10.1
 恐ろしい夢を見て自分の悲鳴でいったん目を覚ましたのだが、二度寝してまた長い夢を見たらすっかり忘れてしまった。残念。
 

10.2
 家具屋に発注した品が到着。とりあえずCDラックを2台組み立てて整理。作中で人間を解体したあとにラックを組み立てるというのもなかなかに乙なものである。
 夜は緊縮財政につきあまり手を出さなかったDVDの「アート・オブ・ヴァイオリン」(ブリュノ・モンサンジョン監督)を観る。ハイフェッツの実演映像にもいたく感激したのだが、強く印象に残ったのは、16歳でデビューして二百年に一人の逸材と称賛されたものの3年後に精神病院に収容、26歳で夭折した(死因はロボトミーの失敗)ヨーゼフ・ハシッドの録音だった。やはり悪魔の楽器なのかも。
 

10.3
 5時に飯田橋の喫茶店で双葉社のH野さんと打ち合わせ、長篇幻想小説「The End」の初校ゲラを受け取る。作者的には交響曲第1番なので気合を入れてチェックせねば。その後、6時半よりホテル・メトロポリタンエドモンド、鮎川賞のパーティに出席する。今年はとみに出席者が多かったような気がする。ずいぶんたくさんの方と歓談。二次会(ベローチェ)→三次会(カーニバル。異例にも歌なし)→四次会(ロイヤルホスト)を経て7時前に抜ける。お疲れさまでした。
 

10.4
 7時より御茶ノ水パセラ、輝け!神保町生きていてもいいですか歌謡祭に参加する(主催者の集英社C塚さんとほぼデフォルト・メンバー)。今回は暗い歌しばりにつき、普通のカラオケでは盛り下がるから歌えない曲をガンガン入れる。初めて歌ったのは「雨は似合わない」「G線上にひとり」など。午前1時まで歌って解散。皆さん、お疲れさまでした。
 さて、「ダ・ヴィンチ」11月号が届きました。特集「誰でも作家になれますか?」のアンケートに登板しています。うーん、どう見ても私だけ浮いているような気が・・・。
 

10.5
 また反動で不調。昨夜のカラオケの演歌系熱唱でいびつな動きをしたせいか、やたら太ももが痛いのだが。では、今週の秘書猫です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。こんしゅうは、まずパーティにでました。ミーコはおともだちにかわいがっていただいて、お写真をいっぱいとってもらいました。わーい。それから、カラオケにもでました。フェレットのフェレちゃん、オコジョのオコちゃんとジョーちゃんをつれていきました。オコジョさんたちはなくのでバックをやってました。つかれたけど、たのしかったにゃ。おしまい。
 

[今週のBGM]ベートーヴェン「弦楽四重奏曲全集(8枚組)」 ジュリアードSQ
 ふう、時間がかかった。中期の「ラズモフスキー」などはとても耳に心地いいのだが、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲のほうが好み。ベートーヴェンといまひとつ相性が良くないのは中心に人間がいるせいだと思われる。その点、シベリウスやブルックナーは人間がいないから落ち着いて聴けます。
[今週のミッドナイト・ソング]鬼束ちひろ「BACK DOOR(album version)」


