[99年1月下旬]



 [1月16日]
 今日は日記です。
「モダンホラー強調月間」の本の補充に新宿古書センターへ行くが、さしたる収穫なし。まあ去年根こそぎ買ったのは私だから文句は言えないのだが、そう豊富に在庫があるわけでもないらしい。ハーバート『奇跡の聖堂』の上巻だけ置いてあったけれども、下巻をどこで買えと言うのだ? 次に新大久保のブックオフへ行くが、どうも安物ばかりの店は性に合わず、すぐ出て早稲田まで歩く。相変わらず収穫がない。昔はたとえ収穫がなくても、看板猫がほうぼうにいたのだが。仕方なく、懸案の黒いセーターと、テープが擦り切れてきた太田裕美のベストアルバムのCDを買って帰る。なんだか動いたわりに収穫がなかったな。
 新刊は『ワールドミステリー・ツアー13[イギリス篇]』(同朋舎・1400円)など。このシリーズは、編集部による13章目が異様に偏っていて濃いのが特色。執筆している三津田信三さんは私の愛読者で「本格推理」にも入選したことのある方だから、濃くなるのは当たり前のような気もするが。



 [1月17日]
 ジョン・ファリス『サーペント・ゴッド』(ハヤカワ文庫・品切)は、古典的な骨格のしっかりした作品だが、キングが師と仰いだ作家らしく無駄が多い。おかげでホラーが埋没している。『果てしなき夜の息子』は積んでおこう。
 チャールズ・L・グラント『死者たちの刻』(創元ノヴェルス・品切)は、「ティー・パーティ」よりかなり落ちる。私の嫌いなハーレクインが配合されているのは致命的。ミステリーも配合されているが、いかにも薄い。続篇は積んでおこう。
 なお、創元ノヴェルスでは、スティーヴ・ラスニック・テム『深き霧の底より』(もちろん品切)が渋い田舎ホラーでおすすめ。大森望訳の静かなホラーはレア物だし、尾之上氏の解説も資料的価値がある。古本屋で安く見かけたら買いでしょう。
 昨日観た「Drギグルス」は、頭のおかしい医者が医療器具を駆使して殺しまくるだけのB級ホラーだが、異常者に気合が入っているし、ヒロインはジェシカ・ハーパーのエピゴーネンだし、けっこう好みだったかも(笑)。



 [1月18日]
 昨日二時までかかって長篇の第二部まで読み直し、残りの第三部と第四部の細かい構想をまとめる。後半は短いから、マラソンなら35キロ手前の折り返しを回ったというところ。次の短篇は40枚と私にしては長いので、これも始動する。
 基本的に短篇型だから、20枚前後が最も体質に合う。その証拠に、長篇の各章はおおむね20枚以内に収まっている。長篇型の作家なら、ぼんやりした構想だけで書きはじめ、どうにも終わらなくなって千枚二千枚ということもあるのだろうが、絶対そういう書き方はできない。なにしろ、だいぶ前の話だが、「よし、500枚の長篇を書くぞ」と起稿したのはいいものの、50枚で突然終わってしまってうろたえたことがある。
 だから、まず構想を練り、章の数をたくさん作っておく(30章あれば平均15枚でも450枚になるという計算ですね)。そのためには、話を複雑にしなければならない。書いているうち、だんだん頭が割れそうになってくる。だいたい右脳型で、パズルを解くみたいに演繹的に書けないから、当初の構想はぐちゃぐちゃになる。読み返すと伏線を張ったまま忘れているところがある。それやこれやを修正しながらだから、なかなか青写真どおり進まない。来月中に上がればいいんだけど。



