[98年12月下旬]



 [12月16日]
 読みかけのまま山に埋もれていた『新耳袋 第三夜』(メディアファクトリー・1200円)を読了。ベストは「盛り塩のあるコンビニ」、これは小説にアレンジしたいなと思っていたところ、「リング」の脚本家の高橋洋氏が解説で「即戦力」と書いていた。目をつけるところが同じですね。
 また「このホラーが怖い!」の話ですが、国内映画だけはできれば脚本家の名前も記してもらいたかったですね。ビデオ屋に小中千昭脚本のホラー映画があれば監督が誰であろうと借りるほうなんですが(たとえ出来はいま一つでも「ミスカトニック女学院」とか楽しませてくれるし)、監督より脚本家の功績のほうが大きい場合も間々ありますから(これについては、ユリイカ臨時増刊『怪談』のホラー映画座談会が参考になります)。
 さて、世間は「このミス」なので、あわてて読んだ鯨統一郎『邪馬台国はどこですか?』(創元推理文庫・520円)を取り上げます。センスが良くて小粋な連作短篇集、歴史は音痴に近い私(ホラーというのはあくまでも現実を侵犯するものだから、歴史の話だとピンと来ないんですね。『神州纐纈城』や久生十蘭の歴史物など例外は多々ありますが)もいちおう楽しめました。「悟りを開いたのはいつですか?」がベストでしょう。この結論は鋭いんじゃないかな。諸子百家はだいたい読んでいるのですが(自慢)、「論語」とか読むと、どうしてこんなに怒りっぽいわがままな人が聖人なのだろうか(孔子の話に飛んでますが)と首をひねりますね。ただ、この作品がベスト10に入って、去年の井上夢人『風が吹いたら桶屋がもうかる』(集英社)がベスト20にも入らなかったのは、ちょっと納得しがたいような気もします。



 [12月17日]
 今日は日記です。
 巽久子大明神(巽昌章氏夫人で私の大ファン)が上京、高円寺で古本漁りに付き合う。大明神は、すでに八王子の古本屋を全部つぶしてから高円寺に来た由。当然のことながら、古本屋地図に載っている店は全部回る。平井呈一訳・小泉八雲『中国怪談集 他』(恒文社)、養老孟司+布施英利『解剖の時間』(哲学書房)、ジョン・ミッチェル『奇天烈紳士録』(工作舎)、マイケル・スレイド『グール』(創元ノヴェルス)で約5千円だから、こんなものかな。
 途中でひとつ悲しい光景を目撃した。小さな古本屋で、最近特価本に流れはじめている「魔法の本棚」のウエイクフィールド『赤い館』を3冊も発見してしまったのだ(痛んだ本が棚に分散して置いてあった)。ただ、ヨナス・リーは4冊あったから、まだあれよりは売れているのかもしれない(中野さん、ごめんなさい)。ちなみに、コッパードは1冊、エイクマンはさすがに1位の威光で姿がなかった(これが1位の威光というのは寂しい話だが)。
 その後、「もう一つ別の町へ行きますか?」と問われ、さすがに固辞してカラオケへ。田中幸一氏に特注のサインをしたあと、久々に懐メロを中心に30曲近く歌う(「かえり船」「月がとっても青いから」「おーい中村君」「白い花の咲く頃」「北帰行」のたぐいですな)。中島みゆきも「トラックに乗せて」は初めてだったので満足。ちなみに巽大明神はエレカシの大ファン、私も嫌いではないのだが、「優しい川」がカラオケに入っていないのは痛い。最後に、おみやげの猫のぬいぐるみ(私が要求したのだが)をいただいて帰る。今度のピーターくんは図体がでかくて冴えない猫だが、前にいただいた黒猫のミーコちゃんはとてもかわいい。肩に乗せたり踊らせたりお話ししたりして、執筆の合間に遊んでいる。変態かもしれない。



