4.1
 午後一時より日暮里ルノアールで祥伝社のY田さんと打ち合わせ、「大鬼神」の初校ゲラを戻す。あとはなぜか将棋のレクチャーなど。私が教えているようではどうかと思いますけど。夜は次のゲラに付箋を貼って検討の準備。元校正者の性分か、工程が多すぎるからむやみに時間がかかってしまうのだが・・・。
 

4.2
 中篇を袋綴じの前まで一気に書いてから秘書猫をつれて花見に出かける。川むらで蕎麦をたぐったあと、谷中墓地をしばらくたらたらと散策。来島恒喜の墓はこんなに立派だったかしら。その後は古巣の谷中を経て根津へ。むちゃくちゃわかりにくい構えの鷹匠でせいろを食す。中は京都の高級蕎麦屋みたいな感じなのですが、この雰囲気で朝の七時半から営業しているのは謎だ。
 

4.3
 中篇はいよいよ袋綴じの内部に突入。では、今週の秘書猫です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。こんしゅうは、クラニーせんせいがお花見につれてってくれました。フェレットのフェレちゃんといっしょにいきました。んーと、ミーコはさくらさんとおはかをいっぱい見ました。でも、ナマ猫さんがいなかったのはちょっとざんねんだったにゃ。
 

[今週のBGM]ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」他/バティス指揮/ロイヤル・フィル、ドヴォルザーク「交響曲第8番」他/バティス指揮/ロイヤル・リバプール・フィル他、グローフェ「グランドキャニオン組曲」他/ロイヤル・フィル他、ストラヴィンスキー「ぺトルーシュカ」他/バティス指揮/ロイヤル・フィル他、ラヴェル「ボレロ」他/バティス指揮/ロンドン・フィル他、プロコフィエフ「ロメオとジュリエット組曲」他/バティス指揮/ロイヤル・フィル他、グリーグ「ピアノ協奏曲」他/バティス指揮/ロイヤル・フィル他。
 性懲りもなくメキシコの鬼才エンリケ・バティス特集です。ショスタコーヴィチの5番やドヴォルザークの8番などを聴いていると、ただの爆演系の色物ではなく名指揮者なのではなかろうかという気がしてきたのだが、ことによると耳が麻痺しただけかもしれない(少なくともドヴォルザークとカップリングの「展覧会の絵」は名演だと思いますが)。バティスにぴったり合っているのはグローフェ、解体寸前のオケがやけくそ気味に盛り上がる「グランドキャニオン」の終盤はかなり笑えます。あとはやはり短めの曲。ショスタコーヴィチ「ロシアとキルギスの主題による序曲」など、序曲をひたすら爆演してたら無敵かも。今週のその他のCDベスト3は「ロシア管弦楽曲集」ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィル、ヴィエニャフスキ「ヴァイオリン協奏曲第1番・第2番他」ビゼンガリエフ(vn)/ヴィト指揮/ポーランド国立放送カトヴィツェ交響楽団、リスト「ピアノ作品集(2枚組)」ボレット(pf)でした。「ロシア管弦楽曲集」はチャイコフスキー「フランチェスカ・ダ・リミニ」、ムソルグスキー「モスクワ河の夜明け」、グリンカ「ルスランとリュドミラ」序曲、グラズノフ「レイモンダ」組曲を収録。もしこんなコンサートを生で聴いたら腰が抜けそうになるかも(グラズノフの前半だけ録音が悪いのは残念)。980円で買ったのですが、ほんとにいいのかしら。カザフスタンの若手がポーランドの名ヴァイオリニストの曲を確かな腕で渋く奏でたナクソス盤も廉価がうれしい一枚。
 

[読書メモ]
(小説)鈴木康央「ぐーるど先生の怪異譚」(鳥影社)。
 特集は一回お休み。古くは荻崎正広の幻想男色小説など、この版元からはたまに異色作が出るのですが、本書は怪異譚を期待するとまったく肩透かしだろうし、狂言回しのグレン・グールドの影は薄いし、うーんという感じ。ベストは妙に懐かしい感触がある古臭い日常SFの「夢を売る店」。
(小説以外)大塚英志「『おたく』の精神史」(講談社現代新書)、有賀真澄「楼蘭の砂」(鳥影社)、高柳誠「万象のメテオール」(思潮社)、宮田登「都市空間の怪異」(角川選書)、デイヴィッド・ウィークス、ジェイミー・ジェイムズ/忠平美幸訳「変わった人たちの気になる日常」(草思社)、穂積生萩「折口信夫 虚像と実像」(勉誠社)。
 80年代は浮世離れしていたもので(いまもそうだけど)、「『おたく』の精神史」で採り上げられているもろもろのことは「そういえば、浅羽(通明)さんの演説を折にふれて聞いてたなあ」などといった醒めた感想しかなかったりします。宮崎勤の父の改造車のくだりが最も印象に残りました。
「万象のメテオール」から「The End」の作者の琴線に触れた詩を一篇引用します。