[読書メモ]
(小説)シオドア・スタージョン「海を失った男」(晶文社)、殊能将之「子どもの王様」(講談社)。
 作中に音楽がよく出てくるせいか、スタージョンの短篇集は協奏曲的だと感じた。ソリストはSFのアイデアなのだが、オブセッションあふれるオーケストラが時としてメインを食ってしまう。そのあたりがやはり1%の作家。編者の若島正さんと期せずして一致したのですが、好きな作品は「ビアンカの手」と表題作でした。「子どもの王様」は子供向けの媒体(一応は)なのに毒が入っている点を評価したいけれども、もっと猛毒をと思ってしまうのは業と言うべきか。
(小説以外)武満徹「音楽を呼びさますもの」(新潮社)、許光俊「世界最高のクラシック」(光文社新書、再読)、紅野謙介「書物の近代」(ちくま学芸文庫)、市橋芳則「昭和路地裏大博覧会」(河出書房新社)、常盤雅幸「真ッ赤な東京」(集英社文庫)。
 初読の際に忘れたので、「世界最高のクラシック」からマニエリスムの特徴を引用。
 極端なコントラスト、逆説、技巧の極端な洗練、気取り、表現の極端な振幅、自意識過剰、デフォルメ、冷たさ。
 著者はクラシックの批評家として有名ですが、専門は美学、さすがに鋭い分析をしていますね。狭義のマニエリスムは美術史のほんの一時期に咲いた徒花なんですけど、広義のマニエリスムは文学や音楽のみならず実は遍在しているのではないかとふと思ったりします。政治におけるマニエリスムはナチズムだったとか・・・。


10.6
 短篇A→長篇A→長篇B→長篇C→ゲラ。
 ゲラは遅々として進まず。うーむ。
 

10.7
 仕事のあと、西日暮里のおしゃれな美容院(実在するんだから笑ってはいけない)へ赴き、カットとブリーチを依頼する。本格的なブリーチは初めてだが、ずいぶん工程が多いものである。しかし、改造される宇宙人の趣で(べつに地球人でもいいのだが)なかなかに面白かった。結局、新しい髪の色は明るめのブラウン。先週のパーティの前に行けばよかったかな。
 

10.8
 頭の外側だけ明るくなったものの内側は変わらず。当たり前か。では、久々に今週の十句です。

みなみかぜ耳をふかれてゐるばかり
夏の山鬱然と鬼あらはるる
去りぎはの猿を思へば葉月果つ
私は引き裂かれてゐると思ふ九月
秋郊のいづこもト音記号かな
たましひのゆくへはとほき秋の水
刈田にて死ねば刈られてしまふのみ
十五夜の砂漠に赤いピラミッド
日ぐれなり藁塚に藁あるばかり
紅葉その青になりたかつた赤に
 


10.9
 昨夜ずいぶん冷えたせいか風邪気味。薬をガンガン飲んで初期治療につとめる。同時に、クローゼットから冬物を引っ張り出し、夏物と半分くらい入れ替える。全部黒いから何がどうなっているかわからず、結局は当季の服をまた買ってなおさらぐちゃぐちゃになってしまうという悪循環を繰り返しているのだが。
 中日ドラゴンズの次期監督が落合に決定。「根性は知の曇りである」(by岡潔)という箴言に賛意を示す者としては歓迎すべきことではあるが、さてこれで悲願の半世紀ぶりの日本一が近づいたかと言うと急にトーンダウンしてしまうのであった。
 

10.10
「豈」37号「俳句空間篇」(発行・豈の会、発売・邑書林、1000円+税)が届きました。「夢木灘」20句とエッセイ「俳句空間と私」を寄稿しています。今回は十年前に休刊した伝説の前衛系俳句雑誌の特集です(私もこの雑誌の投稿欄の出身)。特集「『俳句空間』の恐るべき子供たち」には酒巻英一郎さんによる「倉阪鬼一郎掌論 マニエラとエニグマあるひは手法と秘法について」も掲載されています。そうか、昔は「恐るべき子供」だったのか・・・。
 