 [1月19日]
 今日は作家のカタルシスの得方を二つに分けてみます。
 一つは願望充足型。これはわかりやすい。強いヒーロー、けなげなヒロイン、鮮やかに事件を解く名探偵などに作者を投影させてカタルシスを得るわけです。
 もう一つは自己処罰型。こちらはひねくれています。作者が自己を投影させた人物が、作中で破滅したり失敗したりする。言わば、分身が身代わりになることによって、現実の作者が安寧を保つというカタルシスの得方です。
 これはホラー作家に多い。わかりやすい例を挙げれば、キングの「ミザリー」では分身たる作家が実にひどい目に遭います。ラヴクラフトもそうですね。内省的でやたら知的好奇心のある主人公が、もうこのあたりで引き返せばいいのに深みにはまって破滅するというパターンが多い。かく申す私もそうで、ことに短篇では登場人物がひどい目に遭っています。
 少数ながら、このタイプはミステリー作家にもいます。バークリー、ちょっと留保はつくがコリン・デクスター、それに、私が訳しているストリブリングといったところですね。要するに、失敗する名探偵です。ストリブリングのポジオリ教授は後期になると名探偵らしくなるというのが定説ですけど、実はそうでもない。それに、後期はポジオリの事件簿を書いている友人の作家が語り手として登場するのですが、これがまたかなり間抜けなワトスンです。つまり、失敗が分散しているから初期よりポジオリが名探偵らしく見えるだけで(まあ名探偵であることは事実なんだけど)、ストリブリングという作家が願望充足型に転向したわけではないんですね。
 こんなことを書いてないで早く訳せという声が聞こえてきたので、このへんで。



 [1月20日]
 今日は日記です。
 散髪したあと、新宿小田急の古書展へ。三年ほどブランクがあったのだが、時間の融通がつくようになったから大きなところは行くようにしている。伊勢丹と違って初日でも楽に見られるのはいいけれども、怪奇幻想関係の濃い本は少なかった。三千円以上の本は小栗虫太郎『金字塔四角に飛ぶ』(桃源社)のみ。あとは、世界推理小説体系5『チェホフ/ドゥーゼ』(東都書房)、ナルスジャック『読ませる機械=推理小説』(東京創元社)、ヘイクラフト『娯楽としての殺人』(国書刊行会)、ドゥルーズ『世界ミステリー百科』(JICC)など。ミステリーに関してはマニアじゃないつもりなのだが、こういう本を買っていたらそのうち抗弁できなくなるかも(笑)。『世界ミステリ作家事典』も発売と同時に買ったし。会場には文庫が少なく、購入したのは、いつ読むかわからないアン・ライス『魔女の刻』(全三巻)とクライヴ・バーカー『ウィーヴワールド上下』のみ。そこで、三省堂書店でロアルド・ダール『王女マメーリア』(ハヤカワ文庫)などの文庫本を買いこんでから帰ろうとしたのだが、まだなんとなくスカッとしない。仕方なくヴィクトリア裏の畸人堂へ回り、ガイ・バート『ソフィー』などを購入、ようやく納得して帰る。今日は二万円も買わなかったな。
 すると、今年からまた定期購読を始めた「彷書月刊」が届いていた。今週は毎日シンクロニシティが起きるので不気味だ。一昨日、小説の参考資料にと珍しく女性誌を買って帰ったら、時事通信社のIさんから「『女性セブン』に『赤い額縁』の書評が載っていました」とファックスが届いた。昨日、ストリブリングについて記したこのページの原稿を送ったところ、一分後に担当のFさんからファックスがあった(なお、前に記した関西弁の会話は「ご再考を」と言われてしまったので直します。遊ぶんじゃなかったな)。今日ももう一つあった。珍しくなついている近所の猫と出がけに遊んだのだが(たいていの猫は怖がって逃げる)、どうしたことか鈴がなくなっていた。すると、巽久子改め橋詰久子さん(と書くと離婚したみたいだけど、ペンネームでもある旧姓で統一します)から、ミーコちゃん用の赤いリボンのついた鈴が届いた(とってもかわいい)。うーん、どうなってるんだろう?



 [1月21日]
 ジェームズ・ハーバート『ダーク』(ハヤカワ文庫・品切)の主人公はゴーストハンターだが、同じ設定の『月下の恋』(学研)とは対照的。モダンホラーのファンは前者、クラシック・ホラーの愛好者は後者に軍配を上げるだろう。序盤は秀逸なのだが、前半から結界を出て活劇が交じってくるので後半まで息が持たない。マラソンならスパートが早すぎたといったところか。なお、『月下の恋』を原作としたコッポラ総指揮の映画(ビデオタイトルは「ホーンテッド」、同名の作品に注意)はSFXに背を向けた渋い作品でおすすめです。ヒットしなかったのは当然だけど。
 最後まで息が持たなかったモダンホラーは他にも多い。最も残念だったのがフランク・デ・フェリータ『ゴルゴタの呪いの教会』(角川文庫・品切)。下巻の途中までは間違いなくモダンホラーのベストテンに入る傑作だと思ったのだが。