砂漠を見たことがある
その一粒一粒を感得したことがある
砂粒の迷路を幾日も彷徨ったことがある
その一つ一つの意味を知り尽くした日がある
光と翳とのあわいを旅した日がある
私が私である遥か以前に----


4.4
 中篇が150Pをクリア。俄然、ピッチが上がってきました。
 夜はNHK教育の芸術劇場でロンドン響の公演を観る。放映されたのは東京に先立つ京都公演で、アンコール以外は生で聴いたのと同じプログラム。席が遠くて顔なんてちっとも見えなかったから、なるほどこういう表情で弾いていたのかという感じ。シベ・コンはやはり庄司紗矢香の暴走気味の熱演にコリン・デイヴィスが苦労して合わせていたような印象。第一楽章の後半がいまひとつで、東京公演が上だったかな.。むろん生のほうが良く響くんだけど。さらに深夜はロッテルダム・マラソンを観る。参加日本選手の顔が二線級では深夜枠もやむなしといったところ。レースはケニア勢が六連覇、優勝した新鋭のリモ選手は、当地としては悪コンディションのなか二位に3分近い大差をつける6分台前半の圧勝でもオリンピック代表確定ではないらしい。何という層の厚さか。果たしてジェンガは代表になれるのかしら。
 

4.5
 マンションの更新を済ませる。過去に住んだクリーニング屋の三畳間とか西日しか当たらない四畳半とか鼠だらけの倉庫の二階とかスペルが間違ってるアパートとかに比べると夢のような部屋なのだが、問題は家賃なり。・・・仕事しようっと。
 

4.6
 中篇が最終章に入る。前後半の執筆速度がこんなに違う作品も珍しい。
 俳句同人誌「円錐」21号が届きました。橋本七尾子さんによる「魑魅」評が掲載されています。目に触れた限りでは最もありがたい書評でした。
 

4.7
 中篇をラストまで書く。185ページ。とりあえず力は出し切ったかな。
 一段落したので秋葉原の石丸の4Fへ赴き、一時間かけて2万円分のCDを買う。ペッテションがたくさん残っていてよかった。
 

4.8
 中篇を最後までプリントアウト、さっそく推敲にかかる。
 夜は秘書猫をつれて近所へ出遅れ気味の夜桜見物に出かける。せっかくだから、丘のようなものを行きつ戻りつしながらカラオケではキイが合わない「さくら」を独唱してみる。三河島駅前公園ではロケーションがいまひとつだったかも。
 

4.9
 長篇Aを再開するも、反動で調子が出ない。ここは息を抜くところだと思い、ネットで検索して計画だけ練っておいた大塚蕎麦ツアーに出かける。一文字(割子そば)→美濃屋文右衛門本店(重ごま汁そば)→まつ井(せいろそば)というルート。最初の二軒は出雲蕎麦崩しの趣でやけに薬味が多い。美濃屋文右衛門のごま汁そばは吾妻橋やぶそばや神田まつやなどとは違い、自分で擂った胡麻につゆを絡めるというスタイル、これもなかなかいけますね。三軒目のまつ井は手打ち十割そばの店ですが、ただのせいろなのにこちらもむやみに薬味が多い(三軒で十数種類もあった)。麺はいずれも好みよりやや太めだったのですが、満腹になったので天ぷらに心を残しつつ帰宅。一日に十軒くらい平然とハシゴできるような胃袋を持ちたいものだ。
 さて、異形コレクション「闇の遊園地」(光文社文庫)が届きました。「死の仮面」という短篇を寄稿しています。珍しく勢いでわっと書いた作品です。二人称小説は前から書いてみたかったのですが。
 

4.10
 反動が続き不調。中篇の訂正プリントアウトを進め、ゲラを再開。
 iBookが久々に不調。爆弾マークが出て修復にずいぶん手間取る。ペッテションの呪いかと思った。原価償却的にはそろそろ壊れてもおかしくないんだけど。
 