 [12月18日]
 世の中にたえて新刊のなかりせば我がふところは……古本があるからだめか 。
 というわけで、今日も日記です。
 神保町で笠井潔『探偵小説論』(全2巻・各2400円・東京創元社)、ロバート・ブロック編『サイコ』(祥伝社文庫・900円)などを購入。『サイコ』はまぎわらしいけれどもアンソロジー、井上雅彦さんの周到な解説付きでおすすめ。
 そのあと、喫茶店で某社の編集さんと打ち合わせ。なにかと話題の某原稿の筋を詳しく聞かせてもらう。ふーん、そういう話だったのね。この小説に対する島田荘司氏の反応も聞き、なるほどそういった発想をしないと「斜め屋敷」は書けないのだなと感心したのだが、一般読者を置きざりにした話なのでこの辺で。
 時間が余ったので古書会館へ。ガラスケースの本で目の保養、ただし「メタモルホーゼ」「ラ・ホンテーヌ」といった田舎臭い表記はいただけない。結局、井筒俊彦『意識と本質』(岩波書店)のみ購入。と書くと、まるで難しい本を読んでお勉強する人みたいだが、ゴーストハンターにハッタリを飛ばさせるためのネタ本であることは言うまでもない。



 [12月19日]
 西崎憲編『英国短篇小説の愉しみ1 看板描きと水晶の魚』(筑摩書房・1800円)が出ました。3巻本の1巻目で、いかにも筑摩風の装丁、帯には「イギリス文学の薫り」と書いてある。「ひとつ教養のために」と買ってしまいそうな人がいるかもしれないが、いきなり読まされるのがジェラルド・カーシュの「豚の島の女王」だから面食らうかもしれない。ジェラルド・カーシュと言ってもなじみが少ないと思うので、周到な作者紹介から引用すると、カーシュはこう評されていたらしい。「カーシュは保留なしで万人に薦められる作家ではない。カーシュを好きな者は彼を大変好きになるだろうし、カーシュを嫌いな者はそれと同じ程度に彼を嫌いになるだろう」。要するに、私みたいな作家ですね(笑)。
 つまり、このアンソロジー、仮面の下の顔は「怪奇小説の世紀」なのですが、素顔ではなくお化粧をしています。ロバート・エイクマン、マージョリー・ボウエン、W・F・ハーヴィーといったプロパー作家の収録作はド怪談ではなく、逆にヴァージニア・ウルフなどメインストリームの作家は風変わりな作品と、いずれもメインの作風からずらした選択になっているのは心憎い限りですね。ちなみに編者の西崎憲さんは、英米文学研究家・翻訳家・編曲家・作曲家・ギタリスト・歌人……と私よりチャンネルの多い怪人です。
 さて、収録作の紹介ですが、まずはロバート・エイクマン「花よりもはかなく」から(エイクマンで騒いでいるのはこのサイトだけだろうな)。この小説、原典で読んでいるのですが、なるほどそういうことだったのね。ダーク・ファンタジーに近いサイコ・スリラーで実はスーパーナチュラルという、いかにもエイクマンらしい手のこんだ作品。怪奇小説でも伏線は張るのですが、ミステリーのように明確に解かれるものではなく、雰囲気を醸成したり結界を狭めたりするためのもので、わざと「解かれない伏線」を張ったりします。いずれにしてもクライマックスに供するためのものなのですが、エイクマンの小説にはクライマックスがない。フェロモンと不気味さをブレンドしたsubtleなディテールによって、なしくずしに盛り上げていくんですね。まあ風間賢二氏のように「退屈」だと思う人がいるのは当然ですが、少なくともエイクマンは古くはない。逆に新しすぎるくらいだと思いますよ。
 以下は駆け足で。マージョリー・ボウエン「看板描きと水晶の魚」は雰囲気と色彩感覚に秀でた作品。ゴシック的予定調和になりそうでならないところの呼吸がたまらない大好きな短篇です。W・F・ハーヴィー「羊歯」は、途中まで原典で読んで盛り上がらないからやめた作品なのですが、なかなかしみじみとした佳作。ニュージェント・バーカー「告知」もいいですね。私がこの小説の主人公なら、図書館でしみじみと自分の本を読むことでしょう。ただし、救いはありません。ほかに全9篇を収録、次回は2月刊行です。
 話変わって、『江戸川乱歩リファレンスブック2 江戸川乱歩執筆年譜』の問い合わせ先を書かなかったので、以下に記します。限定千部ですから、マニアの方はお早めに。
 名張市立図書館 518-0712 三重県名張市桜ヶ丘3088-156 TEL0595-63-3260



