7.1
 あっけなく下半期に入ってしまった。仕事は昨日とほぼ同じ。構想を練っている時間のほうが長いような気がする。
 

7.2
 「幻想文学」67号「特集 東方幻想」が届きました。「聖者の眼」という短篇を寄稿しています。同誌に作品を発表するのは残念ながらこれが最後なので、気合を入れて実存ホラーを書きました。先日の飲み会で「創刊号に小説の後篇が載ったから、終刊号には前篇を」という話が出ましたけど、ちゃんと完結していますので。
 

7.3
 書くことがないため、早めに「学校の事件」(幻冬舎・今月刊行予定)の宣伝を。事件シリーズの第3弾なのですが、「同じ田舎の地方都市が舞台」「すべて学校がらみ」という縛りを入れ、長篇としても読めるように作ってみました。目次は下記のとおりです。
一学期「ラジオ体操殺人事件」
夏休み「吹上四十人殺し」
二学期「蔵書印の謎」
冬休み「吹上駅よ、さようなら」
三学期「部長の殉職」
春休み「ホームルーム・グッドバイ」
エピローグ


7.4
 なんだか泣きが入っているようなので、櫻井管理人が店主を務めるDeepMacにAdobe Illustrator10をオーダーする。79500円也。まあAppleWorksはスキルが物足りなくなっていたから、このソフトでまた暗いアブストラクト・アートを描くことにしよう。なお、DeepMacにはwin対応の商品もあるそうなので、みなさん何か買ってあげてください。
 夜はテレビ東京の恒例「夏祭り にっぽんの歌」を観る。なんと平田隆夫とセルスターズが28年ぶりに再結成。どうせならもう一曲「悪魔がにくい」もやってほしかったけど。・・・中年限定の話題でした。
 

7.5
 短篇Aをやっと最後まで書く。ずいぶん前に始動したのに、どうしてこんなに時間がかかったのだろう。ひと息ついたので浅草へ赴き、ROXビルで本とCDとぬいぐるみを購入、蕎麦を食べてから帰宅。では、今週の秘書猫です。
 黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です、こんにちは。さいきん、お出かけが多かったので、こんしゅうはきゅうようしてました。ぐうぐう。
 

[今週のBGM]「レクイエムがいっぱい」
 なんだか明るそうなタイトルですが、収録曲はオール・レクイエム。これでもかこれでもかと葬祭音楽が続く真っ暗なCDである。謳い文句は「究極のヒーリング・アルバム」なんだけど、これで癒されている人はどうですか。
[今週のミッドナイト・ソング]鬼束ちひろ「infection」


[読書メモ]
(小説)東野圭吾「ゲームの名は誘拐」(光文社)、貫井徳郎「誘拐症候群」(双葉文庫)。
 どちらも面白く読んだのですが、普通の警察が出てこないからあまり参考にはならなかったり。来週からはまた全然違う方向へ飛びます。
(小説以外)東雅夫編「ホラー・ジャパネスクを語る」(双葉社)、豊嶋泰國「安倍晴明読本」(原書房)、セレクション俳人07「岸本尚毅集」(邑書林)。
 ホラー・ジャパネスクに属する作品は好きだが「ホラー・ジャパネスクそれ自体」はどうでもいいというわかりにくい立場なので、ちょっと解説を。要は帰属意識の問題で、私は日本人であるという意識が希薄なのですね(かと言ってコスモポリタンではさらさらなく、蕎麦屋のない土地へは行きたくないんだけど)。さらに言えば、日本人はおろか人間であるという意識も恐らく他の人よりは薄い(その証拠にミーコが本体だと言われていたりする)。では、何に帰属しているかと言うと、一つの奇跡である〈私〉という存在、およびその比類なき魂なのです(これについては永井均氏の著作をお読みください。大多数の人は文脈を誤解すると思うのでひと言)。
 さて、私がずっと引っかかっているのは、〈私〉の〈〉の「堅さ」なのです。むろん個体として区切られているのだから堅いのは当然なんだけど、どうも抜きがたい西洋臭がつきまとっている。自同律の不快を感じている主体は堅いままではないか、みたいな。で、このあたりにホラー・ジャパネスクとリンクする部分があるのかなと思ったりしたのですが、それはすでにして「物語」ではないから駄目かもしれない。相変わらず結論が何もありませんが。