4.11
 長野マラソンを観る。べつにこんなものまで観なくてもいいと思うが。では、今週の秘書猫です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。こんしゅうは、夜ざくらけんぶつにつれてってもらいました。ミーコはさくらさんとでんしゃを見ました。ずいぶんながい貨もつれっしゃがとおったのでびっくりしたにゃ。おしまい。
 

[今週のBGM]ペッテション「交響曲第3&4番」「交響曲第5&16番」フランシス指揮/ザールブリュッケン放送交響楽団、「交響曲第6番」トロヤーン指揮/ベルリン・ドイツ交響楽団、「交響曲第7番」アルブレヒト指揮/ハンブルク国立フィル、「交響曲第8&10番」セーゲルスタム指揮/ノールチェピング交響楽団、「交響曲第9番」フランシス指揮/ベルリン・ドイツ交響楽団、「交響曲第10&11番」フランシス指揮/北ドイツ放送ハノーヴァー・フィル、「交響曲第13番」フランシス指揮/BBCスコティッシュ交響楽団、「交響曲第14番」アーネル指揮/ベルリン放送交響楽団、「交響曲第15番」ルツィツカ指揮/ベルリン・ドイツ交響楽団。*12番のみ未聴(2番と断片の17番は既聴、作曲者が破棄した1番は欠番)
 今回はスウェーデンの暗黒作曲家アラン・ペッテション特集です。この「漆黒のシンフォニスト」は本当に暗い。まず人生が真っ暗。ざっと説明すると、父はアル中で頻繁に暴力を振るい母はお祈りばかりしている電波系という組み合わせの貧民街の家で生まれ育ったアラン少年は音楽に志しクリスマスカード売りで爪に灯をともすようにして貯めたお金で念願のヴァイオリンを買ったものの父に無駄なものを買いよってこのボケが感化院へ叩きこんだるでとボコボコにされそれでもめげずに苦学を重ねて演奏と作曲を学びようやくヴィオラ奏者の職を得てフランスに留学し帰国してさあこれからというときに重いリューマチに罹り演奏活動を断念し作曲に専念して五線譜に音符を記すこともままならずそのうち腎臓病も併発という絶望的な身体状況のなか努力を重ねて作品を発表するも当初は酷評でようやく7番で陽が当たり晩年になってやっと劣悪な集合住宅の貧乏から脱したかと思いきやそのときはすでに癌に蝕まれており・・・という艱難辛苦の人生を送った人です。その交響曲は単一楽章形式がもっぱらで、さながら前の文章のごとく句読点がないし、音符だらけのぐちゃぐちゃ系ではないものの無調の部分も多く、なにより怨念や不安や怒りや絶望や諦念や恐怖やトラウマ・・・といった心の闇がもろに投影されており、ほんとにひたすら暗い。シベリウスの4番が極北かと思ったら甘い。これはもう氷の世界です。最初から最後までド真っ暗という曲はいかに暗いクラシックが好きな私でもさすがに胃もたれがしますけど(この世の不幸を一身に背負ってうめき続けたあげく死んでいくかのような6番が最強か)、ペッテションの魅力は暗黒の世界に射しこむ幽かな救いの光で、例えば7番は途中まではいつものごとく真っ暗ですが、中盤で不意に抒情的なアダージョに変わる。黒一色の世界に恩寵のように射しこむ月の光めいてこれが実にいいんですけど、そのまま癒されて終わったりしたらペッテションではない。月光はまたにわかに翳り、世界は不安に閉ざされ、何の救いもなく曲は静謐に終わるのです(間違っても盛り上がったりはしない)。8番は具の多いサンドイッチ形式で、もちろん中身はどろどろの暗黒。パンの部分の物憂げで秘教的なメロディが印象に残ります。9番は7番と並ぶ傑作。70分にわたる単一楽章形式で、前半はひどい嵐の闇夜の中を何かわけのわからないことを叫びながらひたすら彷徨します。後半はしだいに疲れてきて終わりだ終わりだもう動けない終わりだという感じになり、静かなアダージョのなかついに息絶え、最後の一瞬だけ光が射すという感動的な作品です。ブルックナーやマーラーの9番にも決して負けてません(暗さなら圧勝)。この曲ばかりでなく国内盤が一枚もないのは理不尽としか言いようがない(そりゃ売れないと思うけど)。13番は例によって音の暗雲が次々に通り過ぎ、金管と打楽器が静まった後半の弦楽アンサンブルがすこぶる美しい。で、いつものようにこのまま息絶えるのかと思いきや、なんと異例にも最後は盛り上がってしまう。と言っても、「この曲は最後に盛り上がるぞ」と決めてから実際のラストに至るまでの試行錯誤は涙ぐましいばかりで、ふと不適切な譬えが浮かんだのだがこれは自粛。あとは初期の4番、終わったかと思いきや未練がましく続く晩年の15番でしょうか。「The End」の作者が褒めずしていったい誰が褒めるんだという作曲家につき、気合を入れて長々と書いてみました。
 

