[99年2月上旬]



 [2月1日]
「海外ミステリー強調月間」の皮切りは、未読の本格でいちばん気になっていたクリスチアナ・ブランド『ジェゼベルの死』(ハヤカワ文庫)。本格の過剰性に加えてゴシック趣味も十分、評判どおりの傑作だった。ことに評価したいのは次の五点。1.言葉遊びが事件の謎解きと有機的に結び付いている、2.前半の墜死と容疑者全員の自白という倒錯がこれまた有機的に呼応している、3.最後の謎解きと同時に恐怖が喚起される、4.旧約神話も含めると三重メタになっている、5.派手なメイントリックがチェスタトン系である。以上は「本格推理」より「本格ミステリー」に重きを置く私の好みで(叙述物以外は初手から推理しながら読まないから犯人がめったに当たらない)、逆の方はおのずと力点が変わるはずです。これだけの作品を最初からすべて計算して書いたのなら凄いけれども、やはり何かの恩寵が与えられたのでしょう。
 最後に、人の句ですが一句付けます。

 乱歩忌の劇中劇のみなごろし  藤原月彦



 [2月2日]
 去年の海外作品でいちばん気になっていたガイ・バート『ソフィー』(読売新聞社)を読む。ミステリーの両君が「このミス」でそろって2位に挙げ、あとは6位が一人だけという作品だから、これはきっと私好みの偏った小説に違いない。案の定、そうだった。トマス・トライオンの「悪を呼ぶ少年」が頻繁に連想され、ひょっとして「あれ」かなと思ってしまうとだめなんですね。この作品でも、謎解きと同時に恐怖が喚起されます。私もかくありたいと思うのですが、話を複雑にしすぎてスカッと解けないのがつらいところだな。さらに、シャーリィ・ジャクスンやジョン・ソールの「暗い森の少女」もちらちらと思い浮かべます。パッケージがダーク・ファンタジーなので見落としていた人が多いと思いますが、ミステリー、ホラー両方のファンにお薦めの作品ですよ。



 [2月3日]
 近所の古本屋(まだどの資料にも載っていないけれども、量が多くて筋もいい)で買った『私の好きな海外ミステリー・ベスト5』(メタローグ)を読み、面白いことに気づいた。言葉にこだわるタイプにはコリン・デクスターのファンが多いのだ。その証拠に、天沢退二郎(詩人)、齋藤慎爾(俳人)が「キドリントンから消えた娘」を、岡井隆(歌人)が「森を抜ける道」を挙げている。これは私もそうだから感覚的によくわかりますね。
 もう一つ、石川喬司が本文中でミシェル・ビュトールの「時間割」に言及していて懐かしかった。私の学生時代、あのめんどくさい小説をみんな読んでたんだよね(あとはロブ=グリエとか)。最近の学生さんのあいだでは、どういった海外文学がはやっているのだろうか?

 途中から日記です。
 神保町で時事通信社のIさんと打ち合わせ、校閲者からのゲラを受け取る。なお、既報の本のタイトルは『活字狂想曲――怪奇作家の長すぎた会社の日々』と副題が微妙に変わっております。そのあと、ついに見つけた『化けて出てやる 古今英米幽霊事情1』(新風舎・2000円)などを購入。メインストリームの作家が中心で創元のアンソロジーと重なっていなかったから、ひと安心といったところ。
 本のタイトルが決まったので、そろそろ「新刊展望」のエッセイを書かねばならない。そこで、福田恆存「一匹と九十九匹と」(『福田恆存全集 第一巻』文芸春秋所収)を読み返す。何度読んでもいいことが書いてあります。
 次の短篇は日常が変容するオーソドックスなパターンなのだが、普通の人間がなかなか書けないので参考資料を買う。変人は地で書けるし、異常者も自分の中の狂った部分を抽出して造形すればいいだけだから苦労しないけれども、どこにでもいる普通の娘などが書きづらい。それにしても、コンビニで「プチセブン」を買うのは恥ずかしいものだな。



 [2月4日]
 ヘレン・マクロイ『ひとりで歩く女』(創元推理文庫)は、手記の部分は面白かったのだが、そのあとが普通のド本格で読むのが面倒になってしまった。解説を読むと、絶版の作品のほうが好みのようだ。ゴシックが過剰だったり、叙述やメタだったりすると面倒でも読むのだが、平面だと「どうでもいいじゃない」と思ってしまうのである。どうもこの小説の事件はしょうもないような気がするんだがな。
 だいたい右脳型の読書をするほうで(左脳型の俳人はあまりいない)、「面白かったけれども筋を再現できない」という作品が山のようにある。最近では竹本健治さんの『風刃迷宮』(カッパノベルス)がそうだった。とにかく文章とイメージが心地よく、そればかり読んでいたら筋がまったくわからなくなってしまったのだ。でも、快い小説です。ド本格ファンには受けないだろうけど。

