです。そんなに宣伝していただいてちっとも売れなかったら申し訳ないので、ひとつよろしくお願いいたします。親の欲目かもしれませんけど、この本は私の代表短篇集の一つになってくれるのではないかと期待してるんですが・・・。
 

8.21
 今日はAM10時に起床。たまたまかもしれないけど、やっと元の生活リズムに戻る。やはり睡眠薬と酒の併用は良くなかったかも。連載と短篇を進め、納期の短いエッセイの下書きを一気に書き、第三句集の原稿作りに手をつけ、長篇Dの構想を練り直し、夜は折り返しを回った連作短篇集の推敲。これだけ捗ると反動が怖い。
 

8.22
 やはり昨日は偶然だったようで、今日は不可解な夢を見て早朝覚醒。おまけに危惧したとおり反動で小説脳が死んだように動かない。エッセイの送付、長篇Eの構想の練り直し、第三句集の構成の考案だけでダウン、執筆はお休み。夜は久々に「かまいたちの夜2」をやってみたものの、設定を完全に忘れている。気が短い私はあえなく挫折しました(ちなみに映画もテレビも二時間が限界)。主人公が自分自身を犯人だと指摘したら悪夢の世界へ移行するはずだ・・・というふうに勝手に話を作ってしまうから、こういう綿密なシナリオのあるゲームは向いていないようです。すいません。
 

8.23
 今日の起床はAM7時前、すっかり勤め人時代に戻ってしまった。小説脳はそれなりに動いたけど、新しい章に入った連載はまだ十枚で難渋。
 では、そろそろ止まりそうですが今週の十句です。
 
 施餓鬼寺むかし帯解く女かな
 端居して流るるものを眺めをり
 闇の世の形代として水死体
 山繭の背後よりまた背後より
 緑陰や屍が三つ磔に
 儚きは精霊舟の裏側か
 飛び降りの視野をかすめて夏祭
 心残りは葬儀の朝の夏蜜柑
 別の世の髪切虫は我が夢に
 鬱王の後ろ姿ぞ青胡桃
 

8.24
 AM9時に起床、小説脳の動きが芳しくないため、暑さの谷間を見計らって散髪へ。夜はテンション低く静養。では、今週の秘書猫の日記です。
 黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です、こんにちは。クラニーせんせいはむりをすると調子がわるくなるので、「むりをしない ミーコ姫」とかいた紙をしょさいにはっておきました。とっても手がかかります。おしまい。
 

[読書メモ]
(小説)佐藤友哉「エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室」(講談社ノベルス)、折原一「樹海伝説 騙しの森へ」、柄刀一「殺意は幽霊館から」、歌野晶午「館という名の楽園で」(以上、祥伝社文庫)。
 「エナメルを塗った魂の比重」は私にはちと長かったのだが(当方の反応できないネタが多い)、ヒロインと「倉坂先生」の造型だけで個人的にはOK。タイトルも秀逸。あとはとりあえず400円文庫の今回分をすべて消化。「館という名の楽園で」は収穫でした(腹案とかぶってなくてほっとしたり)。まだまだ積み残しているのですが、なにぶん飽きっぽいので来週は別方面へ向かう予定です。
(小説以外)東雅夫「ホラー小説時評1990-2001」(双葉社)、ミシェル・ドルイー「チェスの教室1 さあチェスをはじめよう」(白水社)、今一生「生きちゃってるし、死なないし リストカット&オーバードーズ依存症」(晶文社)、鹿嶋春平太「神とゴッドはどう違うか」(新潮選書)、S・フィナテリ神父「キリスト教の常識」(講談社)。
 「ホラー小説時評1990-2001」のようなクロニクルが出ると、巷間囁かれているようにホラーブームは完全に終熄してしまったかのような一抹の寂しさを覚えますね(相変わらずマイナス思考だな)。ともあれ、世紀末のホラーブームがどうクレッシェンドしていったかをたどるには貴重な資料。まず第一回(1990.2)で採り上げているのはバリ・ウッド、B・M・ギル、キャスリン・プタセク・・・と、いかにも先が思いやられる立ち上がりである。この調子で書くと長くなるので一例を挙げると、これに言及されるのは著者は不本意かもしれませんが、翌91年に「リング」のハードカバーが出たときはあまりにも地味すぎて時評では見落としています(年間総括でフォローしてますけど)。その後、角川ホラー文庫の刊行と同時に文庫化されたときは「極めつきのカルト・ホラー」と評しています(1993.8)。要するに、当時はそういう存在だったんですね。それがのちにあのような巨大な「リング」市場に発展するとは、いったい誰が想像したことでしょう。かく申す筆者も、連載開始時は初刷30部の同人誌しか小説の発表の場がなかったのですが、世紀末が押しつまると「倉阪鬼一郎『死の影』がコンビニの棚に並んでいるさまは、個人的にはとてもこの世のものとは思えない光景であった」(1999.9)ということになってしまうわけです(著者もそう思ったけど)。しかしながら、陽至れば陰生ず、部数的にはあれがかそけき絶頂期で(と言うより何かの間違いで)、あとはだんだん坂を下るばかり・・・とまた暗くなってきたので強引に総括すると、かつてはミステリー国やSF国の辺境で細々と暮らしていた旧い少数民族がこの時期に曲がりなりにも独立したわけだから、以て瞑すべしと言えましょうか。今後も細々と続いていけば充分でしょう。私はと言えば、隣国と境を接する誰も棲まないような山岳地帯で黒猫と暮らし、他国を放浪したり首都に戻ったりしているうちにいずれどこかで野垂れ死にするんだろうな(と、やはり最後はマイナス思考になってしまった)。