[読書メモ]
(小説)小野不由美「くらのかみ」、島田荘司「透明人間の納屋」、竹本健治「闇のなかの赤い馬」、篠田真由美「魔女の死んだ夜」、有栖川有栖「虹果て村の秘密」、太田忠司「黄金蝶ひとり」、はやみねかおる「ぼくと未来屋の夏」、高田崇史「鬼神伝 鬼の巻」(以上、講談社)。
「子どもの王様」しか読んでいなかった講談社ミステリーランドを消化。作家性のグラデーションとでも称すべきものを何より楽しみました。子ども向けの媒体に対するスタンスと作品内容のグラデーションで、実に端正に仕上げた人がいるかと思えば、あまり斟酌をしていない人もいる。その斟酌のなさも、文章や推理の難度といったところから、これを子どもに読ませても・・・という作品まで(個人的にはシンパシーを感じたりもするのですが)まことに十人十色です。さて、「自分が子どもだったころに読みたかったもの」というのがコンセプトの一つですけど、私ならやはり「子どもが読んだらトラウマになるような怖いミステリー」でしょうね。ぬいぐるみだらけの部屋を見るとあまり大人になったという感じはしないのですが、むろん「あの日」には戻れない。具体的には、小学生のときに読んだコナン・ドイル「マスグレーブ家の儀式書」、江戸川乱歩「孤島の鬼」。高校時代の高木彬光「人形はなぜ殺される」、横溝正史「三つ首塔」あたりが上限だったかな・・・としみじみと感慨に耽ったりしました。
(小説以外)吉田司雄編「探偵小説と日本近代」(青弓社)、立花隆「臨死体験(上下)」(文春文庫)、高橋敏夫「嫌悪のレッスン」(三一書房)。
「探偵小説と日本近代」はアカデミシャンによる探偵小説論集。あとがきに「近代文学研究の方法的蓄積は、(あえて挑発的に記すならば)ようやく他領域の書き手たちと伍して、探偵小説のテクストに正面から向き合えるところまできたのだと思う」とありますが、確かにゆるやかながら昔とは変わったのかも(ちなみに編者は大学院時代の先輩)。最も印象に残ったのは原仁司「前衛としての『探偵小説』 あるいは太宰治と表現主義芸術」。不勉強にも太宰が変名で探偵小説を書いていることは知らなかったんですけど、眼目はそこではなく、抽象衝動と北方的なもの云々といったあたりが個人的にツボでした。このあたりは書きだすと長くなるし、まとまりそうにないので以下略ということで。


4.12
 ようやく復調ムード。長篇Aと長篇Bを進め、中篇の最終仕上げにかかる。
 開けてみないと何かわからないものが折にふれてチケットぴあから届く。どうも酔っぱらってるときにストレス解消を兼ねてオーダーしてしまうらしい。そのうちコンサートと何かが致命的にバッティングしそうだから注意せねば。
 

4.13
 西日暮里の美容院でカット&カラー。終了後は盲点になっていた西日暮里〜田端蕎麦ツアー。西日暮里駅から尾久橋通りを北上し、童心舎でせいろを食す。移転したことを知らず(ガイドブックが訂正されていない)、西日暮里界隈で唯一入っていなかった店ですが、残り物には福がある。太さ・コシ・つゆ、いずれも申し分のない蕎麦で、今年の新規開拓ベスト点数88点を記録。その後は田端までぶらぶら歩き、浅野屋で750円の重ねそばを注文したら目を疑うような量で驚く。老舗のもりの量に驚いたのは団子坂の巴屋(石臼そばと上品な看板が出ているのだが大もりがてんこもり)以来かも。さすがにもう入らないので二軒で切り上げて帰宅。
 久々に野球ネタですが、7-1から10-11で負けますか。オリックスじゃないんだから。頼みの岩瀬があんなに打たれてるようでは今年は横浜にも勝てないかも(と思ったら、翌日は阪神も安藤がボコボコ打たれて似たような負け方をした。まだあきらめるのは早いか)。
 

4.14
 長篇伝奇小説「大鬼神 平成陰陽師国防指令」(祥伝社ノン・ノベル5月中旬刊)の再校ゲラが届く。納期が短いのでさっそくかかる。小島文美さんの素晴らしいカバーラフも同封。このかっこいい陰陽師のモデルも私・・・には見えないな。
 