 また途中から日記です。
 うーん、月末締切のショートショートの依頼も来たな。世間的にはたいした仕事量じゃないような気もするが、長篇書き下ろし(あと約百枚)、翻訳(百枚切ったぞ)、長めの短篇、ショートショート、エッセイ、俳句五十句、ゲラの校正、確定申告の書類作成って一度にできないからなあ。そのあと、今年はさらに三つ長篇を書き下ろす予定になっているのだが……。



 [2月5日]
 今日は最初から日記です。
 千駄木で幻冬舎のSさんと打ち合わせ。「白い館の惨劇」の第三部までを渡す。残るは解決篇(に相当するもの)だけなのだが……。来月出る「活字狂想曲」と一部で並び称されていた隠し球に光が当たりはじめたので、楽しみが増えたような気がするな。
 なお、ずっと刊行が待たれている恩田陸さんの書き下ろし長編「カタツムリの歯」ですが、ことによると「pontoon」連載中の「月の裏側」のほうが先に本になるかも(笑)。同連載での作者紹介はネタづまりで、あとは作者を入院させるしかないとSさんは嘆いておりました。
 これで担当者にこのページの存在をほとんど知らせてしまったわけだが、考えてみれば(いや、考えるまでもなく)「ウチの仕事はまだやってないな」と丸わかりになってしまうではないか。やる気はたくさんあるんですけど、なにぶん一人しかいないもので、いましばらくお待ちください。



   [2月6日]
 小池真理子短篇セレクション3『命日 幻想篇』(河出書房新社・1600円)を読む。ただし、収録作五篇のうち未読は「ミミ」「家鳴り」のみ。「ミミ」は傑作。巻頭のド怪談の名作「命日」(話の展開は読めるのに怖い)と同じコードかと思いきや、ひねり具合が実に勉強になる。「家鳴り」は音の使い方がうまい。ことに終盤が秀逸。
 さて、どちらの作品にも「水を浴びたような」というフレーズが出てきますが、これは内田百間(誤字)ですね。小池真理子と菊地秀行――作風は全然違いますけど、どちらも短篇ホラーの名手で、内田百間(誤字)の愛読者であることが共通しています。将来は短篇ホラーの名手になりたいという奇特な方には、まずもって内田百間(誤字)をおすすめします。岩波文庫の二冊『冥途・旅順入城式』『東京日記 他六篇』が基本です。



 [2月7日]
 エリザベス・フェラーズ『猿来たりなば』(創元推理文庫)を読んでいて浮かんだのは、いささか唐突ながら「秋の暮」という季語だった。ここに寂しく重いものを配合すると「付きすぎ」になって俳句の世界が広がらない。逆にナンセンスなものを配合すれば「秋の暮」が生きてくる。
 さて、この小説。序盤のコードは「秋の暮」、しかしながら屋敷で起きたのがチンパンジー殺害事件、この配合の妙がすばらしく、ほとんどこれだけでOK。ただ、そのあとが普通のド本格で、例によって読むのが面倒になってしまった。うーん、ちゃんと読まないと勉強にならないじゃないの。
 ここでふと思ったのだが、幻冬舎のシリーズで「ホラーとミステリー」「怪奇とユーモア」という異質なものを配合しようとしているのは、せんじつめれば俳句をやっているせいかもしれない(逆に、そういう体質だからこそ俳句をやっているとも言える。こちらのほうが正しいな)。また、俳句的な文章だとも言われる。確かに一読者としては、ホラーシーンは簡潔に行間を読ませるように書かれているものが怖いので、極力むだな描写を省くようにしている。しかしながら、いろいろと検索して各種サイトを見ていると、異種配合を含めて伝わらない人にはまったく伝わっていないようだ(笑)。まあ伝わる人には伝わっているからいいのだが、最近「文章力が不足」という評言を続けて目にしてさすがにげんなりしてしまった。俳句を評して「短歌じゃない」と文句を言われても困るんだがなあ。単なるセンスと好みの相違でしょうに。