7.6
 短篇Aを画面上で推敲してプリントアウト。テンションが上がらないので、執筆はお休み。囲碁将棋番組のピックアップはNHK囲碁トーナメントの大竹英雄名誉碁聖vs今村俊也九段。こんなド渋い早碁は久々に見ました。
 

7.7
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。こんしゅうは早めのとうじょうです。なぜかというと、きょうはミーコのおたんじょうびだからです。ミーコは6つになりました。わーい。クラニーせんせいはおうまのぬいさんをプレゼントしてくれました。おなまえはレアちゃんです(せんせいはキョウエイレアというおうまさんがすきだったのだそうです)。レアちゃんは、ひひーんとなきます。えっとそれから、プレゼントやメールをくださったみなさま、ありがとうございました。うるうる。というわけで、こんごともミーコをよろしくおねがいします。おわり。
 

7.8
 長篇Aの再検討→長篇B→短篇Bのプロット→長篇Eのプロット→長篇C→短篇Aの推敲→資料読み。従来は長篇のプロットは作るものの細部のフォローは第三章くらいまでであとは成り行きというスタイルだったのだが、あらぬ方向へ暴走してしまった長篇Aの失敗に鑑み、最初からできるだけ細かく作ることにする。まあそれでも歪むだろうけど。
 

7.9
 言葉で音楽や絵画を表現したいという意識が頭のどこかに引っかかっているのですが、小説はひとまず問わず、音楽でも絵画でもある言語芸術と言えば、まず思い浮かぶのは俳句です。俳句には音韻(頭韻や脚韻および破調を含む定型)のみならず「切れ」があります。この「切れ」は切れ字によって喚起されるばかりでなく、多種多様な切り方が可能です。それによって生じるサイレントも強弱長短と千変万化します。このサイレントと音韻の組み合わせはほとんど無限でしょう。俳句が音楽であるゆえんです。なお、ことによると、俳句のサイレントは「書かれたことがない以上、死ぬこともありえない断片」(byシオラン)なのかも。俳句が絵画であるというのは比較的わかりやすい。ある言葉を漢字にするか開くか、表記によって句の佇まいはがらりと変わります。そのさまは一幅の絵のように感じられます。俳句に関してはほかにも考えていることがあるのですが(自然詠や写生句は果たして本当に可能かとか)、ひとまずこの辺で。


7.10
 DeepMacからIllustratorが届いたので、とりあえずインストールと環境設定。リファレンスブックは買ってあるのだが、くらくらするほど機能が多い。もっとも、マニュアルに沿ったイラストを描く目的で購入したわけではなく、この膨大なスキルの山から琴線に触れるものだけ抽出し、暗い抽象画を描くための自前のスキルを編み出して馴致しなければならないのだから話は迂遠だ。・・・と書いていてふと思い当たったのだが、これは私のジャンル・コードやガジェットに対する接し方とひどく似ているような気が。
 

7.11
 短篇Aをメールし、短篇Bを起稿。なんだかのべつまくなしに短篇を書いていますが、それでも「書き下ろしショートショート集をやってみたいな」とか思ったりするから、根っから短いものが好きなのであろう。
 夜はIllustratorに専念するも、登山口でうろうろしている状態。なぜツールボックスがマニュアルと同じにならないのだ。
 

