10.1
 連載がようやく20枚に達したものの、10月1日では遅すぎる・・・と一度書いてみたかったのです。その後は長篇Dを進め、夜は短篇の推敲。
 俳句同人誌「豈」35号(記念冊子「黄金海岸」篇)が届きました。「春泥」20句と前に日記で言及した「物語から遠く離れて」という短いエッセイを寄稿しています。最後に52歳で逝った同人の貞永まこと氏の遺稿より二句引用して合掌。
 風狂を左に巻けば蜜柑山
 巻き舌で逝く江戸前の大暑かな
 

10.2
 台風一過で調子悪し。秋晴れはあまり好きじゃないし、どうも気圧の変動に弱い。連載・長篇D・Eを進め、夜は連作短篇を読み返す。
 

10.3
 長らく待ち状態が続いていた長篇Bにようやくゴーサインが出てほっとする。長篇Aはすでに出版済み、長篇Cも改稿を終えてゲラ待ちなので、長篇D(伝奇ホラー)→長篇A、長篇E(ノワール系ホラー)→長篇Bと三階級特進させます。以下、新長篇C・Dはミステリー系なのですが、さていつ手が回ることやら。年内の短篇はあと三作。来年は下手をすると連作が三つ同時進行になるかも。中篇の構想も四つくらいあるんですけど(ひそかに「日本で最もたくさん仕掛け本を書いた作家」を目指していたりする)、さすがに毎年は厳しいか。というわけで、今日はとりあえず目先の連載の追いこみ、唐突に第七章が終わってしまってうろたえる。
 

10.4
 京フェスの申込書を送り、福知山の宿を予約する。なぜそんなところに泊まるかと言うと、前日と前々日はここを拠点に丹後半島の取材に行く予定だからです(おお、まるでまともな作家みたいな行動ではないか)。しかし、北近畿タンゴ鉄道は本数が少ないから、あまり欲張るとひどい目に遭うかも。仕事は連載の第八章に入る。
 

10.5
 連載の今回分を最後まで書く。32枚でどうにか最低ノルマをクリア。夜は東大将棋4のマスターに久々の勝利。風車ではなく古臭い正調三間飛車で居飛車穴熊ビッグ4を粉砕したから自信になったかも。次は相矢倉で勝ちたいものだ。
 さて、光文社より短篇集「鳩が来る家」(光文社文庫、来年1月刊)の初校ゲラが届きました。異形コレクション掲載作を中心としたオリジナル短篇集で、数篇のブックフォーム未収録作を含みます。位置づけとしては「屍船」の次、連作を入れれば「夢見の家」の次なので、タイトルは「骸列車」か「鳩が来る家」かずいぶん迷ったあげく後者に決定しました。かなり前に書いた作品もあるからじっくり推敲しなければ。では、今週の秘書猫です。
 黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です、こんにちは。こんしゅうはおうちでだらだらしてました。おしまい。
 

[読書メモ]
(小説)飛浩隆「グラン・ヴァカンス」、佐藤哲也「妻の帝国」(以上、早川書房)、乙一「GOTH リストカット事件」(角川書店)。
 「グラン・ヴァカンス」は長く不遇をかこってきたニューウェーブSF読みには福音のような一冊。行間から間断なく抽象画と音楽が立ち上ってくるような文章と、硬質なイメージの横溢するディテールがとにかく素晴らしい。硝視体、人体球、官能炉・・・あとがきにちらりと出てくるマンディアルグを彷彿させる残酷な抒情とエロスとミクロコスモスと鉱物愛。さらに自分探しと記憶と世界崩壊感覚。いかにも同い年の作家らしい世界である(錯覚かもしれないけど「百年の孤独」と「ビューティフル・ドリーマー」の影も)。こういう作品が書かれるのなら「これからはニューウェーブだ!」は冗談じゃなくなるかも(サイバーパンク以降のSF読みが古めかしく感じるのもなんとなくわかるんですが)。いずれにしても、個人的には今年の国内SFベストワン決定。「妻の帝国」も収穫。情に流れないスぺキュレイティブな胸苦しさとでも称すべきものが心地いい。安部公房とはまた違う不条理感覚。「GOTH」についてはまた性懲りもなく本格ホラーと本格ミステリーの融合の話を振ろうかと思ったのですが、根が続かないので今週はこの辺で。
(小説以外)鮎川哲也「幻の探偵作家を求めて」(晶文社、たぶん四回目)、呼出し永男「相撲甚句有情」(マガジンハウス)、エドワード・ファウラー「山谷ブルース」(新潮OH文庫)、景山忠弘「大相撲雑学ノート」(ダイヤモンド社)、イー・チャンホ「これが手筋だ!」(誠文堂新光社)、杉本昌隆「右四間飛車ハンドブック」(将棋世界11月号付録)。
 「幻の探偵作家を求めて」なかりせば、少なくとも「猟奇者ふたたび」は書かれなかったでしょう。思い出の一冊です。