 [2月8日]
 ダフネ・デュ・モーリア他著、山内照子編『化けて出てやる』(新風舎・2000円)を読む。去年の九月に出た本だが、ようやく存在が明るみに出て(新風舎だから仕方ないが)、ごくごく一部で話題になっている怪談集である。
 何と言っても巻頭のデュ・モーリア「林檎の木」が傑作。解説には「主人公の被害妄想とも本物の怪奇現象とも取れる」と記されているけれども、いくらなんでもこんなに偶然が重なるはずがない。やはりこれはド怪談と解釈したいところで、そう読むとウエイクフィールドとも一脈通じる秀逸な作品である。ラストも救いがなくていい。
 続くイーディス・ウォートン「魅入られて」は、惻々たるド怪談かと思ったのだが、これはむしろミステリー・ファン向けの作品でしょう。
 フェイ・ウェルドン「壊れる!」は、フェミニストが書いた「キャリー」調変格怪談で楽しめた。実はこの怪談集、お面をはがせばフェミニストが現れるのだ。解説を読むと編者もそのようだが、フェミニストと怪談はなぜか因縁浅からぬものがある。最も有名なのは一作だけ「黄色い壁紙」という傑作を書いたシャーロット・パーキンス・ギルマン。現在は、作家でもあるジェシカ・アマンダ・サーマンスン(salmonsonはいろいろ発音があって、サルマンスン、サーモンソン、サマンスン、サーマンスンと表記がバラバラなのだが、どれが正しいのだろうか?)が怪談アンソロジストとして活躍している。なにしろリチャード・ダルビーやヒュー・ラムも読まないような古雑誌を漁っているから気合が入っている(すいませんね、マニアックな人名ばかりで)。
 ヘンリー・ジェイムズ「幽霊の家賃」は、今度こそ惻々たるド怪談かと思ったのだが、ひねりのきいた作品。ただし、短篇としては出来がよく、勉強になる。
 アリスン・ルーリー「イルゼの家」はやや小味、グレアム・スウィフト「戴冠式記念ビール秘史」は長篇からの抜粋、できればメイ・シンクレアかエリザベス・ボウエンで締めてもらいたかった。
 続篇も企画されているようなので、大いに期待しましょう。それにしても、自費出版なのに(たぶん)四つも版権を取っていて大丈夫なのだろうか?



 [2月9日]
「ゴッド・フード 巨大生物の恐怖」は、巨大生物と言いながら人間より小さいネズミしか出てこなかったので失望。印象に残ったのはシンクロの演技中にネズミが襲ってくるシーンだけだった。むかし「カミング・スーン」というホラー映画の予告篇を集めたビデオがあり、「死のカマキリ」が紹介されていたのだが(でかいカマキリが暴れていた)、あれはビデオになっていないのだろうか。国内の巨大物では、「妖怪百物語」の「障子を開けたらでかい顔」が強烈。
 カマキリといえば、ゲテモノ系のぬいぐるみもいいかもしれない。カマキリはともかく、ナメクジは造形的にぬいぐるみにしたらかわいいと思うのだが。ナメクジのナメちゃんとか。



 [2月10日]
 トレヴェニアン『バスク、真夏の死』(角川文庫)は、個人的には傑作だと思う。まずバスク地方という結界があり、さらに真夏で物語空間が限定される。ここに最初はプラスの人間関係が登場、徐々にひんやりとしたマイナスが現れてくる。このコードは終盤にもう一度使われる。バスク地方の祝祭でいったん高揚したあと、マイナスのカタストロフィーへなだれこむのだ。この呼吸がなかなか見事で、「バスク、真夏、祝祭」が欠けていたら凡庸なサイコ・スリラーになりかねない物語に厚みを加えている。さらに、語り手(珍しく素直に感情移入できた)の物語が本篇と連関しながら進行、さりげなくて怖い幕切れにつながる。伏線も張ってあるし、寡作な作家らしいていねいな仕事だった。