7.12
 久々に長い悪夢を見て魘される。以下は夢の中での教訓。
 そのエレベーターのボタンを押してはならない。銀色のカマキリのような器具につかまって下りなければならない。
 待ち受けていた運転手に「麓の西日暮里まで」と告げ、最後に名刺交換をしてはならない。旅館への帰り道がわからなくなる。
 番号が振られた倉庫のような鈍いオレンジ色の建物の端まで歩き、水沢アキと思われる店員に「ここは近藤ビルですか?」とたずねてはならない。気味の悪い墨文字の行灯の蕎麦屋が現れる。
 その蕎麦屋の奥座敷に上がり、薄い草色のメニューを開いて「ものみの会」を注文してはならない。小さいライオンの姿煮が入っている。
 あのライオンの姿煮は気色悪かったなあ・・・。
 夕方は秋葉原へ赴き、まずIllustratorの新しい教材を買う。その後は壊れて久しいPHSを買い替える予定だったのだが、ふと気が変わり、薄いミニコンポを購入。帰宅後はIllustratorを再インストール、やっとマニュアルと同じツールボックスになる。そうか、プラグインで引っかかってたのか。「一週間でマスターするAdobe Illustrator」のサンプルをインストールしたところで今週はおしまい。
 

[今週のBGM]「ブザンソン音楽祭における告別コンサート」リパッティ(pf)
 33才で夭折した天才ピアニストのラスト・リサイタル。死病を得、主治医の制止を振り切って演奏に臨んだリパッティは、ついに最後の一曲を弾くことができなかった(その2カ月後に死去)。後半になると胸が詰まります。またこのショパンがきれいなんだわ。
[今週のミッドナイト・ソング]中島みゆき「白鳥の歌が聴こえる」


[読書メモ]
(小説)今週は完読なし。目下、ル・クレジオ「大洪水」をゆっくり繙読中。これはいいぞ。
(小説以外)林淳・小池淳一編「陰陽道の講義」(嵯峨野書院)、谷川渥「廃墟の美学」(集英社新書)、「幻想文学」67号(アトリエOCTA)、許光俊vs鈴木淳史「クラシックCD名盤バトル」(洋泉社新書)、福田和也「喧嘩の火だね」(新潮社)、村山修一「日本陰陽道史総説」(塙書房)。
 最後なので「幻想文学」の字を全部読む。「ハガード! ハガード!」は本当に完結していた。渋谷章さんのインタビューつきなのですが、そりゃ21年間の長きにわたる連載だから老けもしますね。お疲れさまでした。


7.13
 長篇Aの再検討→短篇B→長篇B→参考文献の整理→長篇C→長篇Eのプロットの仕上げ。囲碁将棋番組のピックアップはNHK将棋トーナメントの中井広恵女流三冠vs畠山鎮六段。NHK杯における女流棋士の勝利は史上初。B2のバリバリの昇級候補に勝ったんだから、これは快挙でしょう。
 

7.14
 仕事はあまり調子出ず。夜はオフにして読書とIllustratorの練習。折にふれてテキストに書きこみをしながら勉強しているから、いずれ使えるようになるでしょう。「邪悪」「めまい」といった不可解な書きこみだけど。
 

7.15
 長篇Aを再起稿。入念に検討したので今度は大丈夫だとは思うが、結局頭から書き直すしかないのだった。
 では、今週の十句です。

ドールことごとく空洞にして西日
こなごなにこはれて夏の多面体
夏柳だれもとほらない道に
晩夏光だれかのためにあの音を
ある晴れた夏の日に私の人形を潰す
館その青蔦に蔦つたふのみ
白く遥かに八月の鷹の不在
ここを去りたいと思ふ夏座敷に独り
八月の剥製の鳥何か云へ
吃音の鳥にをしへる「夏は逝く」

 うーん、確かに「より一層陰鬱さを増している感がある」(by中島晶也)かも。


7.16
 メラトニンがあまり効かなくなってしまい、このところむやみに酒量が増えている。ほかの酒も飲んでるのにバーボンのボトルが四日に一本空いてしまうのはどうよ。