 [1月22日]
 スティーヴン・キング『マーティ』(学研)は、特にどうと言うことのない人狼絵本だが、キングにしては例外的に売れなかった本なので、将来それなりの古書値がつくかもしれない。興行的には大失敗に終わった学研ホラーノベルズについては、担当だった後輩のM君はいまだに黙して語らないと伝えられているけれども、渋い良書が多いんですよ(だから売れなかったんだけど)。同シリーズの海外物では、やはりシャーリイ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』がハイライトでしょう。ミーコちゃんと遊んでいて「とっても幸せ」な気分のとき、私はときどきメリキャットを思い出す。
「キラーホビー オモチャが殺しにやって来る」は、題名でだいたい内容がわかるB級ホラー映画だが、終盤にツイストもあって満足。なによりサンタクロース物であることがうれしい。夢を運ぶサンタクロースは民俗学的に言えばマレビトだから、まれに恐怖も運ぶのだ。ほかにも「サンタクロース惨殺の斧」「サンタが殺しにやってくる」などがある(比較民俗学者はこのあたりまで押さえてもらいたいものだ)。そうすると、わが国でも「なまはげが殺しにやって来る」とか「節分の鬼の逆襲」とか作られてもいいような気がするな。



 [1月23日]
 先月予告した「英米怪奇小説読書録」をアップしました。いったい何人読んでくれるのかという気もしますが(笑)、それなりに資料的価値はあるかと存じます。なお、世間的にはべつに知らなくていい作家ばかりですので、びっくりしないでください。駄作もたくさん読まないとクラシック・ホラーのアンソロジーは作れないんですよ(一冊引き写しただけのものも出てるんだけどね)。



 [1月24日]
 次の異形コレクション『グランド・ホテル』のゲラに手を入れる。これは世界でも類例を見ない試みで、同じ時間と舞台設定(雪降るバレンタインデーの晩のリゾートホテル)で各作家が競作するのです。レストランの名前とか細かい設定まで決まっていたのですが、さすがに約二十名の作家がバラバラに書いているため矛盾点が出てくる。それを監修の井上さんと編集のSさんがチェックして執筆者に差し戻すわけですから、普通のアンソロジーと違って大変です。なお、この話題は田中啓文さんの「ふえたこ日記」にも出ています。それにしても、「異形コレクション」の参加者はやたらHPを持ってるなあ。どなたかまとめてリンクしてみたらいかがでしょうか?
 話はガラリと変わり、一昨日の「驚きももの木20世紀」は三重県が生んだ鳥羽一郎・山川豊兄弟だったから、つい見てしまった。伊賀上野出身でテレビに出ている有名人は田畑彦右衛門と榊莫山で久しく動かなかったのだが、やっと椎名桔平が出て(渋谷哲平を経ないと椎名桔平が出てこなかったりするのは我ながらトシだが)人に言っても笑われなくなった。残るは歌手である。まだ演歌歌手になる夢は完全に捨てたわけではなく、芸名は鬼一郎(おに・いちろう)に決めてあるんだけど。
 最後に、初場所の総括。うーん、千代大海みたいな最も嫌いなタイプの相撲取りが優勝して大関になるとは。同じ突き押しでも十両の前進山(4勝11敗)星誕期(7勝8敗)のようなロートルなら応援する気になるのだが(それにしても、二年前は十両で「久島海関は苦手だ」と言っていた力士が大関になるのだからわからないものだ)。なお、今場所の「この一番」として、栃乃和歌(6勝9敗)が出羽嵐に「さば折り」で勝った取組を挙げておきます。ところで、琴稲妻(5勝10敗)はそろそろ引退しないと断髪式ができなくなるのではなかろうか(そうか、ごひいきの力士はすべて負け越したんだな)。久島海が引退してから相撲もとみにつまらなくなったなあ。