8.25
 また睡眠障害でAM2時に起床。やむなく仕事にかかる。私の小説脳は電源を入れてみないと動くかどうかわからないパソコンと化しているのですが、今日は意外に快調で、連載と短篇で6枚進む。ただし、ここで突然フリーズ。仮眠をとろうと思ったのだがあいにく近所で夏祭が始まり、輾転反側したあげくふと目覚めるとPM8時。一度狂ってしまったリズムを取り戻すのは難しいものだ。
 さて、「小説推理」10月号が届きました。連載「The End」第12回が掲載されています。曲がりなりにも一年間は乗り切れたのですが、まだまだ先が長そうです。
 

8.26
 AM7時に起床。これくらいならエスタロンモカで持ちこたえられるので、連載・短篇・長篇D・Eを進める。その間、「夢見の家」の御礼メールの返事を書いたり、電話の応対をしたりする。その微妙な絡みで申し上げますと、出版芸術社から出した四冊はまだすべて在庫がありますので(ことに「緑の幻影」はふんだんにあるみたい)、どこかのネット書店を利用すれば入手可能です。お知らせでした。
 

8.27
 AM8時半に起床、長篇Dと短篇を進めてから、早めに神保町へ。キリスト教関係の資料の買い出しをしたあと(図書館本で読んで衝撃を受けた渡辺哲夫「死と狂気」がちくま学芸文庫に入っていたので迷わずこれも購入)、PM4時より祥伝社のY田さんと打ち合わせ。今週末発売のホラー・アンソロジー(スプラッター&サイコ)『紅と蒼の恐怖』(ノンノベル・880円)の見本を受け取る。私は紅組で「分析不能」という短篇を寄稿しています。これでとうとう女性作家の変名であることがバレてしまいましたね(笑)。あとは長篇の経過報告など。体調はいまひとつだったけど、普通に話ができてほっとする。帰宅したら留守電がたくさん入っており狼狽。珍しく携帯を持って出たのですが、着メロが「ロンドンデリーの歌」(李香蘭=山口淑子ヴァージョンが好きなんですけど誰も聞いてませんかそうですか)だから気づかなかったようです。ちっとも役に立ってないな。
 もう一つ、幻冬舎のPR文芸誌「星星峡」56号が届きました。「旅嫌いの陰気な告白」というコラムを執筆しています。「活字狂想曲」の宣伝タイアップ・エッセイです。
 

8.28
 AM6時に起床、例によって細切れに仕事を進め、仮眠後は連作短篇Eを起稿。「夢見の家」公式HPを見るためにショックウェーヴをダウンロードしようとしたら、「メモリ不足でできません」と表示が出る。おかげで著者はタイトルしか見ておりません。OSXを外せば軽くなるんだけど、パソコンをいじる気力がわかない。本当にメモリを増設したいのは私の頭なのだが。
 

8.29
 AM7時に起床、どれもこれも進まないし、バッテリーが上がってきたので半休にして読書に逃避。
 では、止まりそうで止まらない今週の十句です。前世紀末は完全なスランプ状態だったのですが、思うところあって今世紀から有季定型旧仮名に転向したら復活してきました。
 
 夕顔に夕顔ふれて独り
 夏草よ風に吹かるること赦す
 安居して綴る日記やひとごろし
 茅の輪くぐるもの貌のない人形
 誰もゐない踊櫓の暗さかな
 誘蛾灯その蒼い影人の影
 死後の景或る日に見たる蛍籠
 まくなぎやいづこも同じ開かずの門
 夏柳きみの訴へは聞こえない
 幸薄き常磐木落葉ただの落葉
 