10.6
 連載を画面上でチェックしてプリントアウト、推敲に移る。連作短篇Fを起稿。NHKの将棋・囲碁講座は新講師に。森内名人は気の毒なほど緊張していた。その前の早指し戦の録画で久々に加藤一二三九段の駒飛ばしを見る。相変わらず将棋盤を割らんばかりの勢いなり。
 

10.7
 連載の原稿をメールしたあと、四時より神保町で長篇の打ち合わせ。詳細はゲラが届いた時点で発表しますが、年内に30冊目の著書を出せそうな感じです。内容は本格ホラーとのみ。終了後はしばらく書店を回ってから帰宅。
 さて、なくもがなの自己フォローをしますと、先週の読書メモにおける「長く不遇をかこってきたニューウェーブSF読み」というくだりは韜晦入りで軽く笑いをとろうとしたのですが、狙ったところがあまりにも狭すぎたかも(念頭にあったのはアンナ・カヴァンとかだったりする)。この機会に前から少し考えていたことを書きますと、イギリスのニューウェーブSFと中黒入りのモダン・ホラーはパラレルな部分があるような気がします。後者は後期ウエイクフィールドからロバート・エイクマンへという流れですけど、これはもう右脳全開じゃないと読めない(ことにエイクマン)。一般的な物語コードもしくはジャンルコードに就いた読み方では太刀打ちできないのです。おかげでエンターテインメントからしだいに遠ざかり、袋小路に陥ったと言われております(個人的には袋小路は大好きなんですが)。それと同時進行していたのがイギリスに端を発するニューウェーブSFで、やがてアメリカに伝播します(ニュー・シルヴァーバーグなど)。気になる流れはほかにもあり、イギリスのミステリーで最も先鋭化したピーター・ディキンスン、さらにフランスのヌーヴォー・ロマンあたりまでことによるとパラレルなのかもしれません(枠を広げるとプログレなども)。強引にまとめますと、70年代にいろいろなものが行き着くところまで行ってしまい、80年代以降にさまざまな揺り戻し(先鋭化の次なるオーソドキシーの逆襲および物語の復権など)が生じ、それがまた一サイクル終わって形を変えたニューウェーブの逆襲が始まるのではないか(ジャンルはリニアではなく螺旋状に進展する。ただし、周辺文明の日本はタイムラグがあって特異)という限りなく希望的観測に近い大雑把な仮説であります。ご清聴ありがとうございました。
 

10.8
 短篇をメールし、ひと山越える。疲れたので半休。
 毎週のように発注している紀伊国屋Webから大量に本が届く。海外ミステリーは買っては山を高くしているだけのような気が。うーん。
 

10.9
 長篇A・B・連作短篇Fを進め、夜はゲラ。特記事項なし。
 

10.10
 仕事は昨日と同じ。久々にデジカメの映像をMacに取りこもうとしたらやり方を忘れており、ミーコ姫フォルダがむやみに階層化して修復に手間取る。スマートメディアを入れ替えたから取材に行かねば。
 

10.11
 長篇Bがやっと50枚をクリア。ジョギング並みのスローペースで5kmを通過。夜はずっと繙き続けてきた文語訳旧約聖書を完読。これでピッチが上がるかしら。疲れたから新約聖書は新共同訳で読むことにしよう。
 

10.12
 今日は長篇Aが100枚をクリア。これでピッチが上がるかしら。では、秘書猫です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。こんしゅうもおうちにいました。らいしゅうはださこんに行くからあそんでね。おわり。
 