10.11
 風邪薬の嚥みすぎか、頭がボーッとしていて仕事は進まず。不調。
 

10.12
 短篇Aをとりあえず最後まで書き、夕方から錦糸町。怪しげな一角にあるそばの里みつまさで大もりを食したあと(ほのかに緑がかった新蕎麦でわりと好み)、すみだトリフォニーホールへ。蕎麦ツアーとコンサートの組み合わせはマイブームなのである。今夜はアルド・チッコリーニのピアノ・リサイタル。78才の老ピアニストだから、ここで聴いておかねばと思った次第。プログラムは、ドビュッシー「前奏曲集第2巻」、ショパン「2つの夜想曲」「ピアノ・ソナタ第3番」。三階席で遠かったのは残念ですが、渋く美しい音色で結構でした。ドビュッシーは必ず心地よく眠くなるもので、家で聴くのならヘッドホンをつけたまま寝るんだけどそういうわけにもいかず少々困りましたが。期待どおりアンコールでサティを弾いてくれたし(チッコリーニはサティを有名にしたピアニスト)、満足して帰宅。では、今週の秘書猫です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。クラニーせんせいがちゃぱつになったのでうつったらどうしようかにゃとおもいましたが、さいわいミーコは黒猫のままです。んーと、おしまい。
 

[今週のBGM]ドヴォルザーク「交響曲全集(6枚組)」 ケルテス指揮・ロンドン交響楽団
 ドヴォルザークの三大交響曲(7〜9番)は同じ指揮者で聴いているのですが、全集で残りを。ケルテスは存命なら間違いなく大指揮者になっていただろう逸材で(不運にも43才で水死)、これは三十代の録音、実に颯爽たるものです。5番はなぜ人気がないのか不思議なくらいの佳曲でした。
[今週のミッドナイト・ソング]特になし。


[読書メモ]
(小説)今週は完読なし。
(小説以外)許光俊「邪悪な文学誌」(青弓社)、松尾貴史「街角の天才記念物」(日本文芸社)、茂木大輔「オケのなかの蛙、大海に挑む」(中央公論社)、黒沼ユリ子「ヴァイオリン・愛はひるまない」(海竜社)、山本茂「神童」(文藝春秋、再読)。
「邪悪な文学誌」の著者は若いころセリーヌとシオランとバタイユを耽読していたらしい。それでもルサンチマン=凡庸な権力欲というクールな認識があるから、いい感じの屈折になっていますね。夢野久作とデルヴォーの親近性など、内容もかなり面白いです。


10.13
 風邪がぶり返して不調。短篇Aを画面上で加筆推敲してプリントアウト。
 誰が登場しているのかなと思い、先日ダウンロードしたへぬへぬ作「ウロボロスの摂動論」をボーッと眺めていたら自分の名前を発見する。うーん、まさかこんなネタを振られるとは(笑)。あの、ただ、名前が「倉坂」になってるんですけど・・・。
 

10.14
 長篇A→長篇B→短篇Aの推敲→長篇C→ゲラ。
 風邪が抜けずおまけに雨だが、洗濯物が溜まったのでやむなくコインランドリーへ。こういうときは部屋に洗濯機と乾燥機があれば便利なのにと思ったりするのだが、もはやどこにも置き場所がないのであった。
 

10.15
 一つだけ残っていた文庫用の本棚を組み立てはじめたのだが、ビスの穴がいやに小さく、私の力ではうまくいかない。カッとして断念し、部品をガムテープでぐるぐる巻きにして捨てる。せっかく買ったのにもったいないが、私は気が短いのだ。まあかつて同じようにカッとして捨てたノートパソコンに比べたらたいした痛手ではないから、いずれほとぼりが冷めたら買い直すことにしよう。
 

10.16
 短篇Aをメール。夜は「The End」の初校ゲラの一回目がようやく終わる。ゲラは全部音読するからむやみに時間がかかるのである。それにしても風邪はいつ抜けるのだろうか。
 

10.17
 長篇の構築性をどうクリアするかという課題は永遠のテーマの一つのような気がする。長篇型で物語と親和するタイプの作家はこういう苦労はしないのだろうが、私は短篇型、さらに言えば小説が本当に向いているのかどうかも疑わしい部分がある。せんじつめれば、抽象画や短詩型文学のほうに適性があるようにも思われるのだ。とは申せ、長篇を仕事の柱にせねばとても身上が成り立たない。というわけで、いまだにいろいろと試行錯誤を繰り返しており、慧眼の持ち主から「無理して話を作っている」とか言われたりしているのだが、つらつら振り返ってみるに、これまではミステリーの枠組みや仕掛け、ホラーならクトゥルー神話の構造などといったもろもろのものを援用してきたのだけれども、交響曲を筆頭とするクラシックも使えるのではないかと先日ハタと思い当たった。せっかく毎日聴いているのだから、吸収して活かしたいところ。作品によって楽器を変え、「さてこのあたりでティンパニを鳴らしはじめるか」などと考えながら書くと楽しいのではないかと思ったりする。
 