8.30
 AM6時に起床。連載がようやく20枚に到達、あとは短篇を最後まで書く。こちらは余裕で間に合いそう。ガス欠後は例によって読書に逃避。
 

8.31
 今日もAM6時に起床。なぜか完全な朝型になってしまった。執筆は連載のみ、短篇を画面上で推敲してプリントアウト。ここで水道の蛇口の取り換えと称する男が入室、管理人の指示かと思いきや、ただの厚かましい営業だと判明したのでむっとして追い払う。おかげで終日不機嫌なり。今月の執筆枚数は170枚でした。では、秘書猫の日記です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。さいきんお出かけはありませんけど、秘書のおしごとはしています。ミーコがこっているのはハリガミです。こんしゅうは「気にしない ミーコ姫」「気をらくに タバコをすいすぎない ミーコ姫」「ねるまえにしょうぎをしない おさけをのみすぎない ミーコ姫」の3枚をかいてはりました。クラニーせんせいは、まいにちそれを見て「うんうん」とうなずいています。おわり。
 

[読書メモ]
(小説)古川日出男「アラビアの夜の種族」(角川書店)、菊地秀行ほか「紅と蒼の恐怖」(祥伝社ノンノベル)。
 いやー、やっと読みました「アラビアの夜の種族」。この感慨にはささやかな伏線がありまして、なにぶん分厚い小説には手が伸びないものだから「13」も「沈黙」もハードカバーで持ってるのに未読だったのです。短いダーク・ファンタジーならいざ知らず長大なファンタジーを読むのはいたって苦手なのですが(小声で言うと、ゴーメンガースト三部作ですら一巻目で早々と挫折している)、この作品は二重三重のメタフィクショナルな仕掛け、ブックフォームへのこだわり、なにより平明にして色気のある文章で読ませてくれました。とはいえ、肝心の物語よりルビの振り方、漢字の使い方、架空の訳注といったディテールのほうに反応していたのだから、つくづく偏頗な読み手であると言わざるをえない。
(小説以外)グリゴーリイ・チハルチシヴィリ「自殺の文学史」(作品社)、村田有「大林先生はなぜ死んだか 一高校教師がたどった『過労死』への道」(高文研)、小俣和一郎「精神医学とナチズム」(講談社現代新書)、小池壮彦「心霊写真」(宝島社新書)、永島転石「さざなみ集合体」(霧工房)、泉基樹「精神科医がうつ病になった」(廣済堂出版)、尾久裕紀「精神の迷宮 心はなぜ壊れるのか」(青春出版社)、小林光一監修「基本 筋と形に強くなる囲碁定石事典」(学研)、小高毅「よくわかるカトリック その信仰と魅力」(教文館)。
 「自殺の文学史」の著者はまだ四十代の半ばですが、日本文学研究者、三島由紀夫の翻訳家、高名な雑誌の元副編集長、ミステリーやユーモア小説のベストセラー作家にして権威ある文学賞を獲った純文学作家(筆名はボリス・アクーニン)というなんだか化け物みたいな人である。本書はその膂力と該博な知識に物を言わせた大冊。「人間と自殺」「作家と自殺」の二部構成で、巻末には無慮350名に上る自殺作家事典つき。リチャード・ミドルトンからオラシオ・キローガ、サーデグ・ヘダーヤトまで抜かりなく押さえられている。私もこういう事典に載るような作家になりたいものだ・・・というのはプラス思考だろうかマイナス思考だろうか。
 以下は資料用の本も混じっているのでとりとめがありませんけど、「心霊写真」の内実は「日本心霊写真史」、大正スピリチュアリズムまで周到にカバーした労作です。
 話変わって、カトリックの語源をたどるとなかなかに面白いです。由来はギリシャ語のカトリコス(普遍的、世界的という意味)、さらに遡ると副詞的な表現カトルー(kath’holou)に逢着します(意味は一般的に、全体的に、すべてに妥当する)。すでに誰かが指摘しているような気もしますが、これってCthulhuに似てますね。以下は憶測の域を出ませんけど、ラヴクラフトはオリジナルに地上の言語では発音できない単語を造ったつもりでも、その意識の深層にはkath’holouが潜んでいたのではないかと思ったりします。博識の読書家だったから、いったんカトリックの語源を認識したあと忘却の淵に沈んだ可能性を考えてみるのはあながち無理筋でもないでしょう(証明できないけど)。作家は多かれ少なかれ似たような体験をしていると思うのですが、「まったくオリジナルな登場人物の名前をつけたつもりだったのに、実在する人名に酷似していた」なんてことが間々あります。同じ現象がkath’holouとCthulhuで起きたというのは・・・やっぱり妄想かな?