4.15
 中篇の最終仕上げを完了、FD作成。長篇Aはやっと第二章に入る。
 昨夜突然の訃報に接した鷺沢萠さんが自殺だったことを知り二度驚く。9日が最終のWeb日記を読む限りサインが見当たらないから恐ろしい。・・・かなりショックだ。どこかのパーティで秘書猫がご挨拶しただけで面識はなかったのですが(なんだか変だ)、とにもかくにも合掌。
 

4.16
 ゲラを進めたあと東京文化会館、ジャン・フルネ指揮、東京都交響楽団のコンサートを聴く。現役最長老、91歳の老指揮者につき、ここで聴いておかねばと思った次第。前半はショーソン「交響曲」、人間があまりいないし好きな曲です。金管がやや息切れ気味でしたが、いい演奏でした。変な言い方だけどショーソンはフルネのブルックナーなのかしら。後半はラヴェルの「スペイン狂詩曲」と「ボレロ」。いままで数えきれないほど同じ曲を振ってきた老マエストロの背中を見ながら「ボレロ」を聴いているとなかなかにいいものがありましたね。オケも気合入ってました。これはかなりの名演だったと思う。録画で観たチェコ・フィルより良かった。昨日からちと鬱だったのですが、おかげで元気が出たな。・・・長生きしようっと。
 ついでにここで、洋楽輸入盤CD全面禁止というキナ臭い動きについてひと言。逆輸入盤がメジャーポップスのシェアを食ってるのは事実らしいけど、十把一からげでクラシックなどのマイナージャンルが煽りを食ったらたまらんなと思う。もし法案が通ったら国内盤なんて一枚たりとも買ってやらんぞ。
 

4.17
 早朝覚醒で不調。どうもリズムが崩れてるので気分転換に枕を買い替える。いろいろ試してみましたが、シンプル・イズ・ベストでごく普通の羽根枕が合っている・・・はずなのだが。ついでに秘書猫用の枕も衝動買いする。「子供用です」と断ってから買ったからべつに怪しまれはしなかっただろう。
 

4.18
「大鬼神」のゲラを返送。12日の舌の根も乾かぬうちに今週末は3枚も前売りチケットを買ってしまう(べつに酔っていたわけではない)。これでも厳選しているつもりなのだが・・・。iBookが依然不調。参考文献を得ようとわざわざニフティに入り直して有料コンテンツを印刷していたら突然フリーズ(ダウンロードすればよかった)、その後も修復に手間取る。仕事にならないではないか。
 

4.19
 午後四時より日暮里ルノアールで光文社のF野さんと打ち合わせ、中篇の原稿を渡す。てっきり一番乗りかと思いきや、グレさんのほうが先だったのか。とにかくこれでほっとひと息。では、今週の秘書猫です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。こんしゅうは、クラニーせんせいがキティちゃんのまくらをかってくれました。わーいわーい。おかげでテレビが見やすくなりました。でも、せんせいはじみなばんぐみしか見ないので、しょうがないからミーコもいっしょにごやしょうぎやNきょうアワーなどを見てます。おわり。
 

[今週のBGM]ステンハンマル「ピアノ作品集」シヴェレーフ(pf)、ヴィエニャフスキ「華麗なるヴァイオリン小品集」ビゼンガリエフ(vn)、モンポウ「ピアノ作品集 第2集」「同 第4集」マソ(pf)、ヴュータン「ヴァイオリン協奏曲第2番・第3番」カイリン(vn)/ブルク指揮/ヤナーチェク・フィル、グリエール「交響曲第1番・交響詩『サイレーン(水の精)』」ガンゼンハウザー指揮/スロヴァキア・フィル、シュニトケ「チェロ協奏曲、チェロソナタ他」クリーゲル(vc)、ラウタヴァーラ「交響曲第7番『光の天使』他」コイヴラ指揮/ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団、「日本管弦楽名曲集」沼尻竜典指揮/東京都交響楽団。
 今回は貧乏人の味方NAXOSでかためてみました。ボロディンの弦楽四重奏曲集を買ったら中身が交響曲全集だったとか、まあそういうことはありますが、高い国内盤1枚分の値段で3枚聴けるのはありがたい限り。なにぶんクラヲタ歴が浅いので、まだまだ聴いたことのない曲がたくさんありますね。モンポウの曲の短さと音符の少なさはかなり好み。ことに第4集の「ひそやかな音楽」は親和します。ヴュータンは有名じゃない曲もわりといい。シュニトケは「ヴァイオリンとチェロのための静かな音楽」という陰気な曲が好みでした。あと、吉松隆の「朱鷺によせる哀歌」が名曲だったのでびっくり。
 