7.17
 長篇A→中篇→長篇B→長篇C→短篇B→短篇Aのゲラ。
 「小説すばる」8月号が届きました。連作「十人の戒められた奇妙な人々」第七話「マックスは忍び寄る」が掲載されています。この連作はあらかじめ縛りを設定して書いているのですが、今回は担当のK原さんから「変化をもたせるためにこういうものはいかがでしょう」というナビゲートがあったので、五重くらいの縛りで執筆しました。このあたりは我ながら器用だなと思ったりするんですけど、惜しむらくは売れるものを器用に書く才能がないのであった。
 

7.18
 エッセイ、アンケートなどのこまごまとした仕事が中心。鬱陶しくなってきたので散髪。ブリーチ剤を買ってあるのだが、さてどうしたものか。
 

7.19
 SF大会はオファーをいただいたのに申し訳ないのですが不参加。極端な偏食なので素泊まりの宿じゃないと駄目なのです。かつて一度だけ参加したミス連合宿(ゲストはともに初対面だった西澤保彦さんと恩田陸さん)のM旅館がトラウマになっているという説も(笑)。では、今週の秘書猫です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。えっと、クラニーせんせいが「ミーコも俳句を作ってみたら?」というので、つくってみました。

くろねこは夏はとってもたいへんだにゃ
くろねこは冬はぽかぽかうれしいにゃ
ねこやなぎどこがお顔かわからにゃい
 
 んーと、こんなのでいいのかにゃ?
 


[今週のBGM]ショパン「4つのスケルツォ」 ポゴレリチ(pf)
[今週のミッドナイト・ソング]The Eagles 「Desperado」


[読書メモ]
(小説)J・M・G・ル・クレジオ「大洪水」(河出書房新社)、井上雅彦監修「夏のグランドホテル」(光文社文庫)。
 半月かけて「大洪水」を読了。ル・クレジオの長篇はほとんど読んでいなかったのだが、これは傑作。帯の惹句を引用すると、「生の中に遍在する死を逃れて錯乱と狂気のうちに太陽で眼を焼くに至る13日間の物語」。いかにもヌーヴォー・ロマンらしく、色彩あふれる散文詩もしくは読む抽象画であるパートと、単調な物語がゆるゆると進行する(あるいは壊れる)部分が音楽的に交錯している。共通低音として流れる狂気と幸薄さには胸迫るものがありました。
(小説以外)久保純夫句集「比翼連理」(草子舎)、松岡正剛「知の編集術」(講談社現代新書)、渡辺恒夫「〈私の死〉の謎」(ナカニシヤ出版)、森銑三・柴田宵曲「書物」(ワイド版岩波文庫)、木原浩勝・中山市朗「新耳袋 第八夜」(メディアファクトリー)。
 「〈私の死〉の謎」の副題は「世界観の心理学で独我を超える」。私は大森荘蔵、永井均、中島義道といった独我論系の哲学(大雑把なくくり)が性に合うもので、著者の提唱する〈エレガンスの原理〉はさほどエレガントには感じられなかった(トランスパーソナル心理学、ウパニシャッド哲学、量子力学的世界観、いずれも「さまよえるインテリ」の逢着しそうなものですが、個人的にはあまり行きたくなかったりする)。独我論系の哲学は「その過程において垣間見えるもの」がエレガントだと思うし、そもそも「エレガンスを欠く」という批判はあまりにも主観的ではないだろうか。ちなみに、P197の解決法の分類によると、私はどうやら2の特殊説「世界はいびつであってもよい。『倉阪鬼一郎』は事実、特殊だからだ。→存在論的独我論。→宗教的化身教義(宗教的妄想?)」であるようだ。この先には精神病理と宗教しかないという説明なのだが、べつに無理に解決(説明原理)を求めなければいいだけの話かもしれない。