 [12月21日]
 皆川博子さんの『結ぶ』(文藝春秋・1762円)は短篇集。歴史物をまとめた本も出ていたから、連作短篇集『ゆめこ縮緬』(集英社)と合わせると今年3冊目ということになります。いずれ私にもこういう年が来ればいいな。
 おすすめは、何と言っても巻頭の「結ぶ」。これは呪術医に頭を縫われたような(自動筆記ですが)衝撃作。おお、不条理! ひたすら興奮してしまった。ほかにも佳作はあるのですが、巻頭の衝撃が凄くてかすんでしまうのは辛いところ。これは『たまご猫』(ハヤカワ文庫)にも言えます。一冊としてのすわりの良さでは、やはり『ゆめこ縮緬』でしょう。この連作短篇集、絶対泉鏡花賞だと思うのですが。
 ひとつ残念だったのは、『ラヴ・フリーク』所収の「砂嵐」が収録されていなかったこと。これまた、病院のごみ箱を開けたら切断された自分の首がニッと笑ったような(ますます自動筆記ですが)作品です。「異形コレクション」は雑誌なんだから、「結ぶ」の次に入れたら序盤でKOできたのではないかと惜しまれますね。



 [12月22日]
 田中啓文『水霊 ミズチ』(角川ホラー文庫・960円)は昔なつかしい伝奇ロマン。いまひとつ大長編を読む才能に恵まれていない私も一気に読了できた。昔ならSFのパッケージだったと思うが、もはや一ジャンルと化した観のあるモダンホラーは「面白いけど怖くない」ものだから、ホラーのパッケージでも全く違和感はない。それに、去年の柴田よしき『炎都』のような吉本系ホラー(面白いんだけどね)に比べると、ずっとツボを押さえてある。後半は、活劇になるわりには暴走せず落ち着くところに落ち着いてしまうモダンホラーの悪弊を踏襲しているかのようで、クーンツみたいなラストだったら嫌だなと思っていたのだが、終章はグッドだったのでOKでしょう(ちなみに、女の描き方もグッドですね)。今後も期待です。
 このように、中黒なしのモダンホラーやサイコスリラーまで取りこんでホラーの領土が拡がると、ジャンル・ホラー(和訳すると怪奇小説、ミステリーでは「本格」に相当します)の書き手も恩恵を被るような気もするが、べつにハードボイルドや冒険小説が売れたら本格も売れるわけではないから、関係ないようにも思われる。まあいいや、好きなように書こう。
 蛇足ですが、『水霊 ミズチ』の参考文献にたくさん載っていた学研の「ブックス・エソテリカ」の編集長は、幻想文学会のメンバーで私の直系の後輩です。ていねいな編集をしておりますので、みなさん買ってやってくださいね。



 [12月23日]
 野崎六助『京極夏彦読本 超絶ミステリの世界』(情報センター出版局・1200円)によると、「ミステリは男性原理」なのだそうだ。なるほど、言われてみればそのとおりかもしれない。猫のぬいぐるみをかわいがっているようでは、パズラーは厳しいんだろうな。うう。
 さて、昨日の後半の記述はわかりにくかったかもしれないので地図を描きます。節操なく領土の拡大を図っているミステリーの人はホラーも領土に含むようですが、ホラーは昔からの独立国です。で、いかに現在は寂れていても、首都は怪奇小説なんですよ。一方、ミステリーの首都は本格パズラーでしょう。要するに、私は二つの首都を地下トンネルで結ぼうとしているわけですが、この辺が首都かなと思って地上に出たらとんでもない山の中だったりするので、まだまだ道は遠いな。
 ちなみに、私が関わってきた幻想文学はハイパージャンルと考えてください。幻想文学としか呼びようのないものもあるのですが、少なくとも狭義のファンタジーを指すものではない。エンターテインメントのジャンルに限れば、ホラーとファンタジーは含有率が高く、理詰めなSFとミステリーは低いと言えるのですが、どのジャンルにも幻想文学は存在するわけです(「幻想・非論理」と「リアリズム・論理」の二項対立を考えていただければわかりやすい)。だから、「ミステリーは幻想文学ではない」と頭から排除するのはどうかと思いますね。たとえ最終的には現実に還元されても、内実は幻想文学とのハイブリッドという作品はたくさんあるでしょう。
 わかりやすくしようと思ったのにぐちゃぐちゃになってきたので、京極さんの話に戻ります。これはどなたかがすでに指摘していると思うのですが、寡聞にして私は知らないので記しますと、例の京極堂のセリフは、かなりの確率で山岡元隣「百物語評判」(叢書江戸文庫『続百物語怪談集成』国書刊行会所収)が元ネタでしょう。ここに「世界に不思議なし、世界皆不思議なり」という言葉があるのです。ちなみに「百物語評判」はぜひシングルカットすべき面白い書物です。いわゆる「無鬼論」なのですが、論理の柱が陰陽五行説なので、ともすれば妖異を増幅させてしまう。このあたりの呼吸が抱腹絶倒です。なお、詳しくは「幻想文学」47号「怪談ニッポン!」掲載のエッセイ「化鳥に乗って」をごらんください(結局CMだな)。
 それにしても、本格ミステリーファンと「幻想文学」の読者はほとんど重なってないのね。部数は「メフィスト」と変わらないはずなんだけど。