[読書メモ]
(小説)松浦寿輝「あやめ 鰈 ひかがみ」(講談社)。
 相変わらず巧いな。物語の筋を読むタイプの読者には相性が悪いかもしれませんが、文章とディテールにうならされる箇所が多い。長いセンテンスで終始べたっと描写されると押しつけがましく感じられて引いてしまうんだけど、強弱のつけ方が実に巧いです。ベストは「鰈」。以前に「幽」でも見せた冒頭の漢字分解魔術とでも称すべきものと「わやわやと」という言葉はいずれ使ってみたいものです。あとがきでちらっと手の内を見せていますが、学者臭を全部消した処理の仕方は心憎いばかり。この鰈の使い方は怪奇小説の創作に志す方はすごく勉強になると思います。
(小説以外)ミハイル・アールドフ編、(語り)ガリーナ・ショスタコーヴィチ、マクシム・ショスタコーヴィチ、田中泰子監修「カスチョールの会」訳「わが父ショスタコーヴィチ」(音楽之友社)、赤松啓介「差別の民俗学」(明石書店)、松本昭夫「精神病棟の二十年」(新潮文庫)、撮影・文/片山虎之介、『サライ』編集部編「真打ち登場! 霧下蕎麦」(小学館)、辻征夫「詩の話をしよう」(ミッドナイトプレス)、筒井末春「うつと自殺」(集英社新書)、大町陽一郎「クラシック音楽を楽しもう!」(角川oneテーマ)、新潮文庫編集部編「帝都東京殺しの万華鏡」(新潮文庫)、「打碁鑑賞シリーズ5 武宮正樹」(日本棋院囲碁文庫)。
 赤松啓介のテクストは面白いなあ。論文が突然ただのエロ話になるあたりの呼吸が絶妙です(「夜這いの民俗学」なんて半分以上ただのエロ話)。「精神病棟の二十年」は400円の文庫本ですが、学生街の古い喫茶店で苦くて濃いどろどろのコーヒーを飲んだかのような読後感。うーむ。「詩の話をしよう」は縦軸と横軸の話が示唆的。作品はスウィート・スポットではないのですが、「鳥籠」「昼の月」は琴線に触れました。
 詩といえば、句集と歌集があるからいずれ詩集もと思っていたんですけど、現在はまったく白紙です。なんとなれば、ここ十年ほど書きためてきた詩のうち目ぼしい作品はすべて「The End」に挿入してしまったから。要するに、交響曲第1番の中に第一詩集が包含されているわけです(と、未練がましく宣伝しているわけだが・・・)。粕谷栄市の散文詩みたいなものを書きたいなと前々から思っているのですが、これはまあメランコリーの妙薬にとっておきましょう。


4.20
 長篇Bがやっと最初の50枚をクリア。吸血鬼の日常をノンシャランに書いてたら話がいっこうに前へ進まないのだが・・・。続いて長篇Cを一応再開し、構想を練り直す。どうして書くのが面倒な話しか思いつかないのかしら。
 

4.21
 長篇Bが第二章に入る。夕方は北千住で黒服を調達。整理しないと袋だらけでわけがわからなくなってきた。
 さて、ここで一つ訂正です。4.9の日記に異形コレクション「闇の遊園地」と書きましたが、「黒い遊園地」の誤りでした。どうして間違えたのだろう。おわびして訂正します。
 

4.22
 長篇A→句稿の下書き→長篇B→短篇Aのプロット→献本リストの改訂。夜は「十人の戒められた奇妙な人々」のゲラの一回目を完了。
 

4.23
 今日は半休。王子の北とぴあ・さくらホールで千住真理子ヴァイオリン・リサイタルを聴く。ほとんどミーハーモードである。音色はいまひとつ中途半端で技術面もちと危なっかしいのですが(ド定番の「愛のあいさつ」くらいはノーミスで弾いてもらいたいなと思ったり)、まあそのあたりはヴィジュアルとトークでカバーといった感じのコンサートでした。しかし、わざわざプレトークでフランクのソナタは四楽章構成と強調してるのに楽章間で盛大に拍手する客層ってどうよ。自分的には来月の天満敦子リサイタルの前座という位置づけにつき、それなりに納得して帰宅。
 