7.20
 仕事は小休止。囲碁将棋番組のピックアップはNHK囲碁トーナメントの知念かおり女流棋聖vs宮沢吾朗九段。将棋と違って囲碁は女流が勝ってもべつに驚かないけど、この組み合わせで地味な作り碁になるとは。
 ゴルフの全英オープンはまったく無名のベン・カーティスが優勝。個人的には最終日が悪天候じゃないとThe Openを観た気がしないのだが。
 最後に、大相撲名古屋場所回顧。しばらく幕下と十両を往復していた若兎馬が急に強くなって幕内昇進へ。若兎馬(わかとば)と壽山(じゅざん)というのは角界一のインテリの誉れ高い押尾川親方らしいネーミングで力士によく合っている。相変わらず全体とはまるで関係のない回顧であった。
 

7.21
 長篇A→中篇→長篇B→長篇C→短篇B改めA→長篇D改めEの構成表作り。
 夜は練習を兼ねてIllustratorで初めて絵を描く。結局、AppleWorks時代から何の進歩もない作品になってしまった。スキルアップはこれからだ。
 

7.22
 コンビニの文庫本の棚といえば少数のライトな売れ筋商品に限定されているはずだが、今年できた近所のコンビニの棚は尋常でない。なにしろ庄野潤三の文庫本が平然と置いてあったりする(しかも二冊も)。べつに渋好みではなく、何も考えていないとおぼしい。普通、コンビニの棚に「忌まわしい匣」を三冊も並べて差すだろうか。いったいどういう仕入れをしているのだろう。そう言えば、広い店内は閑散としており、心なしかこのところ店員の顔が暗かったりする。
 

7.23
 三時より神保町の古瀬戸で原書房のI毛さんと打ち合わせ、長篇E改めDのプロットについて。「四重奏」に続く音楽系ミステリーの予定です。絵画系ミステリーの長篇Fまでだいたい話はできているのですが、このところ思うように手が動かないからなあ(書くのが面倒な話しか思いつかなかったり)。その後は神田まつや(大ごまそば)→銀座博品館(ぬいぐるみ購入)のルートで帰宅。
 

7.24
 頭の中身が暗いからせめて外側だけでも明るくしようと思い、生まれて初めてブリーチを試みる。しかし、元が黒かったせいか、あるいはブリーチ剤の選択を含む過程に何か問題があったのか、ちっとも変わっているように見えない。うーむ。
 

7.25
 アンケートとエッセイを送付。脳のメモリが足りなくなるため、小説の同時進行は一日4作以内とする。さすがに5つは多すぎる。
 ユーザー辞書の整理をしようかと思ったのだが、前にうっかり全部消してしまったことがあるので自重。私のワープロ専用機は「こうちょう」をいまだに率先して「光鳥」と変換したりするのだが。
 

7.26
 通販でまとめ買いしたぬいぐるみ用スプレー「ぬいぐるみのクリーニング屋さん」が届く。箱に小魚のぬいぐるみが数匹入っていて得した気分。さっそくうちの猫ぬいたちに分け与える。では、今週の秘書猫です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。クラニーせんせいがまたおともだちをかってくれました。フェレットのフェレちゃんです。フェレちゃんはとってもよくできていてかわいいです。わーい。
 