 [12月24日]
 今日は「歴史は夜つくられる」というお話です。
 毎日新聞社から「20世紀の記憶」というシリーズが続々と刊行中で、「不許可写真」とか目にとめた方もおられるかと思いますが、私は冷静に見られないのですね。なぜなら、去年出た分厚い『20世紀年表』(毎日新聞社・9500円)のナンバー2の校閲者は、かく申す私だったからです。幸い足を洗いましたが、いまだに校閲を続けていたら、またえらい目に遭っていたことでしょう。編集部が各種の資料を参考に作った膨大な原稿の誤りを正すわけですが、『20世紀年表』の校閲を担当してつくづく身に染みたのは「この世に間違いのない資料はない」ということですね。版を重ねている定評ある資料にも誤りはあります。まして、洋書をいいかげんに使ったとおぼしい歴史物には嘘が多い。それを孫引きすると間違いが増殖し、収拾がつかなくなってしまうわけです(卑近な例で言えば、『百鬼譚の夜』の著者紹介を日下三蔵がミスって福井健太がまた「活字倶楽部」で間違えるようなものですな)。どういう間違いがあるかと言うと、「大統領も賛成投票」などと書いてある。変だなと思って調べると拒否権を発動していた。voteとvetoを間違えたわけですが、意味は正反対になるでしょう。また、「××村で水爆が2個破裂」などという信じられない記述がある。誤って水爆が落下したのは事実なのですが、単なる事故で爆発したら大変だから二重三重の起爆装置が施されており、いちばん外側の装置だけ外れて村人が少し被爆したという知る人ぞ知る事件だったんです。水爆が2個破裂したらどうなるか常識でわかりそうなものですが、深夜になると校閲者も疲れてくるので網にかからない場合があるんですね。だから「歴史は夜つくられる」というお話でした。
 ちなみに、ほかの校閲時代の業績として『ホリデー・フィッシング1〜6』(地球丸)があります。釣りは全く興味がないので(アウトドアは全部だめなのだ)鬼のようにつまらなかった。内容は濃いですから、ご興味のある方はどうぞ。
 それから、校正・校閲のご用命は「聚珍社 03-5228-2174」まで。会員二百人を擁する業界最大手で、商業印刷・出版関係の校正に加え、データベースやフォントの作成など、いろんなことができます。ただし、ギャラは高いかも。