 [1月25日]
 何か忘れているような気がしていたのだが、思い出した。俳句の同人誌から月末締切で五十句頼まれていたのだ。締切を守る人があまりいないとはいえ、いまから五十句はつらい。そこで、五十行で逃げることにした。前に「私説昭和歌謡史」という懐メロに俳句を付けた連作を発表したことがある。その二番煎じをミステリーでやろうと思い立った。迷いに迷って「黄金の12×2」を選んだのだが、終わってからハタと気づいた。これに全部俳句を付けるくらいなら、素朴に五十句作ったほうがよほど楽ではないか。というわけで、せっかく選んだのにお蔵にするのはもったいないからここに回します。

(国内)
 江戸川乱歩『孤島の鬼』
 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』
 横溝正史『三つ首塔』
 高木彬光『人形はなぜ殺される』
 中井英夫『虚無への供物』
 連城三紀彦『暗色コメディ』
 竹本健治『匣の中の失楽』
 島田荘司『斜め屋敷の犯罪』
 綾辻行人『霧越邸殺人事件』
 我孫子武丸『殺戮にいたる病』
 麻耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲』
 京極夏彦『魍魎の匣』
(海外)
 コナン・ドイル「マスグレーヴ家の儀式書」
 G・K・チェスタトン『ブラウン神父の童心』
 J・D・カー『火刑法廷』
 アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』
 T・S・ストリブリング『カリブ諸島の手がかり』
 エラリー・クイーン『第八の日』
 ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』
 コリン・デクスター『キドリントンから消えた娘』
 ルース・レンデル『ロウフィールド館の惨劇』
 ウィリアム・カッツ『恐怖の誕生パーティー』
 ピエール・シニアック『ウサギ料理は殺しの味』
 リチャード・ニーリイ『心ひき裂かれて』

 国内はいたって穏当な選出ですね(笑)。横溝は「獄門島」でも「悪魔の手毬唄」でもいいんですが(「本陣」じゃないのが私らしいが)、好みでひねってみました。角川文庫の横溝はほぼ全作品読んでるんだけど、相当くだらないものもありましたね(「悪魔の百唇譜」とか「女が見ていた」とか)。あと山田風太郎がないのですが、「明治バベルの塔」なんて誰も挙げないだろうな。ちなみに、新本格で最後まで迷ったのは井上夢人「プラスティック」です(笑)。
 海外はドイルだけ短篇ですが、これはミステリーの原体験なので外せないんですよ。クイーンで「第八の日」を挙げるのは私だけでしょうが、「ユートピアの殺人」は実に刺激的なテーマでした。いずれ書くつもりなんですが。

 と、ここでやめようと思ったら「活字倶楽部99冬号」が届いた。「人気作家45人大アンケート」には私も参加しているのですが、「このミス」とは違って「ブードゥー・チャイルド」がダントツでしたね(集計はないんだけど)。なお、長篇ホラー『死の影』(廣済堂文庫)は年度が変わったほうがいいということで四月に刊行が延びています。いましばらくお待ちください。次からあまり具体的に書くのはよそう。ところで、「19歳で初めて短篇が活字になった」と書いておりますが、媒体は「抒情文芸」という投稿主体の地味な文芸誌です。この雑誌、恐ろしいことにまだ続いていて、大書店でときどき見かけます。で、なぜそんなところへ投稿していたかと言うと(確か三回載っていると思うが)、二十ちょい過ぎまでは自分の小説は純文学だとかたく信じこんでいたためですね(笑)。
「かつくら」に戻ると、今回は特に内容が濃い。国書刊行会の礒崎編集長まで出てきたので思わずのけぞってしまった。なんだか「幻想文学」みたい。それから、不気味な箇所を発見。エッセイの次号ラインナップのところに、「あとは倉阪鬼一郎『活字狂想曲(仮)』(時事通信社)も楽しみにしている一冊」と書いてあったのだが、この仮タイトルを目にするのは初めてで、担当さんからもまだ聞いていないのだ(だから、福井情報ではないはず)。いったいどういう人脈があるのだろうか? それにしても、アンケートにも書かなかった今年の隠し球なのに、思い切りバレてるぞ。
 なお、綾辻さんに取り上げていただいた句集は、著者買い取り分が多く、まだ手元に在庫があります。