10.18
「小説すばる」11月号が届きました。〈特別アンケート企画〉作家106人に聞きました「無人島に持っていく3つのモノは?」に参加しています。西澤保彦さんとだけちょこっとかぶってました。さて何でしょう。
 

10.19
 朝早く目が覚めたので執筆はお休みにしてゲラに専念、夕方にようやく終了。ふう。では、今週の秘書猫です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。えっと、クラニーせんせいはミーコをむじんとうにつれてってくれるのだそうです。あ、それはネタばれだよとせんせいはいってますが、べつにちっとも意外じゃないからいいんじゃないかにゃ。おしまい。
 

[今週のBGM]「神童〈幻のヴァイオリニスト〉(2枚組)」 渡辺茂夫(vn)、「カーネギー・ホール・リサイタル」 五嶋みどり(vn)。
 幻のヴァイオリニスト・渡辺茂夫については山本茂「神童」に詳しいが、渡辺茂夫は天上的[へヴンリー]で五嶋みどりは地上的[アースリー]という関係者の証言が印象に残り、聴き比べてみることにした。どちらも十代の半ばで完成された神童だと思うが、そういう耳で聴くせいか(何とも言えない肉声のメッセージまで収録されている)やはり16才で実質的に夭折した渡辺茂夫は不吉な匂いがする。ことにメンデルスゾーン「五月のそよ風」は異様なまでに重苦しい。暗い音楽を聴くと往々にして鬱が浄化されるものだが、これは逆に憑依されそうで落ち着かなかった。
[今週のミッドナイト・ソング] NSP「さようなら」


[読書メモ]
(小説)山尾悠子「ラピスラズリ」(国書刊行会)。
 読む画廊のような一冊。美しい匣から本を出し、平背の扉を開けると、画廊の店主が語りかける。本文もさることながら、各篇の額縁(書き出しと末尾)がことに美しい。この魔術のかけ方は泉鏡花を彷彿させる。並んでいる絵は大方がイメージする油彩画ばかりではない。個人的には、水彩画にして独特の遠近法が息づいている「トビアス」が印象深かった。
(小説以外)高山宏「カスティフィリア」(作品社)、「セレクション俳人12 筑紫磐井集」(邑書林)、麻生香太郎「ブレイク進化論」(情報センター出版局)、荒俣宏「目の劇場」(朝日新聞社)、「新潮45」編集部編「殺人者はそこにいる」「殺ったのはおまえだ」「その時殺しの手が動く」(以上、新潮文庫)。
「殺人者はそこにいる」所収の「『自殺実況テープ』の出してはいけない中身 葛飾『社長一家』無理心中事件」は物凄いインパクト。聴いたおかげで精神に変調を来した者もいるという自殺実況テープが部分的に起こされているのだが、さすがにこれは人に薦めないほうがいいかもしれない(と言いながら紹介したりしているが)。


10.20
 長篇Cがようやく最後の直線モードに入る。まさか500枚を超えるとは。夕方は北千住で本とCDと靴を購入。足の形が変なのかしっくりくる靴になかなか巡り合わず安物を購入しては買い替えているのだが、これなら大丈夫かもしれない。
 