[読書メモ]
(小説)大石圭「自由殺人」(角川ホラー文庫)、飯野文彦「ザ・ハンマー」(エニックスEXノベルズ)、高瀬美恵「庭師」(祥伝社文庫)、我孫子武丸・田中啓文・牧野修「かまいたちの夜2オリジナルノベルズ 三日月島奇譚」(チュンソフト)、牧野修「バイオハザード」(角川ホラー文庫)、姫野カオルコ「よるねこ」(集英社)。
 今週は国内ホラーをある程度消化。大石圭の鬼畜な抒情はいつも琴線に触れるのですが、「自由殺人」は最も一般受けしそうな作品(たぶん)。唐突な自分語りで恐縮ですけど、むかし私も女子マラソンの代表選考レースが登場する習作長篇を書いたことがあります。こういうかぶり方もあるんですね。ちなみに、このヒロインはモニカ・ポントと小川ミーナを足して二で割ったイメージで読みました(わからなくていいです)。壊れすぎるほど壊れている「ザ・ハンマー」と端正すぎるほど端正な造りの「庭師」は好対照。二冊のノベライズで「なるほど、こういうゲームだったのか」と認識する。何か誤った情報がインプットされたかもしれない。鏡の国のアリスが巨大化してゾンビと戦う話じゃなかったよなあ。「よるねこ」のベストは、ホラー的には標題作を挙げるべきなんでしょうが、あえて好みで「心霊術師」。
(小説以外)鶴木遵「チャンピオンは眠らない」(KKベストセラーズ)、石井妙子「囲碁の力」(洋泉社新書)、香山リカ「ぷちナショナリズム症候群」(中公新書ラクレ)、中島義道「たまたま地上にぼくは生まれた」(講談社)、針ケ谷良一「大相撲 砂かぶりへの招待」(廣済堂)。
「たまたま地上にぼくは生まれた」はル・クレジオの詩に基づくタイトル。私も「発熱」が大好きだから、やはり何か通じるものがあるのかも。過去に愛読したシオランや山本夏彦もたまたま地上に生まれたような人だし。通じるものといえば、思わず微苦笑を禁じえなかったくだりがあったので引用。「先日ある有名な精神科の医者から言われました、『あなたは完全に精神病患者ですけれども、そういうことを書いたり、語ったりすることによって自分を癒しているのです』と。なるほどそうかなと思ったりもしました」。いまごろ気づくなよ(笑)。最後に、「ぷちナショナリズム症候群」はワールドカップ・サッカーの期間中に機嫌が悪かった人におすすめです。



10.13
 日曜につき仕事はセーブ、囲碁・将棋、競馬、マラソンなどのおじさんモード。シカゴ・マラソンは女子の陰に隠れていた32歳の高岡選手が2時間6分16秒の日本最高記録、トラックとロードで十二分に実績を積んでからというヨーロッパ型の転向が功を奏した。フォームがマラソン選手らしくなっていたのでびっくり。女子のポーラ・ラドクリフは2時間17分そこそこの驚異的な世界最高記録を樹立。よくあのフォームで最後まで持ちますね。トラック時代はあまりにもかわいそうだったから拍手。男子のハヌーシもそうだけど、オリンピックだけコケそうなタイプですが(どうもドイツのピッピヒとオーバーラップしてしまう)。競馬は長く不振の続いていた贔屓の加藤騎手が久々の重賞制覇。これでジョッキー寿命が延びるかしら。早碁選手権は趙治勲が連覇。「五秒碁ならもっと打てる」と豪語してました。偉いものだ。
 

10.14
 今日もマラソンを見てしまう。コースと気候条件は全く異なるものの、銀メダルの清水選手のタイムは昨日のラドクリフより遅かった。夜はゲラ。短篇集のゲラはほんとに進みませんね。とりあえず配列は決定。目次のヴィジュアル的効果および「ミューレンは下位に置く」というコンセプトで並べてみました。何を書いてもマニアックだな。
 