 [12月25日]
 翻訳『ポジオリ教授の事件簿』は7篇目に入り、そろそろ遊びたくなってきたので、登場人物の一人の会話を関西弁で訳しはじめる。『カリブ諸島の手がかり』の書評で新保氏から文句を言われたのに、懲りひんやっちゃな(だって、原文も訛ってるんだもん)。ちなみに、この訳書は Doverの選集から不出来な4篇をカットした全11篇です。もともと国文出で辞書を引いている時間が長いし、「彼」「彼女」「彼ら」はいっさい使わないという凝り性なので(『カリブ諸島』を調べてみてください、1カ所も出てきませんから)時間がかかるんだよね。
 洋書といえば、三カ月以上もクラシック・ホラーを読んでいなかったことに気づき、あわてて昨日から読みはじめる。妙な記録癖があり、簡単な読書記録を残してあるので、整理がついたら来月にでも「英米怪奇小説読書録」をupしましょう。データを死蔵していても仕方がないし。
 怪奇小説といえば(なんだか自動筆記だな)、先日古本屋で買ったジョン・ミッチェル『奇天烈紳士録』(工作舎)の「蔵書狂」の章に怪奇小説家のA・N・L・マンビーが登場していた。もっともメインではなく、サー・トーマス・フィリップスの研究家という役どころである。このフィリップスは掛け値なしの蔵書狂、「世界で発行されている本は1冊ずつほしい」というわがままなことを言い出し、資力にものを言わせて実行に移したんですね。要するに、個人で国会図書館をはるかに上回る規模のことをやったわけです。おかげで、1世紀経っても蔵書の売却整理がつかないらしい。まあ、人生いろいろですね。 と、ここでやめようと思ったら、またシンクロニシティでFantasy Centreから小包が届いた。今月は不作で、収穫はAsh-Tree Pressのケイペスのみ(「たまたまゴーストストーリーの在庫が乏しく、当たりませんでえらいすんまへんな」と書いてあった)。この古色蒼然とした作家を2冊持っているのは、ひょっとしたら日本で私だけかもしれない。なお、Ash-Tree Pressから今月出たもう1冊につきましては、中野善夫さんの日記をごらんください(笑)。
 さて、ひとつ訂正ですが、夏来健次は大病後の養生中につき(退院して元気になったそうですが)ジム・トンプスンはキャンセルしたそうです。目下 Puffyのビデオを見ながら「サイコ」に専念とか。
 最後に、書いちゃいけないのかなと思って見合わせていたのですが、「SFマガジン」2月号を見ると東雅夫がいきなり飛ばしていた。ですからここにも記しますと、「このホラ」の対象該当期間は昨年6月から今年の6月末までです(どうしてこれを伏せなきゃいけないのか腑に落ちませんね。読者は首を傾げるでしょうに)。



 [12月26日]
 今日は日記です。
新宿で有馬記念の前売りを買ったあと、伊勢丹の古書市へ。まずガラスケースの本で目の保養をする。「黒死館」の初版本って40万円もするのか。カストリ系の探偵雑誌もむちゃくちゃ高い。「新青年」は言わずもがな。来年3月に廣済堂文庫から出る長篇ホラーが映画化されたら、おじさんが買ってあげるからね(思いっきりとらぬ狸だな)。
 主な収穫は、以下のとおり。
*ウィルキー・コリンズ『白衣の女』(国書刊行会)7500円
「ワイルダーの手」とこれを読んだら少し大きな顔ができるような気もするが、なにぶん3巻本だからなあ。
*柴田宵曲『続 妖異博物館』(青蛙房)3000円
 実は正篇も持っていない。当然うちにあるべき本なのだが。
*N・ホーソン『七破風の屋敷』(泰文堂)3000円
 これは高かったような気もするが(訳が堅いし)、ホーソンの曽孫が序文を書いていたので購入。ちなみに、息子のジュリアン・ホーソンも怪奇小説家で(私の感覚ではN・ホーソンは怪奇小説家)Ash-Tree Pressから短篇集が復刊されています。
*「オカルト時代」3号[特集 吸血鬼の深層心理]1500円
「地球ロマン」と「ドラキュラ」の中間みたいな変な雑誌。都筑道夫の心霊小説が載っていたりする。雰囲気は「幻想と怪奇」そっくり(3の書体が全く同じだった)。
*F・マリアット『ピーター候補生』(東京創元社[世界大ロマン全集])1000円
「人狼」の作者だから。これは一生読まないだろう。
*『坂口安吾・加田伶太郎・久生十蘭・戸板康二集』(東都書房)800円
 むろん十蘭で購入。今年は『美国横断鉄路』を入手したのが収穫だった。
 あとはポケミスのC・ブランドとか(先月ディキンスンをつぶしたので、次のターゲットはブランドにしよう)。
 そのあと紀伊国屋書店へ行くつもりが、重度の方向音痴のため散々迷ってしまう。伊勢丹から紀伊国屋へ行こうとして区役所へ行く人は珍しいかもしれない。ようやくたどり着くと、棚は「このミス」一色、やはり「このホラ」のフェアはやっていない。『赤い額縁』がミステリーの棚にないので返品になったかと思いきや、SF・ホラーの棚に移動していた。しかも、をを、『百鬼譚の夜』が隣で平積みになっているではないか。これで少し在庫が減るかもしれない。
 購入したのは、竹本健治『風刃迷宮』(カッパノベルズ)、ショートショート作家『ホシ計画』(廣済堂文庫)、井上雅彦『くらら』(角川ホラー文庫)、キム・ニューマン『ドラキュラ紀元』『ドラキュラ戦記』(創元推理文庫)、ウィリアム・ヒョーツバーグ『ポーをめぐる殺人』(扶桑社ミステリー)など。
 黒いセーターも買うつもりだったのだが、結局3万円も本を買ってしまい後日にする。本と服を買うつもりで本だけ買って帰るのは、今日に始まったことではないが。
 それにしても、昨日100ドル分オーダーを出したばかりなのにこれでいいのかという気もするが、明日ステイゴールドが来れば一発で取り戻せるだろう。