10.21
 長篇Cを煮詰めたあと、秘書猫をつれて出かける。まず御茶ノ水のディスクユニオン・クラシック館で腰が抜けるほどCDと本を買ったあと、5時半から飯田橋で双葉社のH野さんと打ち合わせ。喫茶店で「The End」の初校ゲラを渡し、中村屋という穴場の蕎麦屋で9時まで企画を含めていろいろ歓談。とりあえず茶髪は好評のようなので、いずれ第二次改造を予定しています。いや、色の入った服を買うというだけのことなんだけど。
 

10.22
 長篇Bの構成を最後まで再検討する。どれもゴールが見えているのになかなか近づかない。
 

10.23
 こんな夢を見た。「活字狂想曲」に登場する上司が代わりに短歌を作ってくれと言う。用紙を見ると、形式は短歌だが標語らしい。私は四苦八苦して標語短歌を作る。普通は夢のディテールが失われていて惜しいことをしたと思うものだが、この短歌は憶えていなくて幸いだった。
 

10.24
 短篇Aのゲラを返送し、長篇Cを中心に進める。
 日本シリーズは阪神が王手をかける。私は中日の日本シリーズを四回見ているのだが、勝利はもとより王手すらかけたことがない(近鉄でもいやと言うほどかけてるのに)。これはいまだに強く記憶に残っている昭和49年の与那嶺監督の「王手って何?」発言に呪われているのではないかと思ったりする。
 

10.25
 やっと風邪が抜けたので夕方は久々に浅草へ。並木の薮でもり二枚を食したあと、ROXビルで本とCDを買う。今年は寄席へ行っていないことに気づき、その後は浅草演芸ホールへ。7時前に入ったら立ち見まで出る盛況ぶりで驚く。残念ながら落語はもう一つでしたが、松乃家扇鶴の三味線都々逸は味があってよかった。それにしても、オチを先にしゃべる客というのはコンサートのフライング拍手と同じくらいむっとするな。そりゃ頻繁に通ってたらネタくらい憶えると思うけど。
 

10.26
 長篇Cが最終パートに入る。
 主観・客観の二元論については大森荘蔵がつとに批判していたのだけれども、やはりこれは便利な側面があって、かく申すこの漫文の作者も重宝している。さらに、思いきり主観的な二分法も価値判断の基準として時には重宝なのだが、「美しいか美しくないか」はひとまず問わず(「音楽的か否か」「色気があるかないか」「粋か野暮か」などヴァリエーションが多すぎる)、こと言説に関しては「スぺキュレイティヴかスぺキュレイティヴじゃないか」という大きな基準が一つある。
 さて、「スぺキュレイティヴじゃない」と私が感じるのは、おおむねムラの議論である。むろんムラの内部にとっては裨益するに大な議論だったりすることはあるのだが、閉じることによって捨象もしくは隠蔽されてしまう部分もまた如実にあるだろう。そういったリスクを多少なりとも自覚することによってスぺキュレイティヴな言説が生まれるのではないかと自戒をこめて思ったりする。・・・また野暮なことを書いたかも。
 

10.27
 日本シリーズがようやく決着。長時間にわたってテレビを観る習慣がないので疲れましたが、采配を含めてなかなかに見どころの多い好シリーズでした。個人的なMVPは鳥越なんだけど、誰も聞いてないか。では、今週の秘書猫です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。こんしゅうは、打ち合わせについていきました。おともはフェレットのフェレちゃんでした。やっぱりおそばやさんはおちついていいにゃとミーコはおもいます。おわり。
 

[今週のBGM]マーラー「交響曲全集(15枚組)」 インバル指揮/フランクフルト放送交響楽団
 うう、長かった。率直に言ってマーラーはあまり合わないらしい(感想を検索したところ指揮者のせいではないようだ)。まず、歌入りの交響曲は苦手である(オペラや歌曲はもっと苦手)。私が本当に聴きたいのは人類が死に絶えた世界に天上からふるふると降ってくるような音それ自体なので、いかに上手でも人の声は邪魔だなと思ってしまう(例外はドビュッシーね)。次に、暗いクラシックは基本的に好きなのだが、マーラーの暗さはどうも人間中心的で押しつけがましく感じられることが多い。ベートーヴェンも得手ではないんだけど、たぶん同質の違和感を覚えるのだろう。同じ長いシンフォニーならブルックナーを聴くよなあ。ただ、9番はかなり好きなので、いずれ聴き比べてみたいと思います。なお、箸休めに聴いたなかで印象深かったCDは、チャイコフスキー「ピアノ三重奏曲」他 アルゲリッチ/クレーメル/マイスキーとドヴォルザーク「スラヴ舞曲集」ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団でした。前者に収録されているショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲も暗くていいです。
[今週のミッドナイト・ソング]特になし