10.15
 本日は外出して懸案事項を端から処理。まずは秋葉原でiMacを購入。メモリ増設済みだから心置きなく使えるし、これでやっとCDも焼けるぞ。配送の手続きをしてから入谷へ。カトリック教会の撮影をしたものの、イメージと全然違って空振り。その後はデジカメを手に根岸・下谷を散策。いい感じの路地はあったのですが、かつての寺山修司みたいに捕まったら困るから、文句の出そうにない廃屋や潰れた旅館の看板などを写す。三ノ輪の喫茶店で休憩後、さらに取材を続行。「虚無への供物」に出てくる目黄不動はあいにく工事中、遊女の投げ込み寺で有名な浄閑寺にお参りしたあと、泪橋方面へ。さすがに山谷で撮影する度胸はないので、しばらく徘徊してから南千住に向かい、小塚原刑場跡の首切り地蔵や駅の界隈を撮影。この町はいつも随所で工事をやっているのですが、何一つ完成しそうにない雰囲気ですね。最後は北千住、前から目をつけていたレトロな眼科医院を撮ってから衣類を調達。ウエスト73もしくは70の黒のスラックスを探すのはひと苦労です。というわけで、ささやかな取材散歩でした。
 さて、e-NOVELSの週刊書評で千街晶之さんが「夢見の家」を取り上げてくださっています。器用そうで不器用な私の本質を衝いた批評でありがたい限り。モンス・デジデリオはことに嬉しかったりします。
 

10.16
 昨日の反動で体調悪し。長篇A・B・連作短篇Fを進めてから、連載と短篇集のゲラ。二年前の短篇の文章は不満だらけなり。
 

10.17
 iMacが届いたのでセットアップ。変な宇宙人が家にやってきたみたいである(アイちゃんと命名)。私はいずれ絶滅することが目に見えている「OSXはMacじゃない派」なので、デフォルト起動ディスクを惜しげもなくOS9に切り替え、ファイルの共有に成功(ネットワーク初体験)、デスクトップピクチャをミーコ姫にする。さらに初めてCDを焼いて絵画のデータを保存(実に簡単だった)、最後におまけについてきたEGWORDとEGBRIDGEをインストール。初日でこれだけ進めば上出来でしょう。
 

10.18
 連載を再開し、短篇Aを起稿。またどれもこれも進まなくなるような気が。
 iMac二日目はプリンターの共有に成功。取材した写真を大きなモニターに映すといい感じですが、なにぶん神経質だからファンの音が気になる。常時立ち上げだとストレスが溜まるかな。続いて、初めて音楽CDを焼く。作成したのは「鬼束ちひろベスト」、PS2で再生したらちゃんとCDになっていたので感動する。ちなみに収録曲はすべてダウナー系、つくづく中島みゆきの再来かも。
 

10.19
 秘書猫をつれて本郷の旅館で催されたDASACON6に参加する。コンベンション参加は久々である。今回のゲストは佐藤哲也さんと高野史緒さん。個人的には読者層を想定して書くかといったところに反応してました。メイン企画における浅暮三文さんの暴走を阻止したから役割は果たしたかな。終了後は大広間の隅で雑談。浅暮三文・山之口洋・佐藤哲也・倉阪鬼一郎という面々は誤差一年の同世代なのだが、一人だけ思想的に団塊のほうへシフトしている浅暮さんが種を蒔いては周りから集中砲火を浴びるという展開で、これが今回のハイライトだったかも。午前一時ごろ眠くなったのでコンベンションで初めて寝ようとしたのだが、枕が変わるとちっとも眠れない。結局、九時のエンディングまで大広間でしゃべっては横になるの繰り返しでだらだら過ごす。お疲れさまでした。
 

10.20
 もちろん余力なく、日記を書いただけ。では、秘書猫のレポートです。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。おともだちがたくさんくるので、クラニーせんせいにださこんへつれてってもらいました。ミーニャちゃんといっしょにでました。首をふってなくミーニャちゃんの芸はとってもうけてました。ミーコもいっぱいかわいがっていただきました。またあそんでね。おしまい。
 