 [12月27日]
 小川洋子『寡黙な死骸 みだらな弔い』(実業之日本社・1500円)は非常に微妙な短篇連作形式の長篇。残酷メルヘンからサイコスリラーまで、独立した短篇としてもていねいな作りで文章ともども楽しめる。「拷問博物館へようこそ」など派手めの話もあるのだが、純文学パッケージなのであまり読まれていないかもしれない。今年の純文学パッケージでは大石圭『死者の体温』(河出書房新社・1600円)がとても印象深かったけれども、この二冊には共通点がある。どちらも庭に屍体を埋めるのだ。「黒い家」もそうだったし、ひょっとしたら流行っているのだろうか。
 なお、「黒い家」はサイコスリラーとしては高く評価される傑作だし、こういったわかりやすい恐怖までホラーに含める戦略も正しいとは思うのだが、少なくとも、この作品を評して「ついに日本に本格ホラーが現れた」と書いた北上次郎はレッドカードで一発退場でしょう(夏来健次がどうして攻撃しないのか腑に落ちませんね)。
 さて、有馬記念は1着馬さえいなければ秀逸な予想だったのだが……。出走数が激減したとはいえ、今年は両目すら開かなかったのは情けない。ちなみに、妙な記録癖があって小遣い帳的な競馬の記録を取っている。それによると、1981年から今年まで18年間の通算成績は、1221戦219勝994敗10分、マイナス73万6420円、的中率1割7分9厘となった。まだ百万負けていないのは偉いような気もするが、本命党でもないのに万馬券を一回しか取っていないのだから、我ながら忸怩たるものがある。要するに、「講釈だけで買うとだめ」というタイプですな。



 [12月28日]
 今日は簡単な日記です。
 次の「異形コレクション」の原稿を送り、とりあえずスパンの短いお仕事は終わり(ただし、同人誌は除く)。中掃除をしたあと、余勢を駆って年賀状を書く。あまり自分からむやみに開拓しないようにしているのだが、今年は思わぬ方から頂戴するような気もするので、多めに刷っておく。そのあと、今年最後のコインランドリーと銭湯。部屋に洗濯機など置く場所はないのだ。しかし、前の部屋ではガスコンロを置く前にキッチンが「四面書架」になってしまい、湯は電気ポットに頼っていたのだから(風呂もなかった)、ずいぶん文化的な生活になったものである。
 さて、ごく一部のご要望にお応えして夏来健次コーナーです。『ミステリー作家90人のマイ・ベストミステリー映画』(小学館文庫)に翻訳家としてただ一人参加しているそうです。実物はまだ見ていないのですが、今度は池上批判じゃないでしょう(たぶん)。