 [2月11日]
 みなさん、お久しぶりです。黒猫のぬいぐるみのミーコです。今日は先生のかわりに日記を書きます。なぜなら、ミーコもいっしょにお出かけしたからです。
 昼すぎに田中幸一さんから呼び出され、竹本健治さんのスタジオへ。あとから篠田真由美さんも来ました。名前がミーコだと言うと、篠田さんは「どうしてそんなふつうの名前なの」と笑ってはりました(ママが大阪の人なので、ときどき関西弁になるねん)。先生は田中さんが持参した本にいやと言うほどサインしたあと、竹本さんのマンガのお手伝いをしました。それから、碁を打ちました。一局目は序盤で間違えて中押し負けでしたが、二局目は何度もチャンスがあったのに決め損なって大石が死んでしまいました。夕方、篠田さんが帰ったあと、福井健太さんが来ました。連れてきたぬいぐるみのリスさんは思ったより小さかったです。スタジオにはピカチュウもいました。
 夕ごはんのときは、ミーコは碁盤の上でおるすばんをしてました。それから、また碁が始まりました。三局目は不出来で中押し負け、四局目は少しずつ差が開いて十七目負け、結局四連敗でした。でも、竹本六段を相手に平手の黒先で田舎初段の先生が打ったのですから、立派なものだと思います。ちなみに、竹本名人は「超宇宙流」に凝っていて見慣れない布石を打つので、先生は困ったそうです。
 そのあと、朝の六時までいろいろお話をしてました。夏来健次というおじさんの話題が頻繁に出るので、まだ会ったことのない田中さんはえらく興味を示してはりました。先生と福井さんは「ぬいぐるみ友の会 兼 所得を倍増させて2DKに引っ越すぞの会」を作るそうです。早くミーコのおうちができればいいな。
 じゃ、またね。バイバイ。



 [2月12日]
 小説トリッパー編『この文庫が好き! ジャンル別1300冊』(朝日文芸文庫・760円)は、地味な文庫なのですっかり見逃していた。で、こういうガイドに接すると、読んだ本に鉛筆でマルをつけて何冊になるか数えてみたくなるんですね。ヒマでもないのにさっそくやってみました。多い順に以下のとおり(カッコ内は選者名)。
*ホラー通になるための100冊(井上雅彦) 73冊
 これがいちばん多くないとまずいだろう。
*ミステリー通になるための100冊[日本編](北村薫) 49冊
 時代・歴史ものが足を引っ張って半分に届かず。
*名作映画を原作で読む100冊(野崎歓) 44冊
 ホラー映画しか観ないのになぜ多いかと言うと、高校まではわりと普通の文学青年が読むようなものを読んでいたためですね。
*小説家になるための100冊(清水良典) 38冊
*大人のための「子供の情景」を読む100冊(池内紀) 37冊
 上と同じ理由です。
*ミステリー通になるための100冊[海外編](法月綸太郎) 35冊
 警察・スパイ・ハードボイルドの30冊で2冊がつらいところ。エルロイは気になっているのだが。
*エッセイストになるための100冊(坪内祐三) 25冊
 坪内氏は好みが渋いね。神吉拓郎なんて同年配の人は誰も読んでいないと思っていたのだが(文庫本を全部読んでいたりする)。ちなみに『笑わぬでもなし』が取り上げられている山本夏彦も全著作を読破しています。『日常茶飯事』『茶の間の正義』『冷暖房ナシ』『美しければすべてよし』何でもいいのですが、古本屋で容易に入手できますので、だまされたと思って読んでみてください。言葉が電光石火のように伝わったら、あなたは山本夏彦の読者です(要するに、王党派アナキストですね。私もそうですが)。「人は国家に住むのではなく、言葉に住むのだ」というE・M・シオランの箴言を山本夏彦が引用したりしています。ひたすらかっこいい。
 逆に、二桁に届かなかったのが次の二ジャンル。
*現代SFをまるごと楽しむための100冊(大森望) 7冊
 うーん、いくらなんでも少ない。来月読もう。
*歴史・時代小説の名作を読む100冊(縄田一男) 4冊
 読んだのは「半七捕物帳」「顎十郎捕物帳」「神州纐纈城」「妖星伝」だけ。あとは「警視庁草紙」を読めばいいや。