[読書メモ]
(小説)高野史緒「ムジカ・マキーナ」(ハヤカワ文庫)、R・A・ラファティ「地球礁」(河出書房新社)、ラングドン・ジョーンズ「レンズの眼」(サンリオSF文庫)。
 今週はDASACONの課題図書とその周辺。ニューウェーヴSFには音楽それ自体を志向する部分があると思うのですが、そういった実験的な要素を継承しつつ伝奇SFの物語的豊饒をも回復した「ムジカ・マキーナ」は距離感が絶妙。「地球礁」はもう思いきりラファティ。酔っぱらった神が鼻歌交じりで書いているようなテキストで、バガーハッハ詩が秀逸。血の量と死者の数は旧約聖書を彷彿させます。「レンズの眼」は完全ダウナー系の暗黒ニューウェーヴSF作品集。私が褒めずしていったい誰が褒めるんだという内容である。狂気と憂鬱と引き攣った笑いに彩られたこの幸薄き世界は何者にも代えがたい。こんな作家がいたんだなあ。感動しました。
(小説以外)高山宏ほか「鳥瞰図絵師の眼」(INAX出版)、藤井誠二「学校の先生には視えないこと」(ジャパンマシニスト)、高山宏「殺す・集める・読む 推理小説特殊講義」(創元ライブラリ)、香山リカ「いつかまた会える 顕信 人生を駆け抜けた詩人」(中央公論新社)、「秦夕美 自解150句選」(北溟社)、。
 ミステリーのプロパー批評はいわゆる「お約束」を所与の前提として何の疑いも抱かないという憾みがなくもないと思うんですけど(むろん例外あり)、「殺す・集める・読む」は外からミステリーを見ている少数派の読者の渇を癒してくれる一冊。マニエリスム入門書としても好適。一見とっつきにくそうですが実は平明かつ気っぷのいい文章なので(もう少しためらいがあってもいいくらい)、慣れればつるつる読めます。必読。



10.21
 連載・長篇A・B・連作短篇Fを進め、夜はゲラ。寝る前には先週作成した「鬼束ちひろベスト」を聴いています。最近のお気に入りは「流星群」、ときどき中年ヒッキーになる特殊小説家の琴線に触れる部分があって泣きそうになりますね。
 さて、「俳句四季」11月号が届きました。「俳句百景 東京7」に猫をかぶって混じってます。「俳句屍鬼」なら別の句を出すんだけど。
 

10.22
 連載・連作短篇F・長篇B・A・ゲラの順に仕事。深夜は東大将棋4のマスターに専守防衛型右玉風車から後手番で勝利。186手の激闘であった。
 では、少し間が空いた今週の十句です。定稿には程遠いものの第三句集の最低ノルマはクリアしたので、またしばらく休むかも。
 夕紅葉濃紅葉わたしに水を下さい
 桐一葉その一瞬に誰か死ぬ
 探し物は猫ではなくて葡萄園
 草紅葉ひらがなだけの名札かな
 人間も人形もなし菊日和
 をはりまであるいていけば真葛原
 十月の鏡のなかの朱き門
 秋霖の林の木なり首くくり
 十五夜の十字架銀の匣の中
 鬱と欝の違ひは何ぞ大花野
 

10.23
 午後三時ごろ神保町へ。いつもチェックしている書店の平台に置かれていたのは、実にハリー・ポッターの新刊だけだった。なんだかなあ。「匣の中の失楽」の双葉文庫版を買ってから(一瞬、「匣の中」も併録されてるのかと思いましたが)、四時より集英社のI藤さんと打ち合わせ。かなり前に名刺交換したきりなので、目印に秘書猫をつれていきました。詳細は例によってゲラ出来後ということで。その後は秋葉原まで歩き、Illustratorのリファレンスブックを先に購入。次は本体ソフトを買うぞ。
 

10.24
 日本将棋連盟より二段の免状が届く。今回は「新手一生」という升田幸三の書が入った特製の駒箱つき。これに対抗して私が揮毫するとしたら何だろうかと考えてみる。「生涯窓際」だろうか。もらいたくない書だな。
 

10.25
 連作短篇Fとエピローグを最後まで書き、とりあえず一つだけ区切りがつく。まだ完成には程遠いから、ちょっと寝かせてから肉付けにかかることにしよう。
 

10.26
 小説脳がクラッシュしたため執筆はお休み。来年開始予定の作品の構想を練り、短篇集の著者校の一回目をようやく終える。夜はiMac、ウイルスバリアを入れたりJAGOをダウンロードしたりいろいろ。いままでノートばかりだから、どうも大きなキイボードは慣れませんね。では、今週の秘書猫です。
 黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。こんしゅうは打ち合わせについていって目じるしをしました。前にも何回かありますけど、ほかのお客さんはミーコをふしぎそうに見たり、おどろいたりします。どうしてかにゃ?
 最後に、「小説推理」12月号が届きました。「The End」連載第14回が掲載されています。
 