 [12月29日]
 P・シニアック『ウサギ料理は殺しの味』(中公文庫・品切かな?)は秀逸なミステリー。なにしろ、まともな人間が一人も出てこないのだ。本格としてもかなり過剰で面白いが、謎解きの後の展開もとんでもない。これは傑作でしょう。ジョイス・ポーターの『切断』がお好きな方はきっと気に入るはず。フランス物はジャプリゾ、アルレー、カサック、ルルーなどの有名な作品しか読んでいなかったのだが、なかなか侮れないんだなあ。
 前に紹介した『江戸川乱歩執筆年譜』をざっと通読。いちばん驚いたのは、氷川瓏が少年物や翻訳をずいぶん代作していたことだった。氷川瓏といえば、80年代の後半に行われた第一回ファンタジー・コンベンションでお顔を拝見したことがある。なんとなくメフィストフェレスみたいな雰囲気の方だった。どこか奇特な出版社が(二つしか思い浮かばないが)短篇集を出してくれないだろうか。
 なお、同書の見返しには「宙を歩く白衣婦人や冬の月」という乱歩の色紙があしらわれている。自信作なのだろうが、宙と月、白と月が「付きすぎ」のいかにも素人臭い俳句で、ほほえましく思った。



 [12月30日]
 井上雅彦さんの『くらら 怪物船團』(角川ホラー文庫・660円)は初のモダンホラー長篇。SF系の作家なら少なくとも倍の分量を書く題材だが、理屈ではなくホラーのガジェットで押すスタイルで(いきなり「異形民俗学」なんて出てきます)いたってスリム。P71の「コピーした細胞のDNAを組み換えて、新しい怪物を創り出す」というのは、まさに作者のことでしょう。『影歩む港』など菊地氏の影響が如実にあるようですが、シリーズ物の長篇をほとんど読んでいないので具体的な指摘ができないのは隔靴掻痒。それから、クトゥルーも入っています。「ないそて」じゃなくて「にゃるほて」なのは、とてもマニアック(笑)。『竹馬男の犯罪』みたいに濃くはないのですがミステリーも配合されていますので、そちらのファンもどうぞ。
 ちなみに、来年出版芸術社から刊行予定の長篇(まだ何も書いていないが)はクトゥルー物で(でも、地味かもしれない)、かねてより暖めていた「食屍鬼(グール)」というタイトルにしようと思っていたのだが、さすがに「屍鬼」の翌年にこのタイトルで出す度胸はない。なお、私はラヴクラフト原理主義者なので、ダーレス以降はべつにどうだってよかったりするんですね。要するに小乗仏教です。



 [12月31日]
 今日は日記です。
 四時で仕事納めにし、近所の雑貨屋へカラーボックスを二つ買いに行く。もちろん本の整理のためである。部屋は縦に長く、壁ぎわを全部使えるのは重宝なのだが、間取りは1Kで十畳分ぐらいしかスペースがない。大きめの本棚は四つしかないけれども、本を二段に重ねられるカラーボックスは、二段・三段・大小とりまぜて、これで22個になってしまった。まさに「積木の部屋」である。
 で、分類したり作家別に並べたりしはじめたのだが、焼け石に水であることを悟り、俳句に越境していたクイーンやカーを戻したり、ノヴェルスをまとめたり、その程度で手を打ってやめた。あとは台所にたたきこんであるホラービデオをどこに出すかだが、すでに手遅れのような気がするな。
 去年、三年ぶりに帰ったので、今年は正月も戻らないでお仕事です。帰省して「作家ちゅうのは月給どれくらいもらえるんや?」などという田舎者特有のわけのわからない質問に答えるのもかったるいし。
 現在、小説の書き下ろしが450枚強、翻訳が350枚強、合わせたら800枚を超えているのだが……。いずれにしても、二月の終盤あたりに次のサイクルへ移りたいところ。ホラーとミステリーの書き下ろしなら同時進行できるので(要するに、その日にモードが合うほうを書く)、短篇を書きながら半年でサイクルを換えれば、単純計算で年四冊完成する。ほかに宙に浮いている原稿(同人誌連載中に大反響だったユーモア・ミステリー連作「村の奇想派[田舎の事件]」の出版のメドがまだ立っていない)や思い切りリニューアルすれば使えるものもあるし、ここに翻訳といずれ出るだろう短篇集が加われば、コンスタントに年五、六冊刊行できる。そのうち文庫も出る。そうすれば、2DKに引っ越してホラービデオも出せるし、高くて濃い本も心おきなく買えるのだが……。
 というわけで、来年もよろしくお願いしますね。