 [2月13日]
 今日は日記です。
 夕方から廣済堂出版主催の「異形コレクション」のパーティに出席する。
 初対面は、「ふえたこ日記」のじゃなくて「水霊 ミズチ」の田中啓文さん(コンビを組んでいる牧野修さんとは二度目。三人でしゃべっていたところ、大森望さんから「貧乏臭い光景だ」と言われる。そうかもしれない)、同じ「幻想文学」関係者だが掛け違ってお会いしていなかった芦辺拓さん、小説に「団精二」が登場するのは偶然の一致だと判明した奥田哲也さん、「金羊毛」の昔から読んでくださっているという東野司さん、あとは加門七海さん、津原泰水さんといった方々(書ききれませんのでごめんなさい)。
 久しぶりだったのは、はるか昔の『ラヴクラフト全集』の打ち合わせ以来の朝松健さん、これまたはるか昔の第一回ファンタジー・コンベンション以来の村田基さん、後輩のM君の結婚式以来の菊地秀行さん、一昨年の「幻想文学」のパーティ以来になる皆川博子さん、森真沙子さんなど。それにしても濃いメンバーだな。
 二次会はカラオケに移動したのだが、二時間以上も始まらず、よもやま話に終始する。このあたりは飯野文彦さんの独演会。既報がらみの話題だけ書くと、井上雅彦さんの話では「某座談会での発言は某氏を念頭に置いたものではない。どうして対立と言われるのかわからない」との由(そういうことですよ、某氏。来ればよかったのに)。
 二時くらいになってやっとカラオケが始まる。人数が多かったのでデュエット中心。田中啓文さんと「イヨマンテの夜」(なお、26日はバタやんの「十九の春」をデュエットする予定ですので、みなさんお楽しみに。誰が楽しみにするねん)、高瀬美恵さんと「ドール」「南風」、藤水名子さんと「やまねこ」、飯野文彦さんと「抱擁」(ああ気色わる)など、単独では飛び道具の「浪花恋しぐれ『桂春団治』」を出す。課題は新曲のフォローだな。
 忘れるところだった。9巻目の『グランドホテル』の見本をいただきました。近々並びますのでよろしく。私も「雪夫人」という短篇で参加しています。題名から察せられますとおり、ロマンチックで愛に満ちあふれた心温まるお話です(嘘)。次の「時間怪談」も言われているのだが、締切は三月十日らしい。30枚はないと書けない題材なのだが、今月は短いしなあ……。



 [2月14日]
 まず、訂正です。前日の記事で「二次会はカラオケ」と書きましたが、三次会の誤りでした。

 西崎憲編『英国短篇小説の愉しみ2 小さな吹雪の国の冒険』(筑摩書房・1900円)が出た。今回はファンタシィが中心で、個人的には怪奇小説を読みたかったのだが、印象に残る作品もあった。
 G・K・チェスタトン「怒りの歩道−−悪夢」は集中のベスト。コードを換えるとホラーのショートショートになりそうだが、むろん原作を冒涜する行為であろう。勤め人時代を思い出してしみじみとしてしまった。
 マックス・ビアボーム「プロメテウスを発見せること」は、ブッキッシュなファルスの収穫。隠された意味があるようでないところがいい(実はあったりして)。
 H・E・ベイツ「決して」はスケッチ風の小品だが、コードを換えるとむちゃくちゃ怖くなる。
 なお、巻末には編者による読みごたえのある評論「ファンタジーとリアリティー」が収録されています。「イマジナル・リアリティーとリアル・リアリティー」は使えるタームですね。結局「不可知」で終わってしまうのですが、これは正しい態度でしょう。無理にまとめようとすると、「すべてのエクリチュールは幻想である」式の一見気が利いていそうで実は何も言っていない結論になりかねませんから。リアル・リアリティーを追求していたはずの藤枝静男がとんでもないところへ突き抜けてしまったりする例もあるので、このテーマは難しいものです。
 それから「6 聖体顕示[エピファニー]」の項で紹介されている諸氏の言葉に「俳句とは」を付けると、ほぼ例外なくピタリと決まるんですね。
 俳句とは「一瞬の神格」(カッシーラー)である。
 俳句とは「聖なるものとの遭遇」(エリアーデ)である。
 俳句とは「事物を見慣れないものにすることだ」(シクロフスキー)。
 俳句は「慣れ親しんだものの価値をシフトさせる」(ヴァージニア・ウルフ)。
 俳句の「光は不意に輝き、そして去る」(プリチェット)。
 俳論めいたものを頼まれたら、少しここからパクろうかな。



 [2月15日]
 限りなくダブリ本に近い洋書を60ドルも出して買ってしまった。E・F・Bleilerの『THE CHECKLIST OF SCIENCE-FICTION SUPERNATURAL FICTION』は、一巻本のガイド『THE GUIDE TO SUPERNATURAL FICTION』と錯覚して注文してしまったのだが(二巻本のガイド『SUPERNATURAL FICTION WRITERS』は大枚をはたいて購入済み)、すでに持っている『THE CHECKLIST OF FANTASTIC LITERATURE』の増補版だった。書名がまぎらわしいので錯覚しないように。ただ、ブライラーからサミュエル・A・ピープルズ宛の手紙がオマケで入っていた。「喜んでサインしますよ」と書いてある。愛書家はいずこも同じですね。ちなみに、私は硫酸紙をかけたりサインを求めたりする趣味はありません。
「ヘルグレイブ 悪夢の死体蘇生実験」は、わりとまっとうなホラーだったけれども、演出がジェシカ・ハーパーを意識しているのに(たぶん)主演女優がジェシカちゃんとはだいぶ違うので興ざめだった。