[読書メモ]
(小説)山口雅也「奇偶」(講談社)、鯨統一郎「悪魔のカタルシス」(幻冬舎文庫)、リンド・ウォード「狂人の太鼓」(国書刊行会)、法月綸太郎「法月綸太郎の功績」(講談社ノベルス)。
 「奇偶」はまさに私にとっては奇遇。片目の視力を失った主人公の作家が作者の分身であることはエッセイにも書かれているので間違いないのですが(本人の山口雅也もちらっと出てくる箇所はわりと重要かも)、そういった自分語りを含むテキストの感想なのでこちらも心おきなく書きますと、私は生まれつき片目なのです。で、あわよくば現代の医学をもって視力を回復せんとして結局別件のみで受けた目の手術のあと、シンクロニシティがテーマで私小説的要素を含む「サイト」という長篇ホラーを書いてるんですね。地伊亀一郎という名前も気になるし(いま亀の小説を書いてるし)、自分がどこかに出てるんじゃなかろうかと思われるほどの不思議な読書体験でした(もともとシンクロニシティは多いんですけど)。私の場合はあらかじめ視力が失われていたのでとくにどうということはないのですが、途中失明の場合のショックは想像するに余りあるものがあります(なお、脳さえ狭窄した視野に慣れれば片目でも読み書きに支障はないはず)。非在の第三の目を希求していた部分が如実にある著者の場合はなおさらでしょう。次にシンクロニシティに就いて言えば、作中にも議論がありますけど、ミステリー作品が偶然を完璧にねじ伏せることは不可能に近いのです。これを不器用な作家がやろうとするとどうなるかという好個の例がまたしてもかく申す私でして(苦笑)、「青い館の崩壊」で物を書いている複数の人間がすぐ近くにいるという偶然(不自然さ)を強引にねじ伏せようとして泥沼に嵌まり、やっと浮上できたと思ったら時すでに遅しで、どうやらその部分に関しては作者にしかわからないようなテキストになってしまったらしい。いずれにしても、前衛本格の先頭に立っていた作者はそのシンクロニシティの壁を最初から痛いほど認識していたわけです。もう一本の補助線は、蜜の流れる地を放逐されたインテリはどこへ行くかという問題です。論理によって世界を認識し、唯一無二の真理に至るという素朴な思想はもはや過去のものであって、リニアに見える線をいくら辿っても結局は偶然が立ちはだかってしまうんですね。かと言って宗教などへは行けない。楽園を逐われたインテリの魂はつくづく救われないのです。さて、むやみに引いた補助線をまとめたあげく凡庸なパトグラフィになったりしたら洒落にならないのでテキストに戻りますと、この作品が真に凄いのは後半です。何と言っても瀕死の推理作家が復活するんですから。その意味では自己回復の書なんですけど、決してリニアな進行にはならない。仮説が積んでは崩されるパート(ここだけ抽出しても充分スリリングなのですが)と作者の生きる意志の回復の過程がパラレルになっていて、なおかつ全的な回復にはもはや至らないことを認識しているところが凄くて感動的なのです。このカッコよさをわかってくれよベイビー・・・と、どうして最後に大きくハズしてしまうのかしら。
 以下は駆け足で。「悪魔のカタルシス」のこれをやりたくなる気持ちはよくわかりますね。「これ」の正体はもちろん秘密。「狂人の太鼓」はある意味では究極の理想である文字のない小説。言葉の欠落を補って余りあるのは、絵から漂ってくる音や声などの響きです。「法月綸太郎の功績」のベストは「イコールYの悲劇」。これはまさに本格パズラーのど真ん中。私が書いたら二番目のを真相にしてしまったかも。うーむ。
(小説以外)椎名陽子「句集 風は緑」(夢書房)、若桑みどり「絵画を読む」(NHKブックス)、大森荘蔵「物と心」(東京大学出版会)。
 「物と心」の「ことだま論」「宇宙風景の『もの-ごと』」「虚想の公認を求めて」「時の迷路」などは最良質のスペキュレイティブ・フィクションを読んでいるかのよう。立ち現われ一元論を踏まえて言うと、大森荘蔵がじかに立ち現われているような箇所に反応していたのですが、どうも私はテキストが何であれ似たような読み方をしているらしい。小説も詩も俳句も哲学書も同じように直観で把握しようとしている(小説なら物語性よりテキストから伝わってくる作家性とか)。したがって哲学の読者としては思いきり邪道なんですけど、独我論系の大森哲学はとても琴線に触れます(あまり内部の議論になると頭がついていきませんが)。客観性という錦の御旗のもとに科学を筆頭とする諸学を援用して百万言を費やして私に関する分析を施され、かりにそれをすべて理解したとしても、〈私〉はなお無傷のまま(あるいは傷だらけのまま)残るのです。だんだんぐちゃぐちゃになってきたので、保守系アナキストがいちばん元気の出た箇所を引用して終わりたいと思います。
「すべての立ち現われはひとしく『存在』する。夢も幻も思い違いも空想も、その立ち現われは現実と同等の資格で『存在』する。そのもろもろの立ち現われが同一体制、さまざまな同一体制の下に慣習的に組織される。その組織に参入した立ち現われが『実在する』立ち現われであり、その組織にあぶれて孤立する立ち現われが『実在しない』虚妄の立ち現われと、呼ばれる(原文、傍点あり)のである」(「ことだま論」より)。