[今週のBGM]サティ「ピアノ作品集」 チッコリーニ(pf)
[今週のミッドナイト・ソング]中島みゆき「エレーン」「泣きたい夜に」


[読書メモ]
(小説)今週は読了なし。スティーヴ・エリクソン「黒い時計の旅」を読もうとしたのだが、どうも肌に合わなくて挫折、ル・クレジオ「愛する大地」に方向転換。
(小説以外)若島正「乱視読者の英米短篇講義」(研究社)、中山美樹句集「おいで! 凧」(ふらんす堂)、大森荘蔵「新視覚新論」(東京大学出版会)、青柳いづみこ「ショパンに飽きたら、ミステリー」(創元ライブラリ)、麺'sCLUB編「ベストオブ蕎麦 超精密オールカラー版」(文藝春秋)、マッティ・フットゥネン「シベリウス 写真でたどる生涯」(音楽之友社)、奥澤竹彦「聴覚刺激小説案内 音楽家の読書ファイル」(音楽之友社)。
「新視覚新論」は読了までにむちゃくちゃ時間がかかってしまった。ジョージ・バークリィの「視覚新論」を批判的に検討したすべり出しはスぺキュレイティヴで面白く読める(五感をテーマにした変な小説を書いている人は参考になりますよ・・・と誰にともなく)。難所は中盤で、大森哲学の柱の一つである「重ね描き」を理論的に補強するためにさまざまな検討をしているのだが、難解な物理の話になったりするから私の頭ではとてもついていけない。そもそも私は哲学それ自体には何の義理もないので、ある種の魔法を見せてくれれば(大森荘蔵風に言えば言葉が詩的相貌で立ち現われてくれれば)、もしくはスぺキュレイティヴな刺激さえあれば、いくら間違っていてもいいのである。終盤は大好きな「立ち現われ一元論」、ことに終章は大森節全開で堪能しました(幽霊の材質のくだりとか)。引用は九章「言い現わし、立ち現われ」の結語部分のみ。
「嘘つき、ペテン師、妄想患者、作家、詩人、これらの人々はこの『現実世界』の外に立ち現われを創造する。まさにそれを『言い現わし』、『思い現わす』のである。それらの立ち現われはこの動物的な、余りにも動物的な『現実世界』からしめ出しをくうだろうが、彼らはまた一つの(余りにも?)人間的な『現実世界』を作り出しているとも言えはしないか」(傍点略)。


7.27
 謹呈お礼カードが切れたのでiMacのIllustratorの絵をカード化してプリントアウトを試みたのだが、なかなかうまくいかない。とりあえず浅暮三文さんと田中啓文さんだから失敗作を送っておこう。すまん。
 

7.28
 短篇A→長篇A→秘書猫をスプレー→長篇B→長篇C。
 毎晩練習しているIllustratorは変形とぼかしとグラデーションを覚え、やっと邪悪な抽象画が描けるようになる。今日は「終末の鳥」という絵を描きました。一人で絵画治療をやっているようなものですか。
 

7.29
 古本屋から1万円分の小包が届く。中身はすべてル・クレジオ。学生時代にロブ=グリエなどはわりと読んでいたのだが、もっと性に合うはずのル・クレジオはなぜか読了数が少なかったのだ。それにしても、いまごろル・クレジオにハマってる人ってどうよ(去年はラングドン・ジョーンズで騒いでたし)。
 

7.30
 約3年ぶりの事件シリーズ第三弾「学校の事件」(幻冬舎・1500円+税)の見本が届きました。装画は曽根愛さん、装幀は鈴木成一デザイン室さん、棚差しだとセーラー服の少女が見えます(凝った仕掛けもあります)。日記が更新されるころには発売になっておりますので、よろしくお願いいたします。目次については7/3の日記をご覧ください。ほんとに、何かの間違いでいいから一冊火がついたりしないかしら。・・・焚書にあうイメージしかわかないけど。なお、ライフワークの一つである事件シリーズは今後「会社の事件」と「都会の事件」を予定しているのですが、今回吐き出してしまったためちょっと間が空きます。
 

7.31
 秘書猫をつれて夕方より飯田橋のホテル・エドモント、推理作家協会の懇親会パーティに出席する。夏の懇親会は初めてだったのだが、新年会よりずっと人が少なかった。名刺交換は難波弘之さん、中里融司さんなど。SF系の知り合いだけ増えているのはなぜ? 足が痛くなってきたので今日はおとなしく一次会のみで帰宅。
 今月の執筆枚数は176枚(A標準)でした。