[読書メモ]
(小説)今週はお休み。長篇の幕切れが近いときに人の作品を読もうとしても小説脳がフリーズしてしまう。前半なら刺激になっていいんだけど。
(小説以外)大村彦次郎「文士の生きかた」(ちくま新書)、フレッド・ゲティングス「オカルトの図像学」(青土社)、許光俊「生きていくためのクラシック」(光文社新書)、山田風太郎「あと千回の晩飯」(朝日文庫)、呉智英「ホントの話 誰も語らなかった現代社会学」(小学館文庫)、「第一感の死活」(日本棋院囲碁文庫)、佐伯一麦「読むクラシック」(集英社新書)、吉村平吉「吉原酔狂ぐらし」(ちくま文庫)、山口椿「死体の博物誌」(幻冬舎アウトロー文庫)、なぎら健壱「東京の江戸を遊ぶ」(ちくま文庫)。
 どうもイージー・リーディングばかりで、気を入れて読む本が軒並み途中で止まっていたりする。


10.28
 長篇Cの追いこみなのだが、なかなかゴールに到達しない。夜は長篇Bを途中から読み返して細部を検討。
 

10.29
 長篇Cを最後まで書く。下書きは514枚。まだ推敲作業等があるので完成には程遠いのだが、とりあえずゴール。文語訳の旧約聖書を読むところから始めたから長かったな。交響曲第2番にすべく推敲せねば。
 

10.30
 長篇Cの最終パートをプリントアウトしたあと、近所の内科で荒川区の無料健康診断を受ける。とりあえず去年は引っかかった心電図をクリアしたようなのでひと安心。
「SF Japan」vol.08が届きました。特集エロチックSFの中のfeaturing Natsuko Moriというゲットーのようなコーナーに短篇「オーク・ナッツの誘惑」を寄稿しています。「SFマガジン」に続いて「SF Japan」も小説初登場なのですが、どうしてこんなに作風が違うのかしら。うーむ。


10.31
 昼から秘書猫をつれて出かける。まず京王線の芦花公園へ。世田谷文学館で安部公房展を観る。昔はずいぶん熱中した作家なので、没後十年の記念展に足を延ばした次第。展示されていたパンフによると、「人さらい」の公演を生で観たのはもう25年前の話なんですね。愕然。なお、日本で初めてワープロで小説を執筆した作家でもあるのですが、これは物凄いマシンでした(一瞬、電子レンジかと思った)。「飛ぶ男」の上映は音が脳に悪そうなのでパスして二階の常設展へ。ここの奥まった一角は探偵小説の殿堂めく雰囲気、「黒死館殺人事件」の生原稿をありがたく拝む(実際に合掌して拝みました)。その後は千歳烏山までぶらぶら歩き、吉むらでおろしそばを食す。ガイドに載っていたものの観光地の食堂みたいな構えだったから二の足を踏んだのだが、意外にもしっかりした蕎麦だった。新宿に引き返し、6時から京王プラザホテル、SF作家クラブの40周年記念パーティに出る。ハロウィーンにつきぜひ仮装・コスプレでのご参加をと案内状に書いてあったので秘書猫にコスプレさせる。広い会場のわりに人は少なめ。小松左京さんの挨拶はひょっとしたら最後まで続くかと思った(笑)。眠くなってきたため一次会のみで帰宅。