4.24
 わがささやかな美学に照らすと署名というものは絶対に厭なのだが、これは憤懣やる方ないので洋楽輸入盤CD全面禁止に反対する署名文書をダウンロードする。しかし、ローテクの悲しさ、PDF文書をどうしても印刷できない。そのうち、考え直した。氏名欄がたくさんあるのに一人だけ記入して送るのは間抜けだし(いかにも友達がいないクラヲタという感じなり)、信じがたいことに参議院は全会一致で可決したから実効性も疑わしい。とにかく、先進国ということになっている国で業界の利益保護のために文化統制まがいのことが行われようとしているのですが、ちょっと認知度が低すぎるような気がします。詳しくはこちらを。http://sound.jp/stop-rev-crlaw/
 ピンと来ない方もいると思うので補足しますと、こういうパラレルワールドを考えていただければわかりやすいかも。一つは従来どおり種々雑多な輸入盤が制約なく廉価で手に入る世界、もう一つは、著作権法が改正されたあと、国内盤が出ていない輸入盤はOKとはいえ面倒だから取り扱う店が激減し、著しく規模が縮小されてしまった世界。後者の世界では、前者の世界なら「ありえたかもしれない出会い」およびそこから生じたかもしれないものがすべてカットされてしまうわけです。音楽から生じるものは音楽文化ばかりではない。芸術全般、さらに多方面へと拡がる可能性のある種子が一枚のCDには内包されているのです。一枚のCDによって人生が変わったり、自殺を思いとどまったりすることだってある。音楽CDは日用消耗品ではないのです。要するに、さまざまな芽が吹く可能性のある土地の上からむりやりコンクリートを流しこみ、大義名分の仮面を被ったむくつけき業界の企業論理で封殺しようとしているわけですから、これはやはり蛮行としか言いようがないでしょう。
 

4.25
 短篇の取材で浅草の場外馬券売場へ出かける。机上に競馬四季報と山野浩一の血統事典があったころは後楽園へ毎週通っていたのですが、かなり客層が違うな。せっかくだから久方ぶりに馬券を買う。最近の馬はさっぱりわからないので、適当に新聞を眺めて馬名の好みで本命を選ぶ。タイムパラドックスだけは勝ったのだがヒモが狂い、結局全敗。まあ私の馬券は食中毒のお守りとか言われてましたから。その後は界隈を取材し、蕎麦屋を三軒ハシゴする。浅草の蕎麦屋完全制覇はなかなかに難しい。べつに全部入らなくてもいいと思うが。続いて秋葉原へ回り、石丸の4Fでハコ物を中心に輸入盤CDをガンガン買う。例の悪法が通ったら、一枚だけ国内盤が出ていればボックスごとアウトになるかもしれないので(その程度で済むとは思っていないが)、いまのうちに目ぼしいものを買っておこうと思った次第。入念に吟味し、4万円以上も散財して帰宅。ほんとに腹立つな。
 JALスーパー早碁の依田紀基名人vs王銘エン九段戦はテレビ棋戦初の四コウ無勝負となる。過去四十年間でたった八局しかないらしい。ビデオに撮っておいてよかった。内容的にはボロ負けだったのに、これもメイエンワールドかしら。
 

4.26
 長篇Aもようやく最初の50枚をクリア。毎度のことながら、長篇は百枚を超えるまでが大変。
 今日は二階堂奥歯さんの一周忌だったんですね。生き残った者は馬齢を重ねるだけですが・・・。
 

4.27
 不調。では、今週の秘書猫です。
 みなさん、こんにちは。黒猫のぬいぐるみのミーコ姫です。こんしゅうはずっとおうちにいました。しゅうまつは、えすえふセミナーにつれてってもらおうかにゃ。
 

[今週のBGM]「ミケランジェリの芸術(8枚組)」ミケランジェリ(pf)。
 というわけで、輸入盤CDボックスを一つ消化。一枚500円強で音質のいい正規盤CD(CCCDに移行しようとしている国内盤ではなく)を聴けるのだからありがたい限り。無駄を極力省けば安い値段で出せるのですよ。ベストはドビュッシー。ミケランジェリのドビュッシーは学生時代から聴いているので懐かしさもあるのですが、この空虚な結晶のような美しさはやはり素晴らしいとしか言いようがない。しかしながら、演目によっては明るすぎる(より正確に言えば澄明すぎる)という印象も抱きました。ショパンのスケルツォは暗いポゴレリチのほうが好みだな。今週のその他のCDベスト3は、シベリウス「交響曲第7番他」&グリーグ「最後の春」クーセヴィツキー指揮/ボストン交響楽団他、シベリウス&ハチャトゥリアン「ヴァイオリン協奏曲」セルゲイ・ハチャトゥリアン(vn)、ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲《ドゥムキー》第3番」スーク・トリオでした。ナクソス・クラシカルから出たばかりのクーセヴィツキー盤は1933-40の録音なので古いのですが、この音で「最後の春」を聴くとむちゃくちゃいいです。思わず涙腺が緩みました。
 