 と、ここでやめようと思ったのだが、「SFマガジン」と「ミステリマガジン」の3月号を買ってきたので、もう少し書きます。世間的には「ミステリマガジン」でしょうが、これはまあどうでもいい。問題は「SFマガジン」で、どうもミステリーの両君に続いてホラーの両氏がきな臭くなってきたから困ったものだ(伏線に『SFバカ本』の座談会があったりするのだが)。要するに、ジャンルが健全に発展するためには、求心性と拡大性のバランスが取れていなければならないわけです。で、当然のことながら、両翼で意見の相違が生じます。それに関しては建設的な議論をすればいいわけで、感情的になったり必要以上に皮肉っぽい書き方をしたりするのは果たしてジャンルのためになるのだろうかとコウモリ人間は思ってしまうんですがね(ただでさえホラーの人口は少ないんだから)。とにかく、率直に言って私は困るので(笑)、これ以上もめないでもらいたい。
 さて、「1998年SF回顧」も掲載されているのですが、思わぬ方々から『赤い額縁』にご投票いただいたので、とてもいい気分なんですよ(単純なやつだな)。それにしても、『妖かし語り』と併せると14位相当になってしまうのだから、やはりSFは刊行点数が少ないんですね。いずれ本格SFも書きたいんだけど(ディックみたいに変なガジェットがたくさん出てきて世界が崩壊するやつね)。そう言えば、昔からSFは温かかったなあ。第一短篇集の書評が出たのは「SFアドベンチャー」だけだったし、「SFの本」からラヴクラフト論の依頼も来たし(しみじみ……)。



 [1月26日]
 未読のアンソロジーで最も気になっていた〈ナイト・ヴィジョン〉(ハヤカワ文庫、二巻まで刊行)を読む。これはアンソロジーと言っても「三人集」ですね。まず『ハードシェル』はクーンツ、エドワード・ブライアント、マキャモン。クーンツで驚いたのは「黎明」。この作家は基本的にバカにしていたのだが(と言いながら一ダース以上読んでるんだけど)、こんな渋い作品も書けるとは。大森望さんが解説で「クーンツ観が変わった」と記していますが、まったく同感です。ごめんね、バカにしてて。ブライアントでは「荷物」が好み。隠し味になっているカフカの「変身」は五、六回読んでいるけれども、あれは家族が家を離れるラストもけっこう不気味なんですよ。マキャモンでは「ベスト・フレンズ」がぐちゃぐちゃでよかった。
 続いて『スニーカー』はキング、ダン・シモンズ、ジョージ・R・R・マーティンの三人。キングは「霧」ぐらいの長さじゃないと力が出ないタイプなのでコメントなし。シモンズでは「転移」がひたすらぐちゃぐちゃでよかった(普通のクラシック・ゴーストストーリー愛好者はこんなこと書かないのだが)。マーティンの中篇「皮剥ぎ人」は集中のハイライト。ハードボイルド・タッチは好みではないのだが、イメージの喚起力に優れていて面白く読める。ハードボイルドに引っかかりつつも面白く読めた作品にジョン・ダニング『死の蔵書』『幻の特装本』があるけれども、あの古本ネタとこの作品のホラー・ガジェットは個人的にはパラレルですね。なお、このシリーズは二冊だけで刊行が止まってしまったのですが、タニス・リーをメインとする原著の第一巻はぜひ出してもらいたいものです。タニス・リーはどうでもいいんだけど、残りがC・L・グラントとスティーヴ・ラスニック・テムなので。
 話変わって、Mark V. Ziesing Books からR・マレー・ギルクリストの怪談集『The Stone Dragon』が届いた。と言っても1894年刊行の初版ではなく、Charon House というサウスカロライナの奇特な小出版社が一世紀を閲して復刻した限定本(250部)なのである。この種の出版物ではAsh-Tree Pressが有名ですが、ほかにもひっそりと刊行されてるんですよ。去年はCalibanからC・D・パメリー唯一の短篇集『Tales of Mystery & Terror』が復刻されています(これも限定250部、どちらも装幀がグッド)。世界で二百五十人し かいない物好きの一人なんですね、私は。