10.27
 山本夏彦翁の訃報に接する。人生は死ぬまでの暇つぶしと称していた人だから、ご冥福をお祈りしますとは書きません。87年間も長々とご苦労様でしたとのみ。
 

10.28
 連載(ダウナー)・長篇A(アッパー)・短篇A(ダウナー)の順に執筆。毎日これを繰り返してると疲れるな。オール・ダウナーよりはましだけど。夜はMacPeopleの付録CDを初めて使ってみる。結局入れたのは「山頭火句集」だけだったりするのだが。
 

10.29
 今日の仕事は絶不調。ゆうべ牧野修さんのウロコを読んで何か悪いものが感染したかもしれない。某ノベルスの二作目が進まないウイルスとかあったりしたら厭だな。どちらが発生源なのかという問題もありますが。
 

10.30
 連作短篇集を最後までプリントアウト。あとは来月に備えてネットで調べ物。夜はゲラと読書。
 

10.31
 秘書猫をつれて夕方より新宿、紀伊国屋サザンシアターで行われたハヤカワSFシリーズJコレクション刊行記念フォーラム「新世紀SFの想像力」を聴く。パネルディスカッション第一部「最先端科学とフィクション」はハードSF作家篇(席順に野尻抱介・小林泰三・林譲治・平谷美樹・菅浩江・神林長平)、私はどう間違ってもハードSFは書けない人なんですが、かなり温度差のあるトークを興味深く聴いてました。相変わらず小林さんはいい味です。幕間は脚本・牧野修、朗読・北野勇作、サックス演奏・田中啓文という布陣のアトラクション。こんなシュールで客に緊張を強いる劇を観たのは学生時代の安部公房スタジオの公演以来かも。ほめすぎか。あとで聞いたらほとんど台本通りだったそうです。パネルディスカッション第二部「想像しえないことを想像する」はS澤編集長の名司会によると「それ以外」の作家篇。「グラン・ヴァカンス」の飛浩隆さんの「アメリカン・ニューウェーブとマンディアルグの『満潮』」という発言に思わず大きくうなずく。山田正紀さんがとりとめのないメンバー(北野勇作・牧野修・佐藤哲也・飛浩隆・高野史緒・田中啓文)を強引に総括してました。終了後は新宿ワシントンホテルに移動して懇親パーティ。初対面の飛さんから日記のお礼を言われて恐縮する。やはり読書履歴がかぶってましたね。掛け違っていて初挨拶は北野勇作さんと藤原ヨウコウさん。二次会は同ホテルのバー。浅暮三文、飯野文彦の酔っぱらい二人に囲まれて呑む。私も珍しくかなり呑んだのですが、要フォローの人物に挟まれているとちっとも酔わない。初対面は東浩紀さん。宿をとっていない飯野さんを見捨てて帰るには忍びないので、十人ほどで居酒屋へ。ここで反省文を書いたばかりの浅暮三文大爆発(笑)。東浩紀さんと激論・・・と書くとまるで話が噛み合っていたみたいだし、どう書いていいのかわかりません。四時過ぎに終了、始発まで福井健太、S澤編集長など数人で上高地。駅へ向かう途中、「カプセルホテルに泊まる」と飄然と去っていく飯野文彦。何のために朝まで付き合ったのかしら。面白かったからいいけど。というわけで、大変お疲れさまでした。