[読書メモ]
(小説)有栖川有栖「スイス時計の謎」(講談社ノベルス)、大倉崇裕「七度狐」(東京創元社)、谺健二「赫い月照」(講談社)。
 本格ミステリ大賞の候補作十冊をやっと完読。投票前につき感想は略しますが、作品としての評価はともかく「赫い月照」の離人症(性障害)理解は間違っているので元患者からひと言。複合するケースもあるのですが、遁走などを伴う解離性同一性障害と離人症は同じものではありません。離人症では現実認識や理性にまったく支障はなく、記憶が途切れることもない。解離するのは〈世界〉のほうで、意識は終始鮮明なまま、それだけに怖くなるのです。自分も似たようなことをやりかねないので責めてるわけではないのですが、ちょっとこの扱い方はどうかと思いました。
 まだまだ国内小説が溜まってるんですけど、バーディンも出たことだし次の特集は海外物を・・・と晶文社ミステリー数冊を枕元に移動したところ。
(小説以外)東京ガス(株)都市生活研究所「うまい蕎麦屋の歩き方」(生活情報センター)、片山虎之介「不老長寿のダッタン蕎麦」(小学館)、山室静訳「ヨルゲンセン詩集」(弥生書房)、鷲田清一「教養としての『死』を考える」(洋泉社新書)、ペーター・スローターダイク/仲正昌樹訳「大衆の侮蔑」(御茶の水書房)、野平祐二「口笛吹きながら」(流星社)。


4.28
 タイミング悪くプリンターのインクが切れてしまったため、半休にして池袋へ。ビックカメラでhpのインクカートリッジを買いだめし、タワーレコードでまた2万円も輸入盤を買う。今日は立ち食い蕎麦をハシゴしたあと(高級店からコンビニ麺やカップ麺まで節操なく食べる蕎麦食いなのだ)七時より東京芸術劇場、ジャン・フルネ指揮、東京都交響楽団のコンサートを当日券のS席で聴く。プログラムはオール・フォーレ、前回のショーソン&ボレロがすごく良かったので(翌日のサントリーはもっと名演だったらしい)、これも聴いておこうと思い立った次第。まず組曲「ペレアスとメリザンド」、ビーダーマイヤー的で渋い演奏でした。続く組曲「シャイロック」はいきなり金管がすべったのでどうかなと思ったのですが、弦は安定していてとてもきれいでした。個人的には本日のベスト。後半は「レクイエム」(ソプラノ・野田ヒロ子、バリトン・三原剛、合唱・晋友会合唱団)、苦手な歌入りの曲でも生で聴くとあまり抵抗はないですね。ソリストは変な癖がなくて良かった。実はこの曲を最後まで聴くのは初めてだったんですけど、こんな終わり方をするのか・・・。フルネ老の譜面が最終ページになったのであれと思ったのですが、むやみに押しつけがましく終わるよりはいいかも。弱い分野なのでほかと比べられませんが、まずまずの好演だったと思います。
 

4.29
 会員になったばかりのカデンツァCDに発注し、さらにアリアCDに入会する。毎日この調子だと貯金がどんどん減っていくのだが、こういう良心的な輸入盤CD通販業者は少しでも買い支えなければ。字が細かいカタログをチェックしているとパンドラの洋書カタログを思い出して少々懐かしかったのですが、今回の著作権法改悪案は洋書になぞらえればあるいはわかりやすいかもしれない。例えば、ある海外小説を読もうとしたけれども訳が悪い。そこで原書を取り寄せようとしたのだが「邦訳が出ているから駄目だ」と売ってくれない。そんな馬鹿な話がありますか。訳が悪い翻訳書は音質が悪くてハードを傷めるかもしれないCCCDに対応します。だいたいクラシックのCCCDってどういうことやねん。音質にこだわるリスナーは劣化するCDのコピーなんかしないと思うぞ。
 

4.30
 プロット作りにほぼ専念。恋愛小説ってこんなのでいいのかしら。夜は「十人の戒められた奇妙な人々」のゲラを完了。今月の執筆枚数は167枚(A標準)でした。来月はまた落ちるかも。