 [1月27日]
 翻訳物が続いたので、和物を一冊(今後もこういうスタイルにします)。
 読み残していた書き下ろしアンソロジー『七つの怖い扉』(新潮社)は、何と言っても小池真理子「康平の背中」が秀逸。幽霊の登場シーンは相変わらず達者だし、今回はサイコを脇役にしてラストも決まっている。おかげで、ほかの収録作が全部かすんでしまった。やはり当代一の怪談作家でしょう。ちなみに、「ここ十年のホラーのベスト1は」と問われたら、私は敢然と(?)『水無月の墓』(新潮文庫から新刊で出ました。400円は絶対お買い得)を挙げます。
 メインがスーパーナチュラルで脇役がサイコというのは、長篇ホラーでも使えそうです。 いわゆるモダンホラー長篇は怖くないものと相場が決まっていますが、せんじつめれば恐怖の扱い方がワンパターンだからなんですよ(むろん、その代わりにハリウッド的面白さがウケているわけですが、ここでは「ハリウッドよりバリ・ウッド」で考察します)。
 恐怖という感情はスリルやサスペンスと違って長続きしませんから、常に外から襲ってくるのでは飽きてしまいます。そこで、内から来る恐怖(憑依や狂気ですね)も交える。主役がスーパーナチュラルでも、サイコも出す。朦朧法も用いれば、即物的な血みどろ描写も行う。読者が感情移入した人物をあっさり惨殺したり、悪役に転換させたりする。こうやって読者が逃げようとした扉を一つずつふさいでいけば、怖い長篇ホラーが書けるはずなんですよ、理論的には。売れるかどうかわからないけど。



 [1月28日]
 今日は日記です。
 その前に、39回目の誕生日ですね(三十代もあと一年で終わりか)。ちなみに、同じ誕生日の有名人を三人挙げれば、小松左京、笑福亭仁鶴、三浦友和です。イメージが浮かびにくい組み合わせですね。生年月日では清水ミチコと石堂藍に挟まれています。いったいどういう芸風でしょう? 作家でいちばん近いのが十日違いの井上雅彦さんだというのも不気味かもしれない(それにしても60年生まれの作家は多いなあ)。
 日記に戻ります。
 神保町で祥伝社のSさん、Yさんと打ち合わせ。次の短篇は50枚か。私にとってはかなり長い。構成を練らないといけないな。
 そのあと、幡ヶ谷の中華料理屋で南條竹則氏を中心とする飲み会。ほかに集英社のOさんと漫画家の谷弘児さんが出席。Oさんに短篇を渡してひと息つく。谷さんとはずいぶん久しぶりだった。作風とは全然違うお人柄の方です。なお、秋からスタートする予定の集英社新書で、イギリスの怪奇作家をめぐるエッセイ「南條版『悪魔のいる文学史』」が出るそうです。期待しましょう。
 同じ幻想文学会の作家でも、書物の王国『美食』(国書刊行会)のアンソロジストでもある南條氏と、偏食で物を食べるのがひたすら億劫な私とは好対照なのだが、デザートの杏仁豆腐はうまかったような気がするな。ちなみに、年の半分以上を温泉で過ごす南條氏は日本で最も浮世離れした作家かもしれない。それから、『酒仙』と『満漢全席』にはちらっと私も出ているのですが、関係者を小説に出したがるのは幻想文学会の特徴だな。
 横浜の谷さん以外、新宿パセラに移動してカラオケ。遅れて業界カラオケの雄・東雅夫氏も多忙にかかわらず参加する(やはり呼べば来たか)。学生時代、アニメタルみたいなバンドをやっていたOさんは、いずれ日下三蔵と対決させてみたい(好勝負かも)。南條氏は「雪の降る街を」が秀逸。普通カラオケで歌う人はいないと思うが、心がなごみます。東氏はいつもながらのオーソドックスな横綱相撲。
 最後に私が歌った曲を思い出せる限り記してみます(あなたは何曲わかりますか?)。「東京シューシャイン・ボーイ」「若いお巡りさん」「Call me」「ニコライの鐘」「振り向けばイエスタディ」「こんな私じゃなかったに」「On the loose」「危い土曜日」「流氷子守歌」「ピンクスパイダー」「桑港のチャイナ街」「みなし児のバラード」「あほう鳥」「悲しき街角」「マッハGoGoGo」「人生峠」「テレフォン・ノイローゼ」「忘れられるものならば」「野球小僧」「夕暮れどきはさびしそう」
 20曲になったのでやめます。私って多重人格かしら?



 [1月29日]
 今日も日記です。
 神保町で時事通信社のIさんと打ち合わせ、「業界の極北で」というタイトルで同人誌に連載したエッセイの初校ゲラをいただく。なお、既報の「かつくら」情報は日販の「新刊展望」に載ったためと判明。タイトルはまだ未確定ですが、『活字狂想曲−−怪奇作家の長すぎた会社生活』で進行中です。浅羽通明氏の入魂の解説付きで三月刊行予定。すでに版元に現金入りの予約申し込みが届いている由、ありがたい話である。
 そのあと、渋谷東急古書展の初日に向かう。なにぶんバッグにいずれ印税に化けるゲラが入っているから、心おきなくカゴ一杯分買う。『怪奇幻想の文学[旧版・全四巻]』(新人物往来社)5000円は、七巻本(説明が面倒なので「幻想文学」51号を参照)のうち1・3巻を持っていなかったので(図書館や別ヴァージョンで読んではいるが)箱欠けながら購入。おかげで二冊分ダブった。逆に「世界大ロマン全集」(東京創元社)の『怪奇小説傑作集[全二巻]』2000円は、箱欠けしかもっていないと思いこんでいたのだが、部屋に戻ったらしっかりあった。おかげで創元推理文庫も含め(この経緯も説明が面倒なので「幻想文学」51号を参照)『怪奇小説傑作集』だらけになってきたではないか。まあ怪奇小説家だからいいんだけど。1200円と安かったから『マンク』の創元社版も買ったし。
 ほかは、海野十三『深夜の市長』(桃源社)3000円、中島河太郎編『恐怖の大空』(KKワールドフォトプレス)2000円(安く見つかりそうな本だが、星田三平の「落下傘嬢殺害事件」が入っているので)、「幻影城」七冊などなど。文庫はリーバーマン『魔性の森』(角川)、ルマーチャンド『螺旋階段の闇』(講談社)、シルヴァーバーグ『内死』(サンリオ)など。結局2万8千円買ったけれども、これを一冊に絞ったらガラスケースに入っていた渡辺温を買えたんだがな。
 ガラスケースといえば、山田風太郎の片々たる葉書にずいぶん高値が付いていた。気合の入っていない年賀状でも5千円、数行書いてあるものは1万5千円もする。学生時代に講演会の断り状をいただいたことがあるのだが(幻想文学会で早稲田祭に呼ぼうとしたのだ)とっておけばよかったな。総じて、探偵小説系は濃い本が多かったので、早めに行ったほうがいいかもしれません。
 さて、幻想文学会の連絡ノートをほとんど一人で書いていた学生時代の血が騒ぎ、ずいぶん長くなっておりますが、率直に言って長々と日記など書いている場合ではないのだ。次からは量が減りますのでよろしく(全然減らなかったりして)。



 [1月30日]
 フィリパ・ピアス『こわがっているのはだれ?』(岩波書店)は、さすがに子供向けで食い足りないけれども、巻頭の「クリスマス・プディング」はバレイジの怪談みたいでよかった。ちなみに、A・M・バレイジは生涯の作品数が約千篇、その十分の一がド怪談というイギリスの大衆作家。まとまった邦訳が待たれます。
 日本の子供向け怪奇小説では、三田村信行『おとうさんがいっぱい』(理論社フォア文庫)が秀逸です。ことに「どこへもゆけない道」は何の救いもない後味の悪い話。お母様がたはぜひ読ませてあげてください。トラウマが植えつけられて、立派なホラー作家に育つかもしれませんから。



 [1月31日]
 というわけで「モダンホラー強調月間」はさほど消化できないまま終わってしまった。夏にまたやります。ホラーにおける館についての考察もやりたかったのだが、未入手の作品もあるので懸案とします。
 来月は「海外ミステリー強調月間」です。たいして冊数はこなせないと思いますけど。以下、「海外SF」「文人・趣味人」「お勉強」と五月まで強調月間の予定が決まっていまして、国内作品はあいだに交えて年の後半に帳尻を合